陸奥龍彦(僕の曽祖父・陸奥利宗の兄)のこと(『佐川町史』より)
久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の書記、宇治山田市役所の主事などをやっていましたが、利宗はじつは次男坊で、長兄がいました。陸奥龍彦という。
この人物もどういう人物か?一切、不明でしたが陸奥家の郷土である高知県佐川町の『佐川町史』にその名前を発見しました。「宮之原塾」門下で「学者」で「陸奥龍彦(越智)」とある。越智というのは地名、村名で陸奥家の本拠地です。そこの出身ということが明示されている。
佐川郷は山内家の家老・深尾家の所領地で昔から文教に力をいれていた土地とか。「宮之原塾」というのは「宮原寺」(明治維新後の廃仏毀釈でなくなったそうです)にあった私塾で寺子屋のようなもののようです。
この宮之原塾のあとに佐川町に出来たのが「名教館」という郷学校(元は深尾家の家塾)で、宮之原塾と名教館は教師が同じだったりして分校、兄弟校のような位置づけであったとか。そして、この名教館で学んだのが植物学者・牧野富太郎。来年のNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルですなw
牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)と陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)に直接の面識はないかもしませんが世代も場所も近い。「友人の友人」ぐらいの関係性にはなるかも知れませんw
ちなみに『牧野富太郎自叙伝』にも名教館のことが記載されている。「佐川山分学者あり」(山分=山程、沢山といった意味らしい)といわれるほど佐川には学者、儒者がいたという。そのうちのひとりが陸奥龍彦ということになります。
この名教館は他にも宮内大臣の田中光顕、広井勇(港湾工学の父)、ブラジル移民の父・水野龍(東京・銀座「カフェ・パウリスタ」創業者)などを輩出している。いまは玄関部分だけ移築されて保存されているとか。いつか行ってみたい。