コモンズの知恵
「まわしよみ新聞も直観讀みブックマーカーも、オープンソース&オープンフリーがモットーで、いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザインです」とかいうてたら「コモンズってなんですか?」と聞かれたので説明のために書いた紙w
いまの世の中は「コミュニティ・デザイン全盛期」ですが、「コミュニティ」というのは「国家」とか「民族」とか「都市」とか「村」とか「会社」とか、ある種のルールやシステムで動く所属集団を指します。ルールやシステムから外れるようなことをしたら「村八分」にされたりする社会でもあります。コミュニティ(ルールやシステム)があることで人間は生きていけますが、しかし、その弊害として閉鎖的なんですな。またコミュニティはコミュニティと喧嘩したりする。A村とB村があって隣接していると、そこの境界ってのは、大体、イザコザがおきます。「この土地はA村のもんだ!」「いや、B村のもんだ!」という争いが必ず起きる。近代戦争ってのもコミュニティとコミュニティのいがみ合いであるわけです。コミュニティがあるがゆえに、こうした悲劇が起きる。
そこで昔の人は知恵をつけて、どっちにも所属しない「入会地」「入会山」というのを作ることにしたんですな。これが「コモンズ」です。この入会地、入会山は誰でも入れる。A村の人、B村の人はもちろん。どこの村にも所属しない旅商人や旅芸人といった外部の人なんかも自由に行き来できる。そこでタケノコがとれるとあれば基本的には、だれでもとっていいということになってます。但し、全部とってはいけない。シェアを大前提とする。全体で100個のタケノコあれば、A村は20個ぐらい。B村も20個ぐらい。旅商人、旅芸人も20個ぐらい。それぐらいで残しておく。全部所有しない。なぜならば入会地、入会山、コモンズだから。これをA村が100個とったとか、B村が100個とったとかしてしまうと=コミュニティ化すると結局、喧嘩、戦争になる・・・というわけです。
ぼく自身が「コミュニティ難民」(村八分にされた人間、村を追われた人間は、結局、コモンズ=入会地を渡り歩きながら、生きていくことになります)であることも理由のひとつですが、色んな意味でコミュニティにぼくは限界を感じているんですな。いま必要なのは閉じたコミュニティの活性ではなくて、開かれたコモンズの復活であろうと。コモンズに内在される「いつでも、どこでも、だれでもいい」というシェアやオープンフリーの知恵だろうと。なんでもかんでも線引きし、だれそれの所有と定めて権利を主張することを是としたのが近代です。おかげで世の中にコモンズがなくなってしまった。じつに窮屈で、ギスギスした世の中になってしまっている。ゆとりや遊びがない。それをなんとかしたい。それでコモンズを作ろうという意味で「コモンズ・デザイン」をやっていると。「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」はそういうぼくの思想を具現化したメディア遊び。燈籠の斧ですが、ぼくなりの革命です。