大阪難読地名で有名になりすぎて、もはや難読ではなくなった感もある放出(はなてん)の氏神さまが阿遅速雄神社(鶴見区)。
阿遅速雄(あぢはやを)というのがこれまた難読でややこしいが、大和の国津神系で鴨氏(賀茂氏)に繋がるとされている。また「阿遅」(あぢ)は「味」で「美味い」というような意味になり、農業神としての性格があるといわれている。
この辺りは古代は河内湾、河内湖のエリアで水辺でもあった。いまも第二寝屋川が付近を通る。この河内湖を舞台に繰り広げられたのが草薙剣盗難事件。
飛鳥時代の天智天皇7年(668)に新羅の僧侶・道行が熱田神宮からご神宝の草薙剣を盗み、船で逃亡しようとした。ところが河内湖の辺りで嵐に逢い、船が進まなくなった。道行は神罰だと恐ろしくなり、草薙剣を「放出」した。剣は里人に拾われて阿遅速雄神社に納められたが、その後、熱田神宮に無事に戻されたという。
放出(はなてん)は「はなってん」という大阪弁が訛った地名というわけだが、何を放ったか?まではあまり知られてなかったりする。まさか天皇家のシンボル、三種の神器の草薙剣とは思わない。僕も大阪あそ歩のまち歩きコース作成で現地をリサーチしたさいは「ほんまかいな?」と疑った。
しかし今も毎年、阿遅速雄神社例祭には熱田神宮の神職がわざわざご挨拶に来るそうで…どうもそれなりに信憑性のある話らしい。事実は小説より奇なり。
なによりも謎なのが新羅の僧侶・道行の行動で。なぜ?新羅の僧侶が草薙剣を盗もうと思ったのか?道行の狙いとは何であったのか?古代日本のミステリーのひとつ。
いわき七浜海道サイクリングロード。昔、確か「復興サイクリングロード」とか聞いたが、最近は「復興サイクリングロード」とはいわないらしい。
久之浜防災緑地、八大龍王からスタート。八大龍王は久しぶり。2017年に訪れていた。なぜかあまり印象に残っていなくて、しかしサイクリングしているうちにいろいろと思い出した。
なんで2017年の初訪問は、こんなに印象が薄いのか?覚えていないのか?と思ったら車で巡ったからだと気づいた。当時は車で八大龍王を巡ったので、それぞれが「点」でしかない。やはり歩かないと身体感覚、身体知にならない。
今回、久之浜から新舞子浜まで薬20キロをサイクリングしてみて訪れた場所が「点」(ポイント)ではなく、ちゃんと「線」(ライン)として身体知になるのがわかった。歩くほどではないが、車に比べると格段と地理、ルートを把握できた。楽しい。
個人的な感覚だが、いわき市というフィールドにはサイクリングはピッタリではないか?という気がする。
なんせ、いわき市は広い。14市町村が合併して生まれたですからな。昔は「日本一広い市」だった。これがそもそも無茶苦茶ですな。いまだにこの後遺症に苦しんでいるように見える。
秀吉は「村斬り」をよく行ったらしい。ある日いきなり村を分ける。村を分けることで、仲違いさせて、中央(豊臣政権)に歯向かわないようにする。「刀狩」は有名ですが、この「村斬り」も秀吉の狡猾な統治手段。さすがに庶民階級出身で、庶民感情がよくわかっている。
村斬りは村を分けるだけではなく、じつは「村と村をくっつける」ということでも行なわれた。2つの村を、ある日いきなり一つにする。これもまた実は「村斬り」の一種で、こちらの方が多く実施された。いまだにやられている。明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併と、すべては中央政権に逆らわないようにするため。市町村合併なんてやるもんやないんです。大抵、えらい目にあってます。
いわき市は村斬りしまくって生まれた行政区なわけで、そりゃ、まあ、いろいろとあります。日本でも有数の「村斬り都市」ですw
【福島県】お馴染みのGuesthouse & Lounge FARO iwakiにて「いわき七浜海道サイクリングロード」の振り返り。
ひとことで自転車というが、自転車は最も多様性のあるモビリティではないか?という気がする。
シティサイクル(ママチャリ)、電動自転車、折りたたみ自転車、ミニベロ、マウンテンバイク、ロードバイク、クロスバイク、シクロクロス、BMX、補助輪付き自転車、タンデム自転車(二人乗り)…と、じつに多種多様な自転車がある。
それぞれの自転車にあわせて目的、用途が違う。スピードを競う人、距離を伸ばしたい人、景色を楽しみたい人、ふらふらと巡りたい人…とユーザーの志向も違ってくるだろう。
どういう人に、どういう自転車文化を広げたいか?それによって用いる自転車が変わるし、ガイディング、案内が変わるし、ルート、マップも変わるだろう。その幅広さ、奥深さが面白いし、自転車文化の可能性だが、これがしかし初心者やビギナーが自転車文化に触れるにあたって若干の戸惑いのようなものを産んでいる気もする。
まずは「自転車文化の裾野を広げる」ということが大事ではないか?ということ。そして、その対象は約32万人の「いわき市民」であることが、今後のいわきのまちづくりにとって、地域社会にとって、いちばん重要で、大事なことではないか?というような話をしました。
外からやってきて百キロ二百キロとサイクリングロードを走るガチ勢の自転車乗りの人も世の中には沢山いますが、そういう人は、やはり「いわき」を見ているか?というと、そうではないという気がします。要するに「距離」や「スピード」や「カロリー」といった「データ(数字)」を見ているだろうと思う。
そうではなくて「いわき」や「地域」や「コミュニティ」や「震災」や「復興」や「文化」や「歴史」や「信仰」や「ひと」や「みせ」を見てほしい。「物語(ナラティブ)」に触れてほしい。そうなると、おのずと方法論が定まってくると思います。そして、その方法論こそが、まさしく僕の仕事の範疇(まち歩き、コミュニティ・ツーリズム)とリンクします。
自転車というツールを用いて「地産地消の観光」をやるべきや思います。いわき市民の、いわき市民による、いわき市民のための自転車観光をw