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この長屋と路地なくなります展@空堀

2023 年 3 月 23 日

この長屋と路地なくなります展@空堀

もうイベント時間は終了してましたが、梅山くんにメールしたらぜひ寄ってくださいとのことなので、ひとりで最後の客として訪問しました。

長屋は借家ですが、先だって應典院で「家じまい」をテーマにした写真展『キオクノキロク』 (写真家・藤田温さん)が開催されていて、僕も行きましたが、その影響もあって最近、よく「家じまい」について考えます。

団塊の世代(1946〜1949年生まれ)というのは凄い世代で、いろんなデータがありますが、なんと持ち家率が86.2パーセントとか。85パーセント超えでっせ?考えられないというか、信じられない。うちの父親(1942年生まれ)は団塊の世代より前の世代で団地住まい(借家住まい)でしたが、じつは珍しいパターンなんかもしれません。

たぶん日本の歴史上、これだけ「家」というのが建てられた時代はないし、空前絶後の規模でしょう。借家住まいの方が少ない世代。

江戸時代の大坂なんかは借家住まいだらけでした。家持ちになると税金を払わないといけないので、みんな嫌がった。そこそこの金持ちでも家は持たない。奉行所が「頼むから家持ちになって税金払て」とお触れ書きで何度も何度も依頼してるぐらい。それぐらい家持ちは珍しく、借家住まいだらけだった。

都市というのは基本的に流民であって、だから借家住まいというのがスタンダード。また昔の大坂は水害、天災も酷かった。地震、津波、高潮、洪水、台風など、なにかあると水が溢れて家が流される。鍋釜の家財道具なんかもどっかに流されていく。しかし流されても大丈夫。またどっかから流されてくるので、それをありがたく拝領して流用するわけですw 俗にいう「風呂屋のゲタ理論」ですな。

だからそこそこのモノを買う。一級品なんか買わない。甲乙丙の乙。甲はもったいない。流されたらえらいこっちゃですがな。丙は使えない。安物買いの銭失い。そこそこの乙がよろしい。乙な生活。都市流民の本道はそこです。都市民よ、乙であれかし。

乙な生活をするには、借家住まいでいいし、そこそこの長屋でよろしい。それは都市流民の知恵です。梅山くんはその実践者で、次も寺田町の長屋に住むとか。素晴らしいw

僕も昔はそこそこの長屋に住んだこともありますが、大体、長屋住まいの妙というのはネズミとの戦いですなw ネズミというのは実に聡い生き物で、自分の生活の安全圏、縄張りを確保するためにフンをする。

最初は部屋の隅っこにフンを落としていく。それを掃除するのを忘れると、次は、もうちょっと部屋に進出してきてフンを落としていく。慌ててフンを掃除すると、また最初の隅っこにフンをします。マーキングやり直しです。

ところがフンの掃除を忘れたり、見落としたりしていると、フンがどんどん部屋に進出して、最後は部屋のど真ん中のちゃぶ台の上でフンを落としていきます。発見した時は叫びますよ。ギャー!です。慌てて大掃除して、ネズミは、また部屋の隅っこからスタートです。それを延々と繰り返すのが長屋暮らしの嗜みですw

こういうネズミ問題は猫を飼うとあっというまに解決しますが、猫は猫で、どっかからヘンな虫を狩ってきて、バラバラに解体して、玄関先に並べたりしますから。これは狩猟の腕前、技術を誇っていたり、「君も食べてええよ」っていう猫なりの親愛の表現らしいんですが、残酷残虐すぎて、あれはあれで家に帰ってきた時のトラウマです。ギャー!です。

梅山くんが住んでいた築100年超えの長屋は潰されて、おそらく何の変哲もないマンションになるとか。この一角は珍しく長屋が連なっていて。わかっている不動産屋さんなら長屋全体をリノベして、長く活用しようとするかもしれないんですが。非常に残念なことです。


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