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船場の地霊と御堂筋

2023 年 11 月 3 日

昭和12年(1937)、御堂筋拡張工事によって大阪の中枢であった船場が真っ二つに分断されてしまう。モータリゼーション(車社会)のために作られた幅44メートルの幹線道路が船場・大阪に与えた影響は甚大であった。とくに船場の西側に集積していた宗教施設と船場の町衆が御堂筋によって切り離されてしまった。

じつは御霊神社、北御堂、坐摩神社、南御堂、難波神社といった寺社仏閣こそが船場商人、船場の町衆の精神的な拠り所であり、アイデンティティの根源でもあった。実際に「御堂さんの瓦の見えるところ」「御堂さんの鐘の音が聞こえるところ」でお商売をする…というのが船場商人の誇りであり、成功のステータスであったという。

また船場商人は朝起きると東の生駒山の朝日を礼拝し、家人一同で拍手を打ち、夕刻、仕事納めには夕陽に照らされた御堂さんに南無阿弥陀仏と唱えて一日を締めくくったとか。「朝拍手・夕念仏」とでもいうべきか。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ではないが、船場商人のマトリックスに宗教(浄土教)が果たした役割は非常に大きい。

さらに船場の寺社仏閣は宗教的な場であるだけでなく文化・芸術の場であり、娯楽・遊興の場でもあった。御霊神社に御霊文楽座、難波神社に稲荷社文楽座があり、坐摩神社こそは上方落語寄席の発祥の地でもあった。

寺社仏閣で行われる出開帳や夜市・夜店というのも宗教的なものであり、遊興的なものでもあった。これらの多くは神仏のご縁日に行われたが、単なる催事ではなく祭事であった。イベントではなく神事や仏事であった。それが船場コミュニティの核であり、要となった。

都市はただ経済的な価値観だけで構築、形成されるものではない。そこに生まれ、育ち、学び、遊び、人と出会い、知人・友人ができ、恋愛をし、働き、次世代を育て、老い、死んでいくという死生の場であることが都市機能を拡充させ、都市を都市たらしめる。NYの肝っ玉母ちゃんのジェイン・ジェイコブズが『アメリカ大都市死と生』の中で看破したように、都市は多義的で多様的で複雑怪奇な有機体でなければならない。

ゾーニングして「商業エリア」「居住エリア」「工場エリア」というように機能的で効率的な都市を作とうとしても大抵は失敗する。戦後は都市計画という名の下に寺社仏閣を排除して、赤提灯ひとつない、新興のニュータウンやビジネス街を作ったが、それらの大部分は残念ながら失敗している。住んでいて、味気なく、面白味にかけて、無味乾燥たるゴーストタウンにしか感じられない。

人間はもっとカオスモスな存在で断じて機能的、効率的、合理的な生物ではない。不条理や非合理や苦しみや迷いや闇や祈りや願いやバカ騒ぎやお祭りや七転八倒や迷信やオカルトの中に生きているから、都市もまたそのような場を用意しなければ人はそこに住みつくことはできない。

人間存在は我々、近代人が思う以上に宗教的でスピリチュアルで霊的な存在であるということです。だからこうした宗教的でスピリチュアルで霊性の場であった寺社仏閣と船場の町衆との結びつきを分断した御堂筋拡張工事の罪過は語られなければならない。

その主導者が関一市長で、この人は東京や欧州に学んだ当時、最先端の都市計画の学者先生であった。しかし「大阪・船場の地霊」をよくご存じなかったのではないかと僕は観ている(いや、むしろ大阪の近代化、近代都市化のために、全てわかってやったことなのかも知れない。それはそれで更に罪深い)。御堂筋が完成して80年以上になるが、結局、だから御堂筋は駆逐、淘汰されるような話が最近になって出てきている。

■御堂筋完成100周年をターゲットに「フルモール化」を目指す!御堂筋完成80周年記念事業推進委員会が「御堂筋将来ビジョン」を公表

https://saitoshika-west.com/blog-entry-5154.html

都市の中から車を駆逐しよう、モータリゼーションは辞めようという動きであるが(これは世界的な都市の潮流でもある。歩ける都市こそが都市の魅力であり、価値となる)、このフルモール化によって船場の通りがもう一度、再結合され、とくに船場の町衆と宗教的な場との結びつきの回復が成されることを僕は期待している。

※船場の通りの中で道修町だけは、いまも「神農祭」が行われる。その核となる少彦名神社が道修町の中心(道修町2~3丁目)に近いエリアに位置していることの影響は大きい。出店もその範囲ででる。御堂筋よりも西(道修町4丁目)、堺筋よりも東(道修町1丁目)では神農祭の出店はない。御堂筋、堺筋の幹線道路が道修町の祭事(町衆)を分断していることがよくわかる。

祭事があるので道修町の町衆は他の船場の通りに比べて結束力が高い。薬関係の会社も意外と大阪から出ていかない。東京に本社、大阪の本店といった二社体制であったりする。

これは天神祭がある天満の町衆にもそういった傾向がみられる。祭事、神事、仏事が町衆を都市に繋ぎとめる。氏神・氏子、寺檀関係という前近代的な旧習が実は都市の経済的な価値観を高めていたりする。


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