大阪・空堀が誇る市民ミュージアム「直木三十五記念館」のK事務局長の案内で知りました。ぼくは行けないですが、希望の方は申し込んでみてください。最初で最後の公開で、これを最後に取り壊すそうです。大阪・田辺にあった開高さんの実家に続いて、これまた、あまりに惜しい・・・。
【旧直木三十五邸を一般公開します。見学者募集中。】
富岡に、作家・直木三十五が設計したとされる昭和8年築の住宅が残されています。この富岡の家を知る菊池寛が「不便な個所が多くてこっけいだよ」と大仏次郎に笑って話したというエピソードがあります。直木が亡くなった後は増改築されましたが、当時の面影を今に伝えています。今回、老朽化等でこれ以上の維持や市での保存活用が難しいことから、取り壊されることになりました。建物所有者の方からのご厚意により、取り壊し前に一般公開をします。見学を希望される方は、往復はがきでお申し込みください。
●日時 6月26日(日)午前10時~午後3時
●場所 旧直木三十五邸(富岡東4-1-23 慶珊寺裏)(京急富岡駅東口下車徒歩14分、金沢シーサイドライン鳥浜駅下車徒歩14分)
●対象・定員 100人(多数抽選)
●参加費 無料
●申込方法 往復はがきに見学希望者全員の郵便番号、住所、氏名、電話番号を記入の上、申込先まで。1枚のはがきで2人まで申込可。返信用はがきに宛先明記のこと。
●申込締切 6月17日(金)消印有効
●その他
・敷地と外観の公開になります。内部は公開されません。
・駐車場はありません。車での来場はご遠慮ください。
・申込結果通知(返信はがき)は6月23日(木)発送予定です。
・ゆっくりご覧いただくため、返信時に見学時間を指定させていただく場合があります。ご了承ください。
●申込・問合せ
〒236-0021 金沢区泥亀2-9-1
金沢区役所区政推進課「旧直木三十五邸一般公開担当」
電話:788-7726 FAX:786-4887
無事に法案が通りました。日本のNPO活動と寄付文化の拡大を。市民、民間、地域コミュニティが、NPOを支える社会に一歩近づいたようです。
改正NPO法成立(OurPlanet-TVより)
NPO法人へ対する寄付に対して税制上優遇する範囲を拡大する改正NPO法が 15日の参院本会議で全会一致で可決、成立した。寄付文化の定着と財政的に厳しい環境に置かれている日本のNPOの組織基盤の向上にむけて、一歩前進した。
今回、NPO法改正は、寄付に対して税制優遇を受けられる「認定NPO法人」を大幅に増やすことなどが目的で行われたもの。これまでは「事業収入のうち寄付が5分の1以上」であることなどが認定要件だったが、事業型のNPOの多くが認定を受けられないため、全国約4万3千のNPO法人のうち、認定NPO法人は215とわずか0・5%に留まっていた。
このため、今回の改正案では「3千円以上の寄付をした人が100人以上」いれば、認定NPO法人になれるなど認定要件を拡大。また、認定の権限を国税庁から都道府県と政令指定都市に移し、手続きを迅速化する内容となっている。
一方、寄付をした人が、寄付した金額だけ税額控除できる寄付優遇税制の拡大も、16日に衆院を通過し、今国会中に成立する見通し。新たな税制が導入されると、税金を支払う代わりに、NPO法人に寄付をする人も現れると見られ、NPO法人の裾野を広げ、寄付文化の拡大につながるとされる。
国会での改正案成立後、衆議院第二議員会館で記者会見が開かれ、NPO法改正に取り組んできた超党派の議員が結集。手をつないで集合写真を撮るなど、厳しい与野党の攻防から離れ、なごやかな雰囲気に包まれた。NPO法議連で改正に取り組んできた辻元清美議員は「自分たちの地域とか行政とか社会とかを変えていく、デザインを変えるのが寄付。社会や政治が変わると思う。」と挨拶。また、会長の加藤興一議員は、「半分達成できた。市民活動法という名称になるようがんばりたい」と今後への期待を述べた。改正NPO法は来年4月1日に施行される。
現在「大阪あそ歩’11春」のアンケート、予約率、参加率などを集計中。また予約率が凄まじく、100パーセントを超えやそうです。大体、あそ歩のまち歩きは1回につき定員15名なんですが申し込みが16名、17名、18名と来て「キャンセル待ち」の状態になります。すごい人気となると「キャンセル待ち10名」なんてコースも出てくる。それで予約率が100パーセントを超えてしまう・・・というわけです。いっぺん参加すると、はまってしまう人もようさんいて、そのリピーター率も凄まじい。本当に感謝です。
韓国は、あまり知られてませんが、全国民のおよそ5分の1がソウル市民で、およそ半分が首都圏在住という状態だとか。日本以上に首都圏一極集中が進んでいる国家で、東京ばりにソウルの状況も、やばい。
釜山観光協会のEさんは、しみじみと、いいました。
「ソウルには本当の韓国はなくなってしまった。国策で作られた都市だから。しかし釜山には本当の韓国が残っている。それが我々の誇りだ」
NYや上海や釜山のまちを歩いて思ったことは町中、ゴミだらけ。いかがわしい勧誘チラシが乱舞して、路上には不法の屋台が出て、猥雑で、汚い。しかし、やたらと酒と会話と歌と音楽が溢れ、バイタリティに満ち満ちて、人間はすこぶる暖かかった。押し付けがましいほどに(笑)
改めて「まちとはどうあるべきか?」 そう考えるキッカケになりました。どこにいっても、チリひとつ落ちてない清潔な都市とやらが、人間の血が通った、真実の生活の場として、本当に正しい姿なのかどうか?
NYの肝っ玉かあちゃんのジェイン・ジェイコブズは「スラム街のどこが悪い!」と叫んで、清濁併せ呑む都市の多様性を訴えました。実際に江戸時代の大坂には、天下の富が集積する船場もあれば、天下一の花町の新町もあれば、死刑場の千日前もあれば、スラム街の長町もありました。都市の器(度量)の大きさでいえば、いまの大阪は矮小で狭量です。どこのまちも画一化されて、ゾーニングされて、個性を失って、面白くない。それでも日本の他都市に比べたら大阪は随分とマシな方だと思ってますが…。
大阪は大坂に負けている。じつに残念な事実。これからの大阪に必要なのは、まちの多様性(これは可能性と同義語ですから)を復活させること。そのために、ぼくは仕事します。
小西来山之墓。小西来山は、元禄期の俳人です。「お奉行の名さえ覚えず年暮れぬ」「涼しさに四ツ橋を四つ渡りけり」などの句が有名です。
最近、ぼくは来山の生涯に興味を覚えていて、この人、住まいは当時、日本最大のスラム街だった長町(現・日本橋)の果て。墓も長町近くの海泉寺にあります。バブル経済に狂喜乱舞していた元禄大坂へのアンチテーゼを貫いた人物だったようです。
ちなみに海泉寺は、新世界で行われた第5回内国勧業博覧会の「人類館」で見世物になったアイヌ人たちの宿泊所として利用されたことがあったようです。見世物になった琉球人、清国人は「見世物にされた!」と激怒しましたが、アイヌ人たちは「ええ賃金になる」と平気だったとか(そういう日記が残っているそうです)。
教科書にも出てきませんし、日本人の多くは知りませんが、大阪のまちの人は、「人類館事件」を決して忘れていません。
かつて大阪七墓のひとつ「葭原墓地」(天満砂洲。いまの天神橋筋六丁目界隈です)にあった「沖向地蔵尊」。古代、中世は、ここから西の海に沈む夕陽を拝むことが出来たんでしょう。人々はこぞって集い、その光景に涙した。奈良や京都には海がなく、江戸は海は東にあり、西にあるのは山(富士=不死)でしたから。中世日本の歌人は、その大阪の風景を「西方浄土」と呼びました。
契りあれば
難波の里に
宿りきて
波の入り日を
拝みつるかな
(藤原家隆)
太陽と海。その美しさは洋の東西を問いません。普遍的な美なんでしょう。実際に仏蘭西の天才詩人は、それを「永遠」と叫んでいます。
「見つけたぞ!」
「何を?」
「永遠を!それは太陽に溶ける海」
(アルチュール・ランボー)
じつは大阪は、太陽信仰の聖地なんです。海上に浮かぶ夕日に彩られた宗教都市。その敬虔な、素朴な、民衆の祈りを、復活させたい。まち歩きは、そんな願いを込めながら、やってます。
祭とイベントの違いは「祈り」の有無にあると思ってます。祭は世代を越えて受け継がれていきますが、イベントは刹那に終わる。長く続く、本当のまちづくりをしようと思うなら、イベント的手法は失敗のもとで、祭的手法を取ることです。世の中には経済効率一辺倒の、金儲け主義のまちづくりイベントが蔓延っています。いずれ淘汰されると思ってますが。そこに祈りがあるか?神が宿るか?ぼくは、これからも、そこに注視していきます。
もうひとつ。世の中には祭を知らない人があまりにも多すぎます。神輿、地車、枕、山車を担いだことも、曳いたこともない。カメラを担いで祭を撮影しても、なんの意味もありません。それは祭の傍観者に過ぎないですから。祭の当事者にならないと。祭を知らないから、まちの背景や文化や歴史や流れが、生きているまちの血肉が、体感としてわからない。祭をやると、まちの認識が、世界の見え方が変わります。氏子=神の子になったことがない。至極、残念なことです。