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「死野」から「生野」へ

2014 年 11 月 3 日

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『播磨國風土記』の「神崎郡生野の条」にこんな記述があります。「所以號生野者 昔 此處在荒神 半殺往来之人 由此號死野 以後 品太天皇 勅云 此爲悪名 改爲生野」。意訳すると・・・「生野」という土地には昔から荒ぶる神がいて、往来する人間の半分を殺すので「死野」と呼ばれていたが、応神天皇がこれは悪名だからと「生野」と変えた。

「荒ぶる神」がなにを意味するのかは不明ですが、これは「鉱毒」ではないか?という説があるとか。旅ゆく人の半分が倒れるほど、酷い鉱毒が充満する土地で、まさに死の土地だった。その「死野」の山が、日本でも有数の銀山であることが判明したのは9世紀の初め。それから20世紀の半ばまで約1200年の長きに渡って無数の鉱夫たちが坑内発掘という危険な作業に従事し、鉱毒や落盤事故などで死んでいきました。なによりも驚くのは鉱夫たちの平均寿命で、なんと30歳前後だったといいますから、現在のブラック企業なんて足元にも及ばないぐらいの超絶劣悪な労働環境だったと推測できます。実際に生野を歩いていて感慨深しかったのは、宗派が違う寺が8つも集まるエリアがあったこと。日本全国各地から「流れ者」の鉱夫が多数集まって、短命で亡くなり、その供養のために「寺町」まで作られたわけですな。

「流れ者を受け入れるまち」が、ぼくは大好きで。今回、生野ルートダルジャン芸術祭に「直観讀みブックマーカー」で参加しましたが、まちのみなさんが、やたらとヨソモノ(アーティスト)に対して優しい。度量が大きい。これは上記の「死野の物語」が有する歴史性、風土性が産んだまちの性格なのかも知れません。滞在は2日間のみでしたが、とても楽しく、面白い時間を過ごさせていただきました。またぜひとも遊びにいきたいですな。生野のみなさん、アーティストのみなさん、ほんまにありがとうございました!m(_ _)m

最後に宣伝ww 「生野ルートダルジャン芸術祭2014」は11月9日まで。文句なしに、素晴らしい芸術祭です。この機会に遊びにいってみてください!^^

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