我が母校。堺。新金岡。光竜寺小学校。いまも兎小屋はある。昔は鶏小屋もあり、そこにはなんと孔雀もいたが、いまはいない。
2023 年 1 月 16 日
我が母校。堺。新金岡。光竜寺小学校。いまも兎小屋はある。昔は鶏小屋もあり、そこにはなんと孔雀もいたが、いまはいない。
孔雀はあんなに美しいのに密林の蛇を採って食べるらしい。古代インド人にとって密林の蛇は凶々しく、死の恐怖そのもの。その蛇をいとも容易く退治する孔雀は当然のように崇拝され、神格化され、孔雀明王となった。
孔雀を捕らえる密林の原住民、部族もいた。歳若く、長髪を頭頂部に結い、半裸で、日に焼けて赤黒く、腰に縄を持ち、密林に罠を仕掛け、まるで目が6つ、腕が6本あるかのように見事に蛇を捕まえる。人間業とは思えない。神々しい謎めいた少年。これまた神格化され、阿修羅となる。
阿修羅も孔雀も古代インドの風土、風俗が生み出した。「異類」「他者」への畏敬が神仏となった。
孔雀の羽毛はこの世のものとも思えぬほどに美しい。羽の生え変わり時期には、時折、孔雀小屋に羽が落ちていて、取り合いになった。こどもにとっては宝物であろう。
小学校に鶏、孔雀はいなくなったが、ふと隣に「異類」「他者」がいる状況は貴重な環境、体験であったように思う。
カテゴリー: 雑感