コモンズ・デザインで「贈与」ばかりやってますが、ほんまは「略取」という方法論もあります。
コモンズ・デザインで「贈与」ばかりやってますが、ほんまは「略取」という方法論もあります。
いろんな文献がありますが、江戸時代の大坂は30万人中、なんと1万人が「掏摸」(スリ)やったといわれてます。スリと盗賊は違いました。大坂のスリはスリ専用の髪型、スリ専用の頭巾を被っていた。一目見てスリと解る。講談師、落語家のような師弟制度で縄張りもちゃんとあったという。
スリが1万人というのは、もはやスリ(略取)が常に「日常的にあった」ことに他なりません。お茶屋で、財布を取られた。すると、隣の、誰かの財布を盗んだ。道義的には許されないんでしょうが、じつはそうやって世の中のお金=経済を回していく。贈与が贈与を産むように、略取もまた略取を産む。
1万人もスリがいると、牢屋も入れません。大坂の町奉行所はスリ対策の御触書を出してます。「スリはこれからはスリとわかるようにスリ専用の頭巾をかぶれ。被らないものは罰則を与える」。それと同時に「スリ専用の頭巾を被っている人間はスリなので、町衆は注意するように」という御触書も出してますw
よくやられたのは大坂にくる旅人らしいですな。旅人は、大坂が初めてで、スリのことをよう知りまへん。お上りさんが被害に遭う。ところが旅人も、大坂のスリのルール、システムを覚えると、早い。自分も早速、スリになって、新しい旅人から財布を失敬したw
スリと奉行はじつは繋がってもいました。町中でスリに遭う。印判(ハンコ)や大事な証文などは、奉行所に訴えたり、床屋(床屋がスリのネットワークになっていたとか。スリ専用の髪型も床屋が結いましたからな)に訴えたりすると、数日たってちゃんと返ってきた。カネだけ取られるんですな。
そもそも江戸時代の町衆はそない金など持ってません。大金は持ち歩かない。せいぜい小銭程度。スリをしても小銭。たまに大金が手に入ると、これはスリ仲間に大盤振る舞いしたとか。それがスリの礼儀なんですわ。貯蓄はしない。私蔵はしない。誰かから借りて(=略取して=盗んで)、誰かに貸して(=贈与=与えて)金を常に世間に回していく。
ちなみに新米のスリは、やっぱり緊張します。スリをしたあと、すぐに走って、その場から逃げてしまう。それを「駆け出し」といいました。新米とか新人のことを「駆け出し」というのは、ここから来てます。スリの専門用語なんですかw ベテランはそんなことしまへん。悠然と見事にスリをして平気な顔して去っていく。スリの美学でんなw
仮にスリが失敗をして、ヘマをして、町衆に捕まってまう。そうなると周りのスリ仲間がサッと頭巾を取って町衆のフリをして、スリを捕まえて、ボコボコにする。「これは我々が奉行所に引き渡すから」といって身柄を引き取る。しかし、奉行所には連れて行かない。スリ仲間で、身内で引き取って「お前、あのやり方はあかんで」と説教するw
江戸時代のスリの「略取と再分配」システムは、いま近代国民国家が担ってます。税金とは近代国民国家によるスリであり、略取みたいなもんで。国家とは、税金とは、権力によるスリに他ならない。そこに正当性がないわけではなく、税金が誰かの私腹にならず、ちゃんと社会還元されるのであれば、正当性はありますw 「公金」いうんは、だから「公金」というわけで。
近代国民国家の税金(略取)が、社会に還元され、みんなの利益、公益、社会益となるのであれば、その正当性も認められよう。同じように江戸時代のスリもまたスリをした金を社会に還元することによって、その正当性が認められていた。贈与経済があるように略取経済もある。これはオモテとウラの関係です。
コモンズ・デザインは「他者」を想定し、想像し、設計します。コモンズ・デザインの贈与は「他者に与える」ことで、社会益を作っていく。この逆パターンで「コモンズ・デザインの略取」というのももちろん成立するはずです。「他者から盗む」ということで社会益を作る。言うは易しで、その設計はかなり難しいですが…ぼくにはできまへんなw
「江戸しぐさ」なんかよりも、江戸時代の大坂の「スリのマナー」「スリの美学」のほうが、よっぽど、社会とか人間というものがわかってます。こういうのを子供達に教えるべき…って、まあ、ムリですわなw
■江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 講談社
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