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是れ西洋文明傳来の始で近世日本文化は茲に花と匂った

2023 年 12 月 14 日

先だっての堺まち歩き。ザビエル公園にて。ここはザビエルが訪れたという日比屋了慶の屋敷跡だといわれている。

ザビエルという人は不思議な人というか、遠くスペインから、わざわざ極東のアジアの果ての日本・堺にまで来てキリスト教を広めようというのだから宗教的情熱というのは恐ろしい。比べるのも変だが僕は日本からわざわざスペインまでいって仏教いいですよ!神道最高ですよ!と広めるような宗教的情熱などこれっぽっちも持ち合わせていない。

ザビエルが所属していたイエズス会は宗教改革の時代に生まれた。新教(プロテスタント諸派)が欧州を席巻し、危機意識を覚えたカトリック側が「神の軍隊」として徹底したカトリック絶対主義の熱狂的エリート集団を作り上げる。その創設メンバーのひとりがフランシスコ・ザビエルだった。

ザビエルはスペイン人とよく紹介されるが、これは正確ではなくて、じつはナバラ王国の貴族の息子でバスク人だったりする。このナバラ王国はフランス・スペインの争いに巻き込まれてスペイン領となり、ザビエルの父(大臣、宰相クラスの大物であったらしい)はその紛争の最中に逝去している。

自分が生まれた故郷の王国が滅亡し、ザビエルはスペインの人間として育ち、そしてフランスのパリ大学で哲学を学んだ。多感な青年期に歴史の動乱、激動に巻き込まれ、おそらく自分のアイデンティティ・ロストに直面したことだろうと思う。そんなザビエルの支えとなったのがカトリック教会だった。

イエズス会は国境や国家、民族、人種を超えて人間は誰しもカトリックの教えの下に神の子として平等であるという「世界宣教」をモットーとした。大航海時代という時代精神もあるが、ザビエルの生まれ育ちも、その高邁な志に同調、共鳴したように思われる。ナバラ王国の貴族でバスク民族でスペイン人でパリジャンのザビエルには。

ザビエル公園には、そんなザビエルの堺来訪を記念して「聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅碑」が建立されている。碑文がなかなかエモい。

「天文19年2月 聖ザビエル堺に上陸し日比屋了慶の館に入った
是れ西洋文明傳来の始で近世日本文化は茲に花と匂った」


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