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十勝・帯広

2016 年 2 月 9 日

帯広は道央にあってロシアより遠かったので屯田兵がいなかったとか。屯田兵は国家が送り込む。それがなかった。北海道の大部分は屯田兵(要するに国家、官僚)が開発しているので、これは珍しい。民間(晩成社の依田勉三など。バター工場などを経営。六花亭のマルセイバターサンドに繋がるとか)が主導で開発した。さらに発展のキッカケは十勝監獄の設立。当時、北海道は囚人の増加で悩んでいたらしく、なんにもない帯広・十勝平野が選ばれた。囚人が増えて、それを目当てに商家が移ってきて、そこから都市が誕生した。囚人(アジール)によってまちができあがった。これまた非常に珍しい。それが帯広人、十勝人の独特の歴史、文化、気質に繋がっている。購読新聞は十勝毎日新聞(北海道新聞ではない)、メインバンクは帯広信金(長く道内一の預金量を誇ったとか)、地元企業を愛し、食料自給率も高く、北海道の他地域のことにはあまり興味・関心がない。「十勝モンロー主義」「十勝王国」などともよばれる・・・。

まわしよみ新聞のあとに、打ち上げで、いろいろと帯広・十勝の昔話を聞きました。オモロイなぁ。まちはほんまにオモロイ。

帯広は道央にあってロシアより遠かったので屯田兵がいなかったとか。屯田兵は国家が送り込む。それがなかった。北海道の大部分は屯田兵(要するに国家、官僚)が開発しているので、これは珍しい。民間(晩成社の依田勉三など。バター工場などを経営。六花亭の…

Posted by 陸奥 賢 on 2016年2月6日


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