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土居 伸彰さんの『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』読了。深い。あと注釈の量に驚きましたww

2017 年 4 月 2 日

土居 伸彰さんの『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』読了。深い。あと注釈の量に驚きましたww

ユーリ・ノルシュテインの伝説的アニメーション『話の話』は、極私的かつ幽玄的な映像詩で、ノルシュテインの内的世界観が圧縮されて盛り込まれている。一応、なにが描かれているか?は、ある程度は理解できるけど、その意味するところは全く理解できない。ぼくはチェコアニメのシュヴァンクマイエルにはまった17歳ぐらいのときに観ましたが、正直、チンプンカンプンでしたな。『霧につつまれたハリネズミ』もなんやようわからんと思いながらボーッと観てたw

共感できないメタファーの数々。謎めいた原形質性のオンパレード。これは、でも、だからでこそ、深い思索のアニメーション体験となり、他者性や自分の世界観の創造的発見に繋がるんでしょう。

個人作家のアニメーションや抽象的アニメーション。いままでもこうしたアニメーションの系譜は連綿とあったそうですが、これから、ますます、こうした分野の作品群は増えていくという気がします。映画制作やと自然と携わる関係者が多くなる。資金もかかる。アニメーションは極論をいえば1人でも作れる(このあいだ長野・善光寺門前映像祭で池 亜佐美さんと一緒に仕事をして刮目しました)。映画よりもアニメーションの方が、その作家性が際立つという点で、より豊かで面白い作品がでてくる可能性があります。

ノルシュテインの『話の話』は、そうしたパーソナルなアニメーションの奔りであり、レジェンドだった。久しぶりに観たなりましたなw
あと個人的には本書の「幽霊たちの視線を感じる」の章が、ぼくが提唱する「死生観光」(死者と生者が出逢う観光。あやしいw)と通じる部分があって、特に興味深いところでした。アニメというか映画は、死者のものやと、ぼくは前々から思ってまして。それは「時間を止める。時間を封じ込める」からなんですが。まあ、これは話の脱線w

本、かなり重厚ですが、オススメです。ご興味ある方は、ぜひともご一読を!m(_ _)m

土居伸彰‪『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』

https://www.amazon.co.jp/dp/4845916282/


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