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2016 年 2 月 12 日 のアーカイブ

38歳になりました。

2016 年 2 月 12 日 Comments off

大手スーパーではネギを100円で売ってる。地元の八百屋では120円で売ってる。消費者としては大手スーパーでネギを買ってしまう。しかし大手スーパーは大抵、東京資本(外資)で、その100円は結局、東京にいく。永遠に地元に100円は帰ってこない。

逆に地元の八百屋で買えば120円は地元に残る。ネギで儲けた八百屋のおばちゃんが、また地元の魚屋でアジを買う。アジで儲けた地元の魚屋のおっちゃんが、また地元の布団屋で布団を買う…と「地元の店」で買い物を続ける限り、お金はグルグルと地元を巡り続けるので、地元経済は活性化する。

いま、日本全国どこの駅に降りても地元の店というのがないんですな。大抵、大手スーパーが幅を利かしてます。また行政が地元活性化、駅前活性化なんていって、駅前の地元の古い商店街を潰して、真新しい大手スーパーを誘致したりするから哀しいですな。東京に金を送るスーパーを誘致して、なにが地元活性化や?と思うんですが、行政マンは結局、ビジネスマインドがないので、金の流れとか、そんなことはどうでもええので、騙されてそんなことになる。

いや、じつは行政マンもアホやないので、実際はそういう金の流れもわかってるわけですが、古い駅前の商店街を活性化させようと思うと、地元のおっちゃんとか、正直、いろいろ言われて、めんどくさいわけです。それより東京の若い話のわかるデベロッパーのリーマンと話するほうが、何事もスマートで物事が進みやすい。駅前も綺麗になるし・・・というわけで、日本全国どこでも同じような駅前ができあがるわけです。まったく面白味もなんにもない。綺麗になった駅前の様子をみて「わがまちも発展してきた」なんて思うひとがいるから、これまた情けない・・・。中味をみたら全部、東京系の企業やないか?と思うんですが。

コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)というのは、その本質は外需観光やなくて内需観光です。ぼくが「大阪あそ歩」で、大阪市の契約プロデューサーをやってたときは、「大阪に遊びにきて!」とか「外の人に来て欲しい」なんて一切、思ってなかったですな(表向き、そういうこといわないとダメなんでそういうこというてましたが)。ぼくは地元のひとが、地元のまちを案内し、そこに地元のまちのひとが参加して楽しむ・・・という構造を作りたかった。

それで300ものまち歩きコースを作ったわけですが、ようさんあったんで、「どこがオススメのまち歩きですか?」とよく聞かれたんですが、ぼくは徹底して「わがまちを歩きましょう」と返してました。自分が産まれたまち、自分が育ったまち、自分が働いていたまち、自分が住んでいたまち。そこを歩きましょうと。そんなの歩いて面白いんかいな?と思うんですが、これがやってみると、もう、トンデモなく面白いんですな。なぜか?「わがまち」だから。要するに「30年間、毎日、歩いていた通勤の道路の、ちょっとした脇のお地蔵さんにそんな伝説が!?」という発見があったりするということです。これは「30年間、そこに住んでた」という重みがないと、この衝撃はわかりません。泣きだす人もでてきます。それぐらい、重い。

コミュニティ・ツーリズム(「わがまち」の観光)の神髄というのは、そういうもんなんで、「はじめてこのまちにきました」という外の人が、まち歩きに来たって、じつはようわかりませんわ・・・というのが、ぼくの本音です。また来なくていいとも思ってます。それよりも自分のまちを歩きなさいと。コミュニティ・ツーリズムは、要するに「わがまちを楽しもう」という思想運動なんで。そうやって歩けば、必ず、「わがまちのイメージ」(=「わがまち観」に違う角度から光を当てるということ。観光)というのが変わります。

そうやって、わがまちを歩く。わがまちを楽しむ・・・ということから、郷土愛(パトリオティズム)というものを育む。郷土愛が育まれることによって、「地元経済活性化」を旗印に進められる東京資本のデベロッパーや行政マンがやろうとしている駅前再開発のウソやカラクリなんてことにも気づく(気づけばええなぁ)・・・というのがコミュニティ・ツーリズムをやるひとつの意義ですな。

あと「外に観光にいかれるより、わがまちで観光してくれたら、そのぶん、お金が外にいかない」・・・という、そういう「守りの観光」でもあります。東京観光とか京都観光するより、地元のまちを観光してくれと。これは大手スーパーで買うより、地元の店で買ってくれ、という発想(コミュニティ・ビジネス)と同じです。

しかし、こういう仕事を5年ぐらいやっていて、気づいたのが、「ほな、どこもかしこもコミュニティ・ビジネス、コミュニティ・ツーリズムをやったら、わがまちさえよければそれでええという発想にならへんか?」ということでして、これはいろんな意味で困るんですな。コミュニティ同志で潰し合うということになりかねない。実際、「ふるさと納税」とかそんなことになってますな。「A町やのうて、うちに納税してくれ!」というのは、これはまさしく「A町潰し」ですから。仁義なきコミュニティ戦争ですわw

それで「コミュニティ活性化だけやといかん。コモンズ(入会。共有財産を大切しようという思想)がいる」という発想にいたったわけです。だから、ぼくは「コモンズ・デザイナー」を名乗ってるわけです。コミュニティの調整弁、緩衝剤=コモンズというわけです。

年々、こういうコモンズが必要やという意識は高まってます。もっとコモンズ・デザイナーが増えたらええな、とも。

・・・というわけで、38歳になりました。昨日はオカンの誕生日ですが、今日がぼくの誕生日。メッセいろいろときてまして。ありがとうございますw どんな38歳になりますかな。

38歳で死んだのは太宰治、メンデルスゾーン、アポリネール、ガーシュウィンとか。坂口安吾は38歳は戦争中で、ほぼなんもしてないですな。空襲でも逃げ回れるようにカラダを鍛えていた。ブライアン・ウィルソンは38歳当時はドラッグ中で、寝てばかりいました。愛すべき天才、狂人たちよ。

大手スーパーではネギを100円で売ってる。地元の八百屋では120円で売ってる。消費者としては大手スーパーでネギを買ってしまう。しかし大手スーパーは大抵、東京資本(外資)で、その100円は結局、東京にいく。永遠に地元に100円は帰ってこない。…

Posted by 陸奥 賢 on 2016年2月11日


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