金沢雑感。
金沢文化の基層として「雪」の影響は外せない。金沢の雪は1月から2月にかけて集中するらしいが、湿り気を含んだ「重く、しんしんと降る湿雪」が特徴という。年に数回、とんでもない「ドカ雪」に見舞われることもあるそうで、じつは今年(2026)1月25日には1日で60センチ以上の積雪があったとか。これは観測史上最大の記録的な「ドカ雪」だったそうで、日本でも有数の「豪雪都市」といえる。
冬は雪で身動きできなくなるが、だから「おうち時間」「ひとり時間」が多い。自然と読書や映画や音楽、家の中で文化、芸術に触れる機会が多いだろう。金沢人の知的、文化、教養レベルは高い。
地理的に京都が近いから金沢にも当然、京都文化の影響はある。しかし京都は公家文化の都市であるが、金沢は加賀百万石の前田藩で基本は武家文化の都市。京都の影響はありつつも藩祖・利家の「槍の又左」に通じる尚武の文化や気質、性質、性格の方が遥に色濃いように感じる。
武家文化の都市・金沢は北陸新幹線の開通(2015)の恩恵を最大限に受容している。東京〜金沢間は最速2時間28分となり、観光・ビジネス客が急増した。いまでは年間1000万人以上の訪問者数を達成しているという。「金沢一強」と呼ばれて他の北陸新幹線の沿線都市から羨望されていたりもするらしい。
これは金沢という都市の気質と東京の都市の気質が呼応したから起こった現象ではないだろうか?東京はやはり江戸文化、武家文化の中心地で、いまも都市民の気質に、それは有形無形に作用している。
金沢には「金沢百万石まつり」というのがあるらしいが、これは、かつて行われていた前田藩の豪華絢爛な参勤交代の様子を現代に再現したものという。参勤交代は江戸と金沢の往復であるが要するに金沢人の心のどっかには、深層心理の中には、常に江戸(東京)を意識、志向するものがあったのではないか?
東京人からすると京都人、大阪人よりも金沢人の方が親しみが持てるのではないか?また金沢人も京都人、大阪人よりも東京人の方が話を進めやすいかもしれない。ビジネスなども「金沢人は話が進めやすい」「東京人は話がわかる」なんてことがあるかも知れない。
参勤交代の復権なんてことをいうと大袈裟だが、しかし北陸新幹線の開通によって武家文化の都市としての金沢が賦活したように思う。
金沢にも商業都市・大阪の影響はある。金沢は2019年には日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に認定されていて北海道と大阪を結ぶ西廻り航路の重要拠点(寄港地)として栄えた。
とくに「金石・大野地区」が北前船の寄港地として栄えた港町らいく、当時の船主集落の面影を残す町並みが保存されていて歩いていても面白い。
伝説的な豪商に銭屋五兵衛がいる。金沢最大の豪商らしく、北前船の交易などで巨万の富を築き、加賀前田藩の財政再建にも貢献したとか。「石川県銭屋五兵衛記念館」なんてのもあるらしい。
地理的に京都、大阪に近い金沢は公家文化や商家文化に慣れ親しんでいる。さらに百万石の武家文化の都市である。武家、公家、商家文化のハイブリッドが金沢の都市の面白さに繋がっている。
また金沢は焼けなかった。空襲に遭わなかった。これは稀有なことで町割などは、ほぼ近世・江戸時代のままで残っている。車が入れないような細路地が迷路のように都市の微細に入り込んでいる。歩いていて、これほど刺激的なまちも珍しい。日本有数のフラヌール(都市逍遥)が楽しめる都市だろう。
個人的に気になっているのが「百姓の持ちたる国」としての矜持やマインド。前田藩以前の歴史であるが、金沢は一向宗や農民が戦国大名を駆逐して自治を確立させたという日本史上でも特異な歴史を持つ。この日本史上の特異が、金沢文化の精神的古層にあると思われるが、まだ、いまいち、よくわからない。
コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)の起こりは、1995年の阪神淡路大震災後の被災者のみなさんによる思い出ワークショップと「震災以前の自分たちのまちのマップ作り」から始まったと僕は考えています。
阪神淡路大震災によって壊滅的なダメージを受けた神戸でしたが急ピッチで復興計画が進められました。とくに長田区や東灘区などには長屋や木造住宅が密集する地域があり、壊滅的な被害を受けましたが、これを機に、単なる復興ではなくて、燃え広がらない、震災に崩れても大丈夫なようなまちに再構築しようと、既存の長屋住民の意志や意向をあまり顧みずに、行政主導で「震災復興土地区画整理事業」が行われました。
とくに狭い路地や、隣人と距離間が近かった長屋コミュニティなどは、理路整然と区画整理された道路と高層の復興公営住宅に変貌して、それまでのコミュニティにあった「顔の見える関係性」が消滅して、「慣れ親しんだまちの景色、風景が消えた」という「ふるさと喪失」を多くの住民に感じさせることになります。震災による「ふるさと喪失」よりも、復興という名のもとで、それまでのまちの歴史や文化や物語を継承しない資本優先の都市開発をされて「ふるさと喪失」することが非常に多かった。
じつは僕の叔父(母の弟)は神戸・長田エリアで靴工場を経営していて、それが震災で全焼しました。その後の震災復興の過程を、まちが全く新しく変容していく様子を直に体験した人ですが、昔、一度、僕と復興後の神戸のまちの話になったさいに「もうあんなん長田やないわ」とボソッと呟いたことがあります。
「ふるさと喪失」の経験から、何が行われたか?というと、震災以前の自分たちのまち、コミュニティ、ふるさとを思い起こそう、思い返そうという「思い出ワークショップ」であり、かつてのまちを再現する「マップ作り」が行われました。「マップ作り」でマップを完成すると、今度はそれをもって、実際に震災後のまちを歩くというまち歩きも行われました。
自分たちのコミュニティを、コミュニティの中の住民たちが歩いて「そうや。自分たちのまちはこうやったんや」と再認識、再確認、再発見するというツーリズム…これこそが「まち歩き」の源流です。そして僕が「まち歩き」という方法論と出逢ったのが、まさしく神戸で「新開地まちづくりNPO」さんがやっていたザ・シンカイチツアーだったりします。阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた新開地エリアの復興と、かつての「大衆芸能、映画のまち」だった新開地の歴史や文化、物語を伝えようとする活動の一環として開催されていました。
コミュニティ・ツーリズム(まち歩き)という方法論と出逢った僕は、これを大阪で実現したいと動き出します。大阪も空襲やら戦後の高度経済成長の乱開発、モータリゼーション(車優先社会)などで、ヒューマンウェアなまちがズタボロになり、コミュニティ破壊が凄まじい(その流れは今もあまり変わりません)。大阪のまちの歴史や文化や物語を、ちゃんと再認識、再発見、再確認して、次世代に継承していかねば…という想いがありました。その想いは、いろんな人とのご縁などで「大阪あそ歩」というプロジェクトとなって実現し、僕は大阪市内で300コースのまち歩きマップ(150のスタンダードコース、150のショートコース)を作成します。仕事しすぎて死ぬかと思ったですw
そこからコミュニティ・ツーリズムのプロデューサーとして活動を始め、これまた、いろんな人とのご縁が繋がって始まったのが、東日本大震災の被災地である福島県いわき市で始まった「いわき時空散走」です。日本初のコミュニティ・サイクル・ツーリズムと銘打ってますが、自転車によるまち巡りというプロジェクトです。徒歩か自転車かというアクティビティの違いはあれどもプロジェクトをやる意味、意義、価値、目的や哲学は変わりません。自分たちのまち、コミュニティ、ふるさとを巡って、その豊かな歴史や文化や物語を知り、楽しみ、先人(死者)たちの想いに触れようというものです。
今日、僕は、これまたいろんなご縁があって、なぜか宮崎県えびの市にいて、そこで「えびの時空散走」プロジェクトをやっていますが、神戸、大阪、いわきで生まれたものを伝えようとして活動をして、いいカタチでえびののみなさんに迎え入れられています。本当にありがたいことです。
震災、復興というプロセスの中から、有形無形にいろんなものが生まれているということ。その試行錯誤、社会実験の中から、コミュニティ・ツーリズム(まち歩き、時空散走)が生まれ、それが新しいまちづくり、ふるさと再生、コミュニティ創生のプロジェクトとなっているということ。それは、ちょっと、言葉として記録しておきたい。人間は、なかなか、しなやかで、したたかで、しぶといです。
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えびのでも震災・復興の中から生まれたものがあります。「田の神さぁ」です。
江戸時代中期(18世紀初頭)、たび重なる霧島山の噴火や飢饉により、えびのの農家は厳しい時代を過ごしていました。この苦しい状況から救いを求め、山の神を鎮めるため、あるいは食糧増産政策の一環として自然発生的に石像が作られたのが「田の神さぁ」のはじまりといいます。えびの市最古の田の神石像は享保9年(1724)に中島地区に作られた「神官型」のものですが、この享保年間は、日本列島は地震の活発期で、霧島連山は毎年のように大規模な火山活動、地震活動がありました。
だから最初期の「田の神さぁ」は霧島連山の、火山の方角を望んで建立されたとか。えびの市域では150体以上ものユーモラスで、愛らしくて、かわいい「田の神さぁ」がいて、今もえびのの田んぼ、地域、コミュニティ、ふるさとを守ってくれています。
※画像はえびの時空散走・上江マップから。末永の田の神さぁのイラスト部分。
■えびの時空散走
https://www.miyazakigeibun.jp/artscouncil-miyazaki/jikusanso/
https://www.city.ebino.lg.jp/soshiki/kankoshoko/9/6695.html
堺東を久しぶりに歩いてみたら、なにやら「たいらほこみち」みたいな奴が置かれている…。これは北林さんに報告せねばw
いろいろと調べたら「ウォーカブルで居心地が良い魅力的な都市空間の形成」するための社会実験で「堺東モビリティイノベーション」というプロジェクトとか。
https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/toshi/smi_project/index.html
「ウォーカブルな都市空間を…」というのはいまや日本全国各地の主要都市の課題です。都市空間のどこもかしこも車優先社会、モータリゼーション優先の構造で「歩けない都市」になっている。
歩けないから、歩かないから、都市のことがわからない。自分の郷土、まち、コミュニティの歴史、文化、物語を知らない人間は、郷土愛がない人は、僕の感想ですが、どうしても薄い人間に感じてしまいます。なんというかアイデンティティに厚みがない。
いや、郷土愛とかいうけど、郷土愛というのは、実は裏返しで「郷土憎」というのもあるんですよ。そんな言葉があるかどうか知らんけどw
郷土は決して完璧ではない。むしろ不完全なもので、欠落していて、ダメなもんです。古臭くて、時代遅れで、変に背伸びして、不格好で、すっぴんで、やることなすこと失敗ばかりで、要するに人間臭くて、「自分そのもの」なんですわ。嘘偽りのない、自分という存在そのものが投影されている。反映されている。歩くことで、それが、わかってくる。伝わってくる。
そういう屈折、挫折、後悔、離れたいけど離れられない、自分で文句はいうけど他人にいわれたらカチンとくるんや、確かに嫌いだけどええとこもあるねん…という非常に矛盾相克している複雑怪奇なアイデンティティの持ち主が郷土愛(郷土憎)に満ちた人間です。当然、人間に、深みがあります。できます。
「あなたのまちはどんなまちですか?」という問いに答えられない。自分の「ふるさと」を語れない。別にそれでも生きていけます。生きていけるが、彩りがない。面白味がない。葛藤がない。破れ目がない。
標準語だけで物事を語る人間は、どこか虚ろです。方言にこそ、その人間本来の実感や価値観や感情や愛着や個性や伝統や血肉が通っている。通いますねん。
そういう土地の文化や歴史や物語…「地脈」に逢うには、歩くんが、いっちゃんええんです。というわけで、みなさん、まち歩きしましょう。あ。もちろん自転車でもええですよw 自転車も、なるべくゆっくりがええでんな。「時空散走」みたいなツーリズムがええですw
だから地産地消の観光=コミュニティ・ツーリズムが大事なんですわ。人間に、郷土愛と、郷土憎を植え付けて、人となりに、彩りと、矛盾と、深みと、葛藤を付与するために。
小選挙区制は死票が多い。今回の衆院選では自民党の絶対得票率は26.9%だったが、議席占有率は86.2%となった。選挙結果をみて首を傾げる人が多いのも当然だろう。SNSで「自民圧勝おかしい」という人。それはエコーチェンバーやフィルターバブルではありません。小選挙区制の弊害です。
現在の衆議院465議席の内訳は小選挙区289議席、比例代表176議席だが、シミュレーションで、もし仮に全て比例議席となると自民党は173議席、中道は85議席となる。今回、0議席だった社民党は6議席、保守党は11議席に。要するにそれだけの民意が蔑ろにされている。国政の場で国民の声が消されている。届かない。これはやはり問題だろう。
消費税導入(竹下登内閣の1989年・平成元年)よりも小選挙区制導入(1994年・平成5年の公職選挙法改正)こそが日本失政の根源ではないだろうか。民意が正確に反映されずに、2割3割の支持に過ぎない自民党による独断、専横的な政治が30年近くも続いている。
「失われた30年」は経済だけの問題ではない。「民意が失われた30年」と言い換えてもいい。これは日本を迷走させる。日本の民主主義の機能不全を是正していかねばならない。
【いわき時空散走】南相馬で「ふくしま浜通りサイクルルート推進協議会」の総会があり、入会すると同時に、少しだけ、いわき時空散走についてお話する時間を頂きました。みなさま、貴重なお時間を頂戴して本当にありがとうございました。
10分ほどの時間でしたが時空散走の熱が伝わったかなぁ。伝わってたらいいなぁ…。
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「何やあの店、長いことやってて、よう潰れへんなあ」と謎に長命な店というのが世の中にはありましてw
こういう店は大体、新しいお客さんが入ったら「うわ。珍し。マスター、客やでー」と常連客が注意喚起したりする。常連客は勝手におしぼりと水とメニュー表を出したりして、一体、誰が店の人か?客か?よくわからない。それでいて「気がつけばもう半世紀、店をやってました」と時代の荒波をサバイブしていたりする。
常連客、リピーター、古参の客などが平気でカウンター内に勝手に入っていく店。客がなぜか差し入れを持って行くというような店は強いんです。店と客の関係性が、主客が逆転している。「コミュニティ化している店」といってもいい。
新しいお客さん、初めてのユーザー、新規顧客を常に開拓し続けるという商売のスタイルは、非常に大変で、しんどいです。なんせ、その手のお客さんは、流行的で、雰囲気で、胡乱で、目新しさを求めていて、移ろいやすく、無責任で、次の消費行動が読めなくて、予測不可能なので。要するに「一過性」なんです。
観光でいうと、やはりインバウンドのお客さんは、どうしても再訪率は低い客になりがちです。いろんな国、地域、外国から訪れてくれるのは嬉しいですが、また再訪してくれるか?というと、それはかなり確率としては低いものになるでしょう。
これは自分自身に置き換えてみるとわかりやすい。仮に海外旅行するとして同じ都市に行くことは、なかなか、ないです。ベルリンを訪れたら次はパリ、ロンドン、ニューヨーク、エジプト、上海、シンガポールと新しい都市に行きたがる。二度、三度、四度と同じ都市を再訪する人は、ほぼいないのが現状でしょう。
外から人やお金を呼ぶ「外需の観光」は、それは観光を盛り上げる、涵養するために非常に大事なことなんですが、しかしそれと同等以上に、僕は内の人、身内、地元民、コミュニティ内部の人たちを喚起する「内需の観光」の開拓、充実、発展こそが、観光のもうひとつの可能性であり、最重要課題であろうと思って活動してきたわけです。
いわき時空散走は日本で最初の「コミュニティ・サイクル・ツーリズム」を標榜しています。コミュニティ・ツーリズムとは何か?というと、もう簡単に、一言でいってしまうと「地産地消の観光」ということです。
「いわきの人(サポーター)が、いわきの人(ツアー参加者)と一緒になって、いわき(地元)を巡る」という構造です。また従来のツアーと違う点として、ガイドではなくて「サポーター」という形でツアー同行者がいます。
その道の専門家、プロ、有識者、学者、知識人、研究者、郷土研究家といった方がガイドをするのではなくて、「コミュニティのひと」「地元民」「まちの住民」がサポーターとしてツアー同行します。このサポーターの役割は「交流」です。ツアー参加者のみなさんの話の「聞き役」「促し役」「ファシリテーター」になってもらってます。
いわき時空散走のツアー参加者が、ツアーで訪れた場所について、その場ですぐにアーダコーダと話ができるのは、これは「地元民」だからです。いわきの人たちだから、いわきのどの場所にいっても「思い出話」ができます。
「いまもよく訪れる」「実は店主と同級生で」「昔、友人と来た」「昔はじつはこうだった」「親戚が知り合いで」「噂話を聞いたことがある」「ここがそうだったのか」といったように、何かしらの「まちと自分の関係性」「携わり方」があって、それを参加者全員で話をしてシェアすることが可能なわけです。
こうやって参加者が口々に、銘々、ワーワーと話をするもんだから、すぐにツアーは収集がつかなくなるんですがw これはガイド(店)とツアー参加者(客)という固定的な関係性から「どっちが店の人で、どっちがお客さんかわからない?」というツアーへの変容です。
実際に、いわき時空散走に参加してもらうとわかりますが、サポーターよりもツアー参加者のみなさんの方が圧倒的にあちらこちらで話をしてくれて、ほんまに誰が主催者なのかサッパリわからないw
また、この時空散走(コミュニティ・サイクル・ツーリズム)が優れているのが、ツアー参加者が地元民なので一度、地元を回って「新しい店」「推しの人」「お気に入り」を発見したりすると、そこに何度も通い詰めてリピーター、常連客、固定客になりやすいこと。再訪可能性がめちゃくちゃ高いんですな。
これが「一過性の遠方からきたインバウンドのツアー参加者」であると、二度三度四度の再訪はなかなか難しいのですが、おなじいわき市内在住だったりするので、じつに容易に再訪が可能です。
いわきは市町村合併で、かつて「日本一広い市」になったことがあるほど広域ですが人口規模でいうと30万人以上の人がいます。地方都市でも中核市レベルの規模です。
30万人もの経済圏、商圏があるというのはスゴイことで。また調べると、いわき市の「生産年齢人口(15〜64歳)」は約18万人ほどですが、もし、この18万人が、仮に、月に1回でも、いわき市内を自転車で巡って遊んでくれたら、それだけで途轍もない経済波及効果が望めます。18万人×12ヶ月で年間216万人もの観光交流人口の発生です。※ちなみにいわきの観光名所といえば湯本・スパリゾートハワイアンズですが来場者は年間100万人とか。また、いわきFCのホームゲーム入場者数は年間8万3000人です。
実際に、いわき時空散走をキッカケにして、いわきの人たちが、いわき市内の店や場や人を知って、そこからいろんなネットアークや関係性やプロジェクトが生まれてきています。
地元、地域、コミュニティを活性化するには、外需の力だけではなくて内需の力が必要不可欠です。むしろ内需を喚起して掘り起こししないと本当の意味で地域活性化は成せません。インバウンド(外需)とコミュニティ(内需)と、両輪必要なんです。その内需の観光、地産地消の観光、コミュニティ・ツーリズムのプロジェクトが、いわき時空散走です。
また、ありがたいことに、いわき時空散走は7割がいわき市内の人なんですが、じつは3割はいわき市外からのお客さんです。内需で盛り上がっていますが「いわき、おもろいぞ」「時空散走、よかったよ」という声が、徐々に、いわき市外にも蔓延していって、外からのお客さんもやってくる。
熱は真ん中がアツいです。真ん中がアツいから、それが外に伝播して、外側もアツくなってくる。コミュニティ・ツーリズムは、その中の、中心の熱を高める観光の手段です。
地元、地域、ふるさとを巡るから、そこから地域愛、地元愛、郷土愛が目覚めて、「自分のまちは素晴らしいんだ。もっとよくしたいんだ」という意欲を高めることにもつながって、まちづくりのプレイヤーになる人まででてきます。
いわきでいうと、こどもたち、若者たちのいわき市外へ出る人口流出が大変な地域課題になっていますが(これは地方都市のどこでも共通課題だと思いますが)、なぜ流出するのか?ということの一因として地元愛、郷土愛、コミュニティ意識の低さもあるだろうと思います。※もちろん学びたい学校がないとか、働きたいと思える会社がないとか、いろんな事情があるんでしょうが…。
いわきは車社会だから、本当に、いわきを巡っている人が少ないんですよねぇ。時速50キロ、60キロみたいな車移動の生活を繰り返していても全く、いわきのこと、地域のこと、足元のことは見えてきません。
地方から人口が流出するのは問題だと思ってますが、しかし個人的には、実は、地方都市から一度は「外に出る経験」はした方がいいと思ってます。地縁と切り離されて、無縁の人たちの集まり(大学や都市や企業など)を経験するのは非常に大切なことだとも。
ただ無縁の環境で生き続けることは非常に厳しいので、セカンドキャリア、サードキャリアを再構築する場として、自分のふるさと、わがまち、郷土が候補として上がるようにはしておきたい。そのためには若いうちに郷土、ふるさと、わがまちを知っておかないといけない。ふるさとの自負や郷土愛の種子を、ちゃんと受け継いでもらいたい。
そういう意味でもコミュニティ・ツーリズムは重要な地方都市のインフラといえます。観光振興のみならず、地方の教育、産業、経済の活性化にも繋がる重要なインフラです。
…なのに意外と、やってるところは少ないんですよねぇ。地域観光、地域経済の基本として、これをやらない手はないと思いますが…。
僕はなんだかんだでコミュニティ・ツーリズムのプロデューサーも、もう18年ほどやってきてますが、この熱が、徐々にでも、世の中に、世間の人に知られて行って、伝搬していってほしいなぁと常々、思っています。
衆院選の結果はほぼ各社、大手新聞の予想通り。オールド・メディアの矜持。新聞はオールド(老成)ではなくてスタンダード(基本)なんだと思いますがね。スタンダード・メディアの矜持。
衆院選の結果をみて思いましたが
①都合のいいタイミングで解散総選挙できる首相特権(憲法違反疑惑あり)
②公示から投票まで短すぎる選挙期間(有権者に正常な政治的判断をする時間を与えない)
③野党公約を上書きするフェイク公約(今回でいうと消費減税。そして選挙に勝つとあっさりと公約返上)
④首相推しのショート動画を莫大な資本力で1億回再生(まさかの米津〇師越えw しかも官房機密費を選挙対策に使っている?違法疑惑)
⑤小選挙区の勝者総取り構造(比例票では自民支持3割+非自民系支持7割だが議席では逆転して自民7割+非自民系3割となる)
…などの合わせ技で、いくらでも与党は議席を獲得できるということなんでしょう。
なんといいましょうか。選挙のたびに思うんですが日本の選挙制度、メディア・インフラなどの欠陥性によって日本の民主主義が衰弱、機能不全に陥っているのではないか?
そして「民意や民主主義を適切に反映せねばならない!」と、以上のような政治的瑕疵を是正しようという大義(公心)が、さて、いまの与党にあるかどうか?というと僕には誠に残念ながらあるようには見えない。むしろ自分たちに都合のいい選挙制度やメディア・インフラを絶対的に維持、堅守しようとしているように見える。
与党に大義(公心)がない以上、この「不毛な選挙ゲーム」は、これからも延々と続くことでしょう。民意を誠実に反映しない政治は独裁であり、権威主義であり、悪政そのものですが、その帰結は亡国であります。つらい…。
誰が憂国の士はおらんのか。国士はどこにいる?
国、公、共は同義ではない。国益、公益、共益を考えればいい。国益は国家を超えない。公益や共益は国家を超越する。地球温暖化対策は公や共の精神に立脚する。多くの国や企業が共に助け合う共心でCO2削減に努力する。CO2を大量排出する国、企業はより多くの努力で削減に取り組む。それこそが公心です。
共は相互に互恵的な関係。助け合いのコミュニティ。公は自身のリソースや利益を自己犠牲にしてまでも社会や他者のために尽くす高い倫理観から発露される。国はその公や共を担保するための社会システムであったが、いまや極一部の政治家や大企業が牛耳って公金を搾取するだけの構造に変容してしまった。
国が、そういう極一部の政治家や資本家に乗っ取られて搾取的な支配構造のシステムに変容してしまった時代に一体どうやって「公」や「共」のセーフティネットを担保すればいいのか?国を立て直すことが出来ればそれに越したことはないが、その取り組みをしつつも新しいアプローチも必要になってくる。
一つ必要なのは「国」と「公」と「共」を混同しないことで。いまやこの国で「国のために」という謳い文句は、もはや「極一部の政治家や大企業のために」と同義語だったりします。そういうことを曰う政治家はかなり注視して疑ってかからないといけない。本当にそこに公や共の精神があるのか?
常に疑え。
日本列島は100~150年周期で地震活動期が訪れるとか。実際に300年前の18世紀初頭の宝永大地震は富士山が大爆発し、元禄・享保バブルを崩壊させました。また150年前の19世紀中期の安政大地震も幕藩体制を弱体化させ、これは明治維新の呼び水となりました。
おそらく21世紀初頭ぐらいから日本列島はまた地震の活動期に入っていて、阪神淡路大震災、中越地震、熊本地震、東日本大震災、胆振地震、能登震災など震度7レベルの大地震が日本列島を襲い続けている。いつまた新しい震災が起こるとも知れない。
人間中心主義的な西欧社会では、人間さまが思うように自然をアンダーコントロールして制御して支配するという思想が強い傾向にありますが、これはやっぱり日本の国土、風土には合わないように思うんですなあ。なんせ日本列島はあまりにも天変地異が多い。地震、津波、洪水、台風、高潮、火山噴火などが多発する。
江戸時代の大坂はしょっちゅう洪水やら高潮で浸水があり、町衆はだから何かあると「とりあえず高台に逃げる」を大前提に生活スタイルを構築していたそうです。家財道具なんかは持ち運びできる量のみ。家もどうせ流されるんだからと当然、持ち家などではなくて賃貸であるし、そもそも建築物(長屋)も流されてもいいように簡易なプレハブのような作りでしかなかった。蓄財はない。流されることを前提に生活や暮らし、コミュニティ、まちを構築する。
例えば堤防(ハード)で地震の大津波を防ぐというのは、結果として津波の体験や経験を奪うことに繋がります。数年に1回ほど起こる津波なら防げる堤防も、100年に1回訪れるような大津波には対応できない。ハードによる防災には限界があるんです。いつかそのハードを超越するような天変地異が起こったさいに、何の経験も体験もない人々は大パニックを起こしかねない。
震災や津波、天変地異は確かに嫌だし、困りますが、それがあることを大前提に、天変地異を織り込みながら、生活や暮らしやコミュニティを、柔軟に、しなやかに構築していく。自然を支配下にコントロールするのではなく、自然の中で、なんとか共生してサバイブする方法論を我々、日本人は発見して日本列島に合う社会を築いてきたのではないのか。
伊勢神宮や住吉さん、春日さん、香取、鹿島、下鴨、上賀茂、諏訪大社などは、定期的にご神殿を建て替える「式年遷宮」を長らくやってきました。日本はなにせ天変地異が多いですから。また建物の多くは木造建築であるから焼失の可能性が高い。ハードを残すということは非常に難しい風土、国土である。だから百年、千年のハードではなくて、式年遷宮というカタチで、わざわざ立て直すことで、それを作る大工集団、技術者たち、テクニック、技を残そうと考えた。ハードは残らない。しかし、ソフトならば残るという発想です。この民族の「やわらかい知恵」は、なかなか僕は、素晴らしいものだと思う。
欲望肯定の人間価値中心主義の近代資本主義文明のベクトルは、もはや限界に差し掛かっております。自然をアンダーコントロールするなんてことは、人間さまの傲慢であると自戒して、自然を畏れ、敬いながら共生する、やわらかい知恵を、もっと現代社会に実装してほしいと思っております。
もう、なんちゅうか、いろんな危機的状況が差し迫っていて、完全に文明は曲がり角に来てますから。既存社会のシステムの限界と崩壊を感じる。世界は混沌と混乱と混迷の度合いを増してますが、しかし、それだけに面白い時代といえなくもない。新しい文明の萌芽が、そうしたカオスモスの中から生まれてくるのだろうと僕個人は淡く期待している。パンドラの箱の底には、希望があるのだと、信じたい。
阪神淡路大震災から31年目。そうか。もうあれから31年か…と思い返してからの、とりとめのない雑感。