齋藤孝氏の『新しい学力』。
俗にいう「詰め込み教育」が日本人は得意で。これ、日本人だけやのうて、東アジア全体で学習効果が高い。「農耕」とか「科挙」が主流の国、民族の特徴なんですな。農耕は、繰り返しの作業になる。手順を覚えないといけない。まず「型」(エトス)を習得することが最重要。科挙はもちろん記録、記憶重視の詰込み型教育の典型w 要は官僚になるための教育ですからな。前例踏襲主義の前例を知らんといかん。
この手の「詰め込み教育はあかん」という世の中の風潮やけども、そうでもないんやないか?というのが本書のひとつの提言。とくに「ゆとり教育」に関して、手厳しいですな。「ゆとり教育」を導入して「個性教育」とかいってたが、個性豊かな子がほんまに出てきたかどうか?「入社面接でもハンを押したような返答で、無個性・没個性な大学生ばかり」という声なんかを紹介して糾弾してはります。
日本の教育者の例として吉田松陰や福澤諭吉を取り上げてますが、彼らの門弟が激動の明治維新を乗り切った。その教育はまず「詰め込み教育」ありきだった(正確には、まず詰め込み教育。それからアクティブ・ラーニング的な学習をしていた)。そういう意味でも「詰め込み教育」の良さはちゃんと評価して、見直すべきやないか?と。
「詰め込み教育」「ゆとり教育」批判の流れで「これからはアクティブ・ラーニング(主体的教育)や!」というのが文部科学省の方針。詰め込み型教育が「農耕型教育」なら、こちらは「狩猟型教育」といえる。グローバリゼーションで混迷として「答え」なんかない時代。いろんな状況下、ストレスフルな環境下の中で、瞬時に判断して、生き残っていかないといけない。自分で物事をクリエイトしてサバイバルのような知恵、知識が必要となってくる。
ルソーの『エミール』の思想=国民教育(主体的で賢い国民主権者の涵養こそが、近代国民国家の要諦となる)の重要性とか、デューイの「学校は小社会であるべき」という「自由教育論」は、アクティブ・ラーニングの源流で、重要なのはわかるが、いきなりそれをやれ!は日本人の気質にもあわないと思われる。
そもそもアクティブ・ラーニングで国家(文部科学省)が育てようとしているのは「常に新しいことを生み出すクリエイティブかつ金儲けもできる優秀なビジネスマン」みたいな存在で・・・端的にいうと「スティーブ・ジョブズ」みたいな大天才。「ではアップルがみんなジョブズみたいならどうなる?」といえば、たぶん崩壊するw 「ほんまにアップルはみんなジョブズみたいな人間なのか?」というとそうやない。ジョブズの命令に従って、組織の中で、あくせく、マジメに、ちまちま仕事している人材もようさんいる。そもそもジョブズがアクティブ・ラーニング教育をうけていたか?というとそうでもない。(本書では小学校中退のエジソンも取り上げてますが、そもそも学校教育ではエジソンとかジョブズみたいな大天才が産まれるとは到底、思えませんな)
アクティブ・ラーニングのような主体的な教育は必要ではあるが、それが万能の教育か?というと、当然、そうやないわけで。これからの時代の、真の「新しい学力」とは「詰め込み型教育(伝統的教育)+アクティブ・ラーニング(新教育・自由教育)」の合わせ技がええんやないか?それでないといけない・・・というのが本書の主旨。いちいち頷くことばかりでしたw
古典ですが「守・破・離」なんでしょうな。まず「エトス」(型)を覚えさせる。「守の教育」。師匠や先生や講師の通りに、やる、真似る。次に、それを破る。「破の教育」。このときにアクティブ・ラーニング・・・「主体性」「当事者性」「能動性」という方法が重視される。こうやって「守」と「破」を経て、ようやく創造者としての「離」が可能となる。また新しい「守」との出会いを求めて離れていく・・・。
「まわしよみ新聞」は、今年からアクティブ・ラーニングの教材というか、ツールとして三省堂さんの高校国語の教科書『明解 国語総合』に採用されてます。
http://tb.sanseido.co.jp/kokugo/Info/magazines/h-kokugo/pdf/pr_16_sum/2016_sp03.pdf
教科書では、まわしよみ新聞は、芥川龍之介『羅生門』の次。鷲田清一先生のエッセイの前というとんでもないところに挟まれていてww 想定外すぎて、嬉しいことですが^^; しかし、そもそも「アクティブ・ラーニングとはなにか?」という教育学者側の価値づけが知りたかったので、本書は良い理解になりました。オススメですm(_ _)m
本日も開いております!逍遙舎。まわしよみ新聞→直観讀みブックマーカー→当事者研究スゴロク→劇札というわけで、本日は劇札!ハイデガーいわくの「被投性」と「投企」を楽しみ、笑い、遊ぶという哲学的な場ですw
「生きている世界は、自分の世界のそのときの状況がどうであるか、そしてそのときの状況から見てどうであるかによって、さまざまな仕方で現れてくる。生きている世界の内容を決めるのは、常に自分の世界の不安定な流動的な成立であり、その状況的性格である。」
ハイデガー『現象学の根本問題』
ぜひともご参加ください!m(_ _)m
【逍遙舎開き】■3/30(木)19時より「劇札」実施!参加者募集!
https://www.facebook.com/events/1437256226292672/
「当事者研究スゴロクってなんですか?」…大体、当事者研究スゴロクのコマをFacebookにあげると、毎回、質問されるんですがw これ、簡単に、ひとことでいうと「大阪的コミュニケーション術」です。
大阪で友達を作るにはどうすればええか?カンタンです。「この前、こんなことあってん…」と「自分の失敗談」をいうんがベターなんですな。そして相手はそれを受けて「お前、アホやなあ!おれなんかなぁ…」といって「さらに酷い失敗談」を出す!これが礼儀です!ここ、大事!テストでるから!
ここで「え?まぢドン引きなんですけど」とか「こわっ」とか「ないわー」とか、冷静に、冷たい眼で、クールに、小声で、失敗談を批評され、切り捨てされるのが、いっちゃん大阪人にはキツイ。耐えられへん。というか、一生、友達になれん!それぐらいの心の距離を感じます。
そうやって「相手の失敗」に「自分の失敗」で打ち消すことで、対等の立場になろうとして、互いの中に産まれるヒエラルキーを無くし、仲良くなるのが、大阪的コミュニケーション術の本道。マイナス(失敗談)にマイナス(失敗談)をかけることで「笑いというプラス」に変えて、仲良くなっていく。
「お前は失敗した!マイナス1点。おれはマイナスしてないから、お前より上な。おい。牛乳買ってこい」みたいな失点主義な社会(武士社会とか会社人間とか官僚組織とかは、基本的にそういう構造してます)は、ギスギスするし、イヤになるし、まず何よりも人間が陰険になりますわ。嫉妬社会。ああ。いやらしい。気持ち悪い。
大阪は「負けるが勝ち」やないですが「負け」をスタンダードにしながら社交していく。グリコの「おまけ」は「お負け」で、これは大阪弁でして。大阪人は「負けること」に「お(御)」と美称をつけて褒め称えるw それぐらい「負け」に親しい。慣れている。これ、社交術としては、かなり高度なテクニックです。
では、大阪的コミュニケーション術の、その最大のメリットは一体、なにか?なによりも「優しい社会」になるんですな。人間のダメさ、アカンとこ、弱さ、罪、悪、ビョーキ、愚かさ、貧しさ。汚らしさ。それらを許容していく。大阪的キャパシティの広さ。深さ。大きさ。せやから、大阪はヘンな人が多い。ぼくを含めてww ぼくなんかは大阪やないと、反社会分子すぎて抹殺されてますよ。いや、ほんまに。
「幸いなるかな。心の貧しき者。天国は汝らのものなり」(『新約聖書』)
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)
これらの言葉は、宗教的逆説というやつですが、しかし、大阪人には、これらの言葉の中に内包される「救済の真実性」が嗅覚としてわかる。ダメな人間こそ、愛す。そう。だから、大阪こそは神の国や阿弥陀浄土に最も近い都市といえる。(ほんまか?)
ダメな人は、大阪にきたらええ思いまっせ。よりダメダメになりますがww しかし安心を得る。救われる。生きていける。
逍遙舎にて。
前衛かつ不条理かつナンセンスかつダダイズムかつシュールレアリズムかつマジック・リアリズム。
劇札、恐ろしいww
※「光る」のカードが出て「光の中から光GENJIが出てくる」が本日のハイライトでしたm(_ _)m 斜め上すぎるww
逍遙舎開き最終日!劇札やって酒飲んで寿司食って歌垣風呂やら顔ハメの話をして。楽しい半日。差し入れいっぱい。ありがとうございますw
逍遙舎の2年間。北は北海道から南は鹿児島まで。いろんな方が遊びにきてくれて素晴らしい出会いが多々、ありました。感謝。明日からはエイジくんが逍遙舎の新しい主人です。さて、どんな逍遙舎になるかな?w
ぼくもたまには逍遙舎で企画するつもりです。またいろいろ遊んでやってください^ ^ 今後ともよろしゅうたのんます!m(_ _)m
4/22に劇札をやります!なんと20年前の、1997年の関西小演劇の演劇フライヤーを用いて遊ぶ!ww
シアターサロンにめちゃくちゃ過去の演劇フライヤーがありまして。宝の山やったんですな。関西小演劇の20年を振り返る劇札。これはオモロイですww ぜひともご参加してください!!m(_ _)m
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■4/22(土)19時よりシアターサロン番外編「劇札で遊んでみよう!〜1997年(20年前!)の演劇フライヤーを用いて〜」
https://www.facebook.com/events/473355856334068/
金臺寺さんにて。「浄国寺の劇団ひとり」こと山添真寛さんの紙芝居と一人人形芝居。大熱演(とくに顔芸)。芸達者。笑いましたなw こういうお坊さんいるんやなあ。素晴らしい。南無阿弥陀仏。