護持院跡地
2023 年 3 月 17 日
大手町から北上して江戸城を左横目に見ながら日本橋川、神田橋を渡ると神田エリアに至る。江戸時代はじめには、かつてはこの辺りに護持院という真言宗寺院があったとか。ところがこれが18世紀初頭に大火事で焼失する。
なんせ江戸城の真北、すぐそばの大火災であったので江戸幕府は恐れ慄いた。もし江戸城に引火したら大変なことになる。護持院は大塚の護国寺に移転となり、護持院跡地は火除地、空地となった。「護持院ヶ原」といったという。
この護持院ヶ原での仇討事件をモチーフにして森鴎外が小説を書いているとか。読まないかん。
そして実はこの護持院ヶ原に作られたのが「洋書調所」。1862年のこと。九段下の蕃書調所(1855)が移転して、一時期、ここにあった。これがまた後に神田エリアに移転して開成所→帝国大学→東京大学となる。
護持院の火災で巨大な火除地が神田橋北側にあった。そこに洋書調所が移転してくる。これも神田が文教エリアとして近代に隆盛を誇るひとつのポイントであったらしい。
付近を歩いていたら幕末の古地図があり、たしかに「護持院上地」と書かれている。「二番明地」「三番明地」とある。かなり広大な敷地。なるほど。こりゃ、学問所の設置に最適そうですな。
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