10/17(金)18時30分より「川西市市民活動センター」「男女共同参画センター」の運営事業として「まわしよみ新聞」が実施されます!^^ ご興味ある方はぜひともご参加してください~!
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■みんなで読めば世界が広がるまわしよみ新聞…って知ってる?!
http://www.gesca-kawanishi.jp/course/each/mawashiyomi26.html
と き:平成26年10月17日(金)
18:30~20:30
対 象:どなたでも参加できます。
自分とは異なる“ものの見方”に触れてみたい方、
ぜひどうぞ!
定 員:先着10人
申 込:10月1日(水)9:00~
参加費:無料
持ち物:みんなで“まわしよみ”したい新聞があればお持ちください。
保 育:有り(先着8人:1歳半~就学前まで)
保育の申込みは10月10日(金)17:00までに!
「まわしよみ新聞」も「直観讀みブックマーカー」も「当事者研究スゴロク」も全部、應典院さんとのご縁から産まれました。ほんまに、ありがたいことです。
今年もやります!「應典院コモンズフェスタ2015」!
■『当事者研究スゴロクについて』(應典院「仏教と当事者研究」資料より転載)
一ノ瀬さんとの出会いによって「当事者研究」を知りました。それまではただの一度も「べてるの家」なんて聞いたことがない…という人間でしたが、『べてるの家の「当事者研究」』を読み、その「大阪人的な逆転の発想転換」に興味を覚えました。
大阪人は社交として「笑い」を用います。それは大阪が「敗北都市」として実に長い歴史を有するからです。記紀神話の時代からこの土地は連綿と敗北者が連なるまちで、長脛彦、河内王朝、物部氏、聖徳太子、孝徳天皇、菅原道真、楠正成、大坂本願寺、豊臣家、豪商淀屋、大塩平八郎、大村益次郎などなど・・・皆、大阪の地で敗北し、「浪華のことは夢のまた夢」(秀吉の辞世)の生涯を送りました。権力を産みだしますが、短命で、一代限りで潰えるのが大阪という土地の宿命のようです。自然、大阪の人々は「判官贔屓」で、敗北者に優しい。人生の価値を「勝ち負け」に置きません。そういった「勝ち負け」に拘らない「笑い」というものに価値判断基準を置く。「笑い」は権力者を笑いますが、また障害者をも笑い飛ばします。「笑い」は人生の四苦八苦を横滑りさせて、陽転させようとする実に大人のテクニックなのです。そして「この大阪人的逆転の発想転換が当事者研究にもある」というのが、ぼくなりの当事者研究理解でした。
それで大阪人が当事者研究をやると、どうなるのか?そのひとつの答えとして「当事者研究スゴロク」という遊びを考案しました。みんなで自分の「失敗」「苦労」「挫折」を書きこんでスゴロクを作り、一緒に遊んでみようというものです。一種の「人生ゲーム」です。「人生ゲーム」は出世したり、お金持ちになったりと「上っていく生き方」を目指していきますが、それが逆転していて、どんどんと「降りていく生き方ゲーム」になっています。
みんなと共に、一緒に、「降りていく人生」を、遊びましょう。
陸奥 賢(観光家/コモンズ・デザイナー)
イスラム教徒は礼拝の時間がきたら会社だろうが店だろうが雑踏だろうが、どこでも礼拝を始めるわけで、あの宗教的エトス(姿勢)には感動すら覚えます。もちろん「祈祷室」(これ、礼拝室の方が正しい気がするんですが・・・?)を作ることもええんですが、日本人のイスラム理解のためには、まちなかでイスラム教徒の宗教的エトスを見せることも効果的なことちゃうか?という気はします。
ただ、「日本人に宗教的エトスがないか?」というとじつは豊富にあるわけで。われわれは両手をあわせて「いただきます」といって食事を始めますが、一体、誰に向かって発言しているのか?・・・これは「最近どうですか?」「おかげさまです」の「おかげさま」ってのと同じで、「目に見えない存在」(それは影のような存在であり、だから御蔭様)への感謝の念が「いただきます」やら「おかげさま」という言葉の中には含有されている。
キリスト教には「原罪」の思想がありますが、日本人には「原恩」の思想があるとは社会学者の見田宗介氏の説。ところが日本人の宗教的エトス(原恩)は、あまりにも、日常の中に溶け込んでいるので(「七草粥」も「節分」も「雛祭」も完全に単なる日常生活のイベント?のようだと思われていますが、れっきとした宗教的エトス=「原恩」です)わかりにくくなっている。平気で「無宗教」といってしまうような無自覚的な宗教的エトスが、日本人の特徴であり、ある意味、凄さでもあります。聖地メッカ巡礼は500万人ですが、日本人の元旦の寺社仏閣への初詣は9000万人です。
イスラム教徒の「表に出す宗教的エトス」と触れ合うことで、日本人の「裏に隠れてしまっている宗教的エトス」が意識化されたらええなぁと思いますな。
囲碁の歴史。
■636年の『隋書』の「倭国伝」に倭人は囲碁や双六、博打などの遊びが好きという記述。正倉院には百済の義慈王が藤原鎌足に贈った碁石入れがある。701年の『大宝律令』の中の「僧尼令」には「僧尼が音楽と博戯をすれば百日の苦役。碁と琴に制限はない」。
■日本で最初に「碁」の文字が用いられたのはじつは712年の『古事記』。イザナギ、イザナミの国生みで出来た「おのころじま」は「淤能碁呂嶋」と書かれる。『日本霊異記』では僧と一般人が碁で戦い、一般人が僧を嘲ると帰路に頓死する話が登場。逆に僧が碁に負け続けて口が歪み、終生治らなかった話もある。
■804年の遣唐使には碁師・伴宿禰少勝雄(とものすくねこかつお)が随行。唐の碁師と親善交流試合などをしたと思われる。少勝雄(こかつお)という名前が良いww 同行した青年の紀夏井は少勝雄の弟子で師匠を超える碁打ちに。夏井は菅原道真とも親交があった。道真も碁の漢詩などを作っている。
■「人々みな寝ぬるのち、外のかたに殿上人などのものなどいふ、奥に碁石の笥にいるる音のあまたたび聞ゆる、いと心にくし」 清少納言の『枕草子』より「心にくきもの」。野郎どもの五月蝿い徹夜の囲碁にイライラする清少納言。嫌いやったみたいですなww
■後三年の役は清原武則の孫・真衡が囲碁に夢中になり、無視された吉彦秀武が怒って帰ったことが発端という伝説がある。まさかの囲碁トラブルで戦争w 後三年の役で功を認められた源義家は囲碁好きで、屋敷に強盗が入った時も庭で囲碁に夢中だった。
■日蓮は囲碁を好んだという伝説がある。日蓮と弟子の日朗の棋譜もあるが、じつは江戸時代後期に登場。明らかに捏造。初代本因坊算砂は日蓮宗僧侶だが、どうも日蓮宗僧侶が囲碁をブランドにしようとしたらしい。囲碁と日蓮宗の結びつきは面白い。
■北条時頼は武士の博打を禁止。「但し囲碁・将棋者は非制限」と。武士はますます囲碁に熱狂する。庶民に本格的に浸透しはじめるのは室町期以降。宋銭の流入で貨幣経済の概念が産まれてから。要するに賭博として広まった。
■中世以降、庶民階級に「数遊び」「数取り遊び」が急速に流行してくる。貨幣経済、商品経済の浸透によって庶民の中に数観念や計量概念が発達した。それが囲碁発展のキッカケ。日本最初の商業都市・堺に仙也や林利玄といった伝説的、天才的な碁打ちが登場するのも、ある意味、必然だったといえる。
■『爛柯堂棋話』より「意雲老人は後土御門帝の世、囲碁の名手なり。庵を泉南に結びて居す。みずから可竹と号す」 『爛柯堂棋話』には本能寺の変の時の算砂と利玄の三劫のエピソード、信玄と高坂弾正、真田昌幸、信幸父子の棋譜なども収録。どうも嘘くさいですが囲碁好きにはおもろそうですなw
■堺・妙国寺にも関連する僧侶・日淵は、甥の日海をまず堺の伝説の碁師の仙也に弟子入りさせて修行させ、その後、日蓮宗僧侶に出家させている。碁打ちの実力を高めて、権力者や富裕層に取り入って法華を広めようとしたらしい。茶の湯がそうであるように、囲碁・将棋などもそうした政争の道具に使われた。
■利休が秀吉から拝受した碁盤が現存している。利休には「囲碁の文」もあり、同じく堺の伝説的な碁師の林利玄が対局する碁会に参加したこともわかっている。利休と利玄と。休はやめることで、玄はまぼろし。堺の利(経済)から離れようとしたか。それとも皮肉か。自嘲か。
なんとなく西洋哲学史を勉強中。ツイッターで気になる点を投げていて、そのまとめ。古代ギリシャ哲学の始まりと終焉まで。結局、キリスト教に回収されていくんですなぁw
https://twitter.com/mutsukyoukai
■哲学のはじまりの地はミレトス。エーゲ海東側の小アジアの港湾都市でギリシャの植民地都市だった。ギリシャ神話(宗教)がそれほどまでに影響を及ぼさない。貴族ではなくて商人階級が多く、商人は即物的に物の価値判断を考える。ここから「万物の起源は水である」とする唯物論のタレスがでてくる。
■ギリシャに近いとギリシャ神話の影響で唯物論などは弾圧される。ミレトスは植民地都市かつ商業都市であり、東西交流が活発な小アジアにあった。多様な人々、多様な価値観が許容される。それがタレス、アナクシメネスなどの「ミレトス学派」を産んだ。古代ギリシャ哲学というが場所性からすると、じつはこれは「小アジア哲学」であったりする。
■クセノパネスもパルメニデスもデモクリトスもみんな植民地都市で無神論的な唯物論を展開していった。ギリシャ本国で哲学を展開するようになるのは、ペルシャ戦争で植民地がボロボロになり、商人階級がどっとアテナイに移住することになってから。いつだって辺縁から革新の文化が産まれる。
■辺縁の哲学者で面白いのがピタゴラス。彼はピタゴラス教団という宗教結社を形成した。ミレトス学派のような無神論的な立場ではない。有神論者であり、だから数を神秘的な霊数として考えて、それがピタゴラスの定理などを産む。数理は神の至芸であり、技だった。
■ペルシャ戦争でギリシャはかろうじて勝利するが、それは海軍力に勝っていたから。当時の海軍は手漕ぎ櫂船で、結局、水夫の数で決まる。水夫を集めたのは商人階級で、そのおかげで商人階級が大きな影響力を持つようになった。ギリシャの祭司階級やら貴族階級が弱まり、商人階級の支持を受けた哲学者が活躍しはじめる。
■ペルシャ戦争でギリシャは植民地を失い、商人階級はアテナイに戻る。しかし職がない。そこで植民地で得た様々な見聞録や知識体系を売って商売にする。これが「ソフィスト」の始まり。結果、哲学は「万物の根源とはなにか?」を探る自然学的立場から「アテナイをどうするか?」という社会学的視点が付与される。
■アテナイでソフィストたちが商売をはじめると、とくに政治を目指す者たちが、大衆の支持を得るため、また学識があると議論でも優位にたてると学び出した。この中から「どうすれば相手を言い負せられるか?」ということで論理、批判、反論などの「弁論術」なんかも産まれてくる。
■弁論術は哲学の政治利用で、この時期のアテナイの哲学者に大した人物はいない。論理よりも挑発、ハッタリで大衆の支持を得ることが目的となってしまい、哲学は停滞した。このときに知識ぶるソフィストたちに「私は何も知らないことを知っている」と「無知の知」を掲げて登場してきたのが大ソクラテス。
■「無知の知」を掲げたソクラテスはそれまでの自然学的な認識論者でもなく、政治学的な弁論術者でもなく、真に哲学的な哲学者だといえる。生涯、自分の知識で金を取らなかった(当時は常識だったのに)。本を一冊も書いていない。書斎ではなくて行動のひとで、当時から奇人変人で有名だった。
■プラトンは若い頃はアテナイの政治家を希望していた。しかしペロポネソス戦争でアテナイはスパルタに敗北して大混乱。衆愚政治に陥り、師のソクラテスが若者を扇動していると刑死される。プラトンは全てに失望してアテナイを去り、10年後にアテナイに戻る。そこからようやく『対話篇』を書き出す。
■プラトンが初期の『対話篇』を書いた時代はスパルタの全盛期。アテナイは敗北都市でボロボロだった。そこで全盛期のアテナイの栄光を書いた。プラトンははじめアテナイの政治家を目指し、その夢が敗れて、次に40歳前後から「歴史家」として登場してきたことは、特筆しておきべき事実。
■初期の『対話篇』を書いたあと、プラトンは南イタリア・タラスの数学者アルキュタスを訪れる。アルキュタスはピタゴラス学派で学校を運営していた。それを模範にしてアテナイ郊外に作ったのが「アカデメイア」。900年以上存続した古代ギリシャ史上最大の教育期間。
■伝説ではプラトンはタラスのあとシシリーに渡り、美青年ヂオンと愛しあう。しかしヂオンの一族に嫌われて離れることになり、その途中で囚われて奴隷に。絶体絶命のピンチに陥るが友人になんとか買い戻されて命からがらアテナイに帰ったとか。ほんまかどうかはわかりませんが、なかなか面白い伝説。
■若き頃に政治家を目指したプラトンのユートピアが描かれたのが『国家』。統治者は「善のイデア」を理解する哲人王であり、支配者階級は財産や妻子の私有を禁止して「共有」でなければならないと説く。優秀な男と優秀な女で優秀な支配者階級を維持しようと。いやあ、トンガってますなあ。プラトンはw アテナイの敗北がよっぽど悔しかったんでしょうな。
■「最も優れた男たちは最も優れた女たちとできるだけ交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちはその逆でなければならない。また優秀な男女から生まれた子どもは育て、他方の子どもたちは育ててはならない。もしこの羊の群れが優秀なままであるべきならね」 プラトン『国家』
■ギリシャがマケドニアに支配され、アレクサンドロスの東征によってヘレニズムとも交流する。ここでギリシャ哲学は大飛躍の可能性もあったが世界帝国の出現に対して「この多様な世界をどうするか?」ではなく、「この複雑な世界の中でどう生きるか?」という個人主義に陥ったのは実に惜しい。
■世界帝国出現に対してギリシャ哲学がストア派、エピクロス派といった個人主義的な哲学に内向していったのは謎だが、ギリシャ哲学が我々の想像以上にじつはポリスと密着していたということではないか?いろんな意味で基盤が揺らいでしまった。この辺りがギリシャ哲学の限界性??
■ソクラテスはアテナイの民に殺され、プラトンはアカデメイアに、アリストテレスはリュケイオンに篭った。ギリシャ哲学に対してアテナイの民ですら批判的、弾圧的だった。哲学への無理解。これでは世界帝国の哲学たり得ない。後代がギリシャ哲学を買い被りすぎているということなのかも知れない。
■事実、アリストテレスは弟子のアレクサンドロスに対してポリスをいかにどうするか?という教えしか出来なかったらしい。世界帝国をいかにどうするか?といった提言はただの一度も無かった。アレクサンドロスは古臭いアリストテレスを疎ましいとすら思っていた節があるとか。そりゃそうでしょうな。
■アレクサンドロスによってギリシャ(地中海文化圏)はヘレニズム(インダス文化圏)と混淆する。海の文化と陸の文化の混淆。ギリシャ哲学は反宗教的、無神論的であったが東方ヘレニズムの神秘主義的な宗教と混じることで有神論的になる。新プラトン派のプロティノスの「一者」などはその影響。
■プロティノスはイデアの源泉ともいうべき「一者」を説き、さらに一者との合一による「エクスタシス(恍惚)」を説いた。プラトンはイデアを説いたがイデアとの合一なんてのは説いてない。このへんがプロティノスの神秘主義的傾向であるし、この「一者」概念からキリスト教の「神」概念はとても近い。
■プロティノスは生涯に4回、エクスタシスを経験。弟子のポルピュリオスは生涯に1回だけエクスタシスを体験。なんやそれ?ですなw ここまでくると哲学なのか?宗教なのか?ようわからん。ソクラテスやプラトンにエクスタシスはない。プラトン主義とヘレニズム神秘主義の混淆。そういう意味でいえばプロティノスは面白い。
■紀元1世紀のローマは支配層はギリシャ哲学の流れを組む個人主義的倫理学をやり、しかし民衆や奴隷はミトラ教、イシス教などの東方ヘレニズムの妖しい秘儀宗教を信奉していた。そのあいだに登場してきたのがキリスト教。キリストは高い倫理性とオープンな儀式性で両者を結びつけ、世界宗教化していく。
■プロティノスは一者とのエクスタシスを説いたが、これは上昇志向的なものといえる。逆に下降志向の哲学もあって神が民衆に降りてくるというもの。これがグノーシス派の特徴。秘儀をやることで神とのエクスタシスを説いた。ネオプラトニズムもグノーシスも初期キリスト教に多大な影響を与えている。
■新プラトニズムもグノーシスも東方ヘレニズムの神秘主義の影響を受けたとはいえ、やはり哲学で、だから、やがてキリスト教からは排撃されていく。神学者テルトゥリアヌスは「不合理なるがゆえにわれ信ず」と叫び、ネオプラトニズム、グノーシス的な知識によってキリスト信仰を説くスタイルを批判した。
■テルトゥリアヌスは「殉教者の血は教会の種」だとか「三位一体論」だとか、ある意味、反知性主義の神学者でキリスト教グノーシス派は異端視していった。ただ、クレメンスやオリゲネスなどのアレクサンドリア系神学者は逆にネオプラトニズム、グノーシスの知識体系をキリスト教に同化、転用していった。
■終末論と救世主を説くユダヤ教+イデアを説くギリシャ哲学の知識体系+東方ヘレニズムの神秘主義的な秘儀宗教の3つがアレクサンドリア大王の東征で結びついて民族、国家、文明やらが混淆されて熟成された結果、キリスト教が世界宗教化していく。ああ。これでようやく初期キリスト教の歴史的成立背景が説明できるぞw
■アウグスティヌスはネオプラトニズムでキリスト教を説明する。「人間の心の中にはイデアはあるが、この原因は我々自身ではなく神から与えられたもの」と説く。人間は徹底して無力で最高の真理は信仰によってのみ可能となる。「信ぜよ、さらば理解されよう」。人間の知を信じたギリシャ哲学の終焉。
■アウグスティヌスは若い頃は遊びまくったそうで私生児も産んでいる。さらに東方神秘主義のマニ教の信者だった。それがネオプラトニズムと出会い、ついにキリスト教信者へと至った。『告白』は若さ故の過ちの懺悔録だが、いってみれば「キリスト教と出逢ってこんなに素晴らしい人間になれた!」という宗教洗脳本の元祖w
■「不合理なるが故に我信ず」のテルトゥリアヌス、「信ぜよ、さらば理解されよう」のアウグスティヌス。ギリシャ哲学とキリスト教を結びつけた教父哲学者たち。要するに知識と信仰の関係性の問題に取り組んだわけだが、答えはすでに「キリスト教万歳!」なわけで、だから哲学としてはさほど面白くない。
■アウグスティヌスが430年に亡くなり、476年にはゲルマン民族の襲撃によって西ローマ帝国は滅亡。プラトンのアカデメイアは東ローマ帝国内にあったが非キリスト教的であるとして皇帝の命令で529年に閉校される。俗にいう哲学が「神学の下女」となった時代。これは中世の幕開けでもある。
■明らかに古代の方が科学的で中世の方が迷信的であったのは天動説、地動説のエピソードからもわかる。古代ギリシャの哲学者は地動説を理解していたが中世のキリスト教信者は神が作った地球こそが宇宙の中心と天動説を唱えた。科学が敗北して宗教が勝った。なぜそうなったか?このへんの「知の反動」の歴史はなかなか興味深い。
「RE:神戸~見立て遊び計画ツアー~」が「KOBEデザインの日 記念イベント2014」に選ばれまして、10/18(土)、19(日)にツアーを実施します!パンフもできて、神戸市の公式サイトでも案内がでました!またFBでイベントページを作りますが、ご興味ある方はぜひともご参加してください~m(_ _)m
■RE:神戸下町~まちの隠れ空間見立て遊び計画~
神戸の知られざる下町に隠れるびっくりスポットを巡り、そこの特徴やポイントを「見立て遊び」(名付け)しようというデザイン・ツーリズム。皆さんが名付けた素晴らしい「見立て遊び」は看板化&設置されます!みんなで下町を遊びましょう。
〈第1回 見立てツアー〉
日時:平成26年10月18日(土曜)10時~14時
場所:JR新長田駅(10時集合)
定員:20名(先着順)
参加費:3,000円(食事代込)
〈第2回 見立てツアー〉
日時:平成26年10月19日(日曜)10時~14時
場所:JR兵庫駅(10時集合)
定員:20名(先着順)
参加費:3,000円(食事代込)
【申込み・問合先】
神戸デザイン・ツーリズム実行委員会
電話:078-671-1939
メール:citamatiretro@gmail.com
■「KOBEデザインの日」記念イベント2014 市民とデザインをつなぐイベントの開催
http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/design/event/designdayevent.simin_and_design2014.html
神戸市では、神戸の資源や魅力をデザインの視点で見つめなおし、磨きをかけることにより、新たな魅力と活力を創出し、くらしの豊かさを創造する都市戦略「デザイン都市・神戸」を推進しています。アジアで初めてユネスコ・創造都市ネットワークの「デザイン都市」に認定された記念すべき日(平成20年10月16日)を「KOBEデザインの日」として、毎年、市民のみなさまにデザインを身近に感じ、親しんでいただけるような記念イベントを開催しています。今年は、10月の1か月間に市内各所において「市民とデザインをつなぐイベント」を開催いたしますので、ぜひご参加ください。
来週の9月27日(土)ですが「AAT(淡路島×アート×タヌキ)トークセッション」のゲストとして社会企業家のJ・ムーアさんと一緒にトークイベントを行います。ホストは「洲本狸千年マツリ」プロジェクト監修アーティストの林遼児くん。
ジョン・ムーアさんはカンヌ国際広告賞、電通社長賞などを受賞したコピーライターですが「在来種」を守るといった環境問題の第一人者です。
■社会企業家ジョン・ムーア ナチュラルクエスト インタビュー
http://naturalquest.org/flash/interview_06.html
「在来種」「里山」「環境」といったムーアさんの視点から「淡路島」「アート」「狸」とを紐解いてみよう!というかなりロックなトークセッションです。ご興味ある方はぜひともご参加してください~!^^
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【9/27】AATトークセッション2014 vol.1(ゲスト:J・ムーア、陸奥賢)】淡路島×アート×タヌキ=!? Awajishima×Art×Tanuki
https://www.facebook.com/events/1506679759579962/
「AATトークセッション2014 」vol.1
○ゲスト:
ジョン・ムーア(社会起業家/コミュニケーションディレクター)
陸奥賢(コモンズ・デザイナー/観光家)
○ホスト・アーティスト:
林僚児(「洲本狸千年マツリ」プロジェクト監修アーティスト)
主旨:
昨年にひきつづき今年もスタートします!淡路島・洲本に伝わるタヌキの物語りにアートの力を掛け合わせ、島をもっと愉快に元気にしようとする試み「洲本狸千年マツリ」プロジェクトの可能性をさぐる「AATトークセッション」シリーズ。
2014年の第1回ゲストはなんと、元パタゴニア・ジャパン社長などのキャリアを経て、現在は「在来種」をテーマに活動されているジョン・ムーアさん、そして昨年に引き続き、コモンズ・デザイナー/観光家の陸奥賢さんのおふたり。もちろん今回もホスト・アーティスト、林僚児が迎えます。在来種、里山、環境、はたまたどんな所に話が転がってゆくか…予測不能の洲本タヌキ会議、どうぞお見逃しなく。
○プロフィール
John Moore(ジョン・ムーア)
1951年 アイルランド生まれ。一般社団法人SEEDS OF LIFE代表。電通、パタゴニア・ジャパン支社長、コスモ・コミュニケーションズ役員等のキャリアを経て、現在は高知県を拠点に、今まさに失われつつある「在来種」を守り育み、次世代に受継ぐことを目指し、環境教育やコミュニケーション・ワーク、ブランディングや起業支援などさまざまな角度から活動している。
http://www.seedsol.org/
陸奥 賢(むつ さとし)
1978年 大阪生まれ。観光家/コモンズ・デザイナー。
大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞、直感讀みブックマーカー、大阪モダン寺巡礼などを手掛ける。日常的な仏事をブリコラージュして世界観そのものを揺さぶる「現代観光」を提唱。應典院寺町倶楽部専門委員。NPOまちらぼ代表。2014年より「洲本狸千年マツリ」プロジェクト参加アーティスト。
林 僚児(はやし りょうじ)
1978年 長野県生まれ。沖縄・コザを拠点に「スタジオ解放区」を設立し、活動。2013年9月から11月まで「淡路島アートフェスティバル2013」に招聘アーティストとして参加。地域や島外の参加者を巻き込みアートプロジェクトを展開。「洲本狸千年マツリ」プロジェクトとして現在も継続中。
日時:
2014年9月27日(土)
17:00〜19:00(16:00開場)
会場:
233(洲本市本町コモード56商店街内)
http://5-233.net/
定員:20名
参加費:無料
協力 淡路はたらくカタチ研究島
共催 NPO法人 淡路島アートセンター
主催 生きがいしごとサポートセンター神戸西
○お問合わせ
NPO法人 淡路島アートセンター
090-5252-4520(担当:イトカワ)
青森県の日刊紙「東奥日報」の三上さんがじつに面白い新聞を作ってくれました!なんと「まわしよみ新聞の新聞」ww 文字通り「まわしよみ新聞の体験・感想などを新聞にした」というものです。さすが新聞人です。「第三種郵便物不認可」とか芸が細かいですww これはほんまにやられました・・・三上さん、ありがとうございます~!^^