「関一の大大阪」「小林一三の阪神間モダニズム」「堺屋太一の大阪万博」・・・「大阪」を変えた天才たち。偶然ですが、みんな名前に「一」がつくんですな。
ぼくは、それぞれが、それぞれの時代の中で、最大最高最上の仕事をしたと思っています。しかし、時代の趨勢で、すべてが古い都市モデルになってしまいました。その弊害や矛盾相克に苦しめられているのが現在の大阪です。大大阪はメタボリズムな官僚主義を産み、阪神間モダニズムは職住分離と都市流民を発生させ、大阪万博は一過性イベントの蔓延と、それに依存する無責任なイベント産業を増長させてしまいました。その亜流、真似事の都市構想、都市計画、都市イベントは今も続けられていますが、何もしても成功しません。定着しない。
結局、個人(天才、啓蒙家)の強烈なイデオロギー(正義体系)によって都市が構築される時代は終わったということなんでしょう。関一も小林一三も堺屋太一も、ぼくは尊敬していますが、現代社会では、残念ながら通用しません。要するに大阪はトップダウンではなくボトムアップしかないんです。大大阪も阪神間モダニズムも大阪万博も、すべては一夢の幻でした。魔法が解けてしまった。それは喜ばしいことであるとぼくは思ってます。そこから新しい大阪が構築される。
2月7日に「西高野街道ウォーキング徹底ガイド」が「西高野街道観光キャンペーン協議会」(堺市、大阪狭山市、河内長野市など)発行で出ました。「これが一冊あれば、西高野街道のことなら何でもわかる!西高野街道マニアになれる!」といっても過言ではないぐらいに情報量があります(笑)
価格は100円で、入手は「堺市観光部」(072-228-7493)または「河内長野市商工観光課」(0721-53-1111)または「大阪狭山市農政商工グループ」(072-366-0011)にお問合せしてください。そないに部数を刷ってないので、ほしい方はお早めに!
これはほんとに大変な仕事でした。去年の春から半年ほどかけて西高野街道起点の堺市から終点の高野山女人堂まで、全52キロをすべて踏破して、取材して、執筆させていただきました。「30歳までに、なにか一冊、良い本を作りたいなあ」と思っていたのでギリギリで間に合いました。
次は「大阪」をテーマにしたガイド本を作ってみたいと思っております。
「年齢を3で割ると、それが人生の24時間になる」という話を聞きました。
例えば21歳なら朝7時。ようやく太陽が地平線の彼方から顔を出す。60歳なら夜20時。もう太陽は沈み、ディナーも食べ終わり、あとはお酒を片手に、夜が静かに更けていくのを待つばかり。
ぼくは現在31歳。これは午前10時20分。中空に向かって太陽は懸命に上昇していく。
さて、あなたは、いま何時?
國破山河在。国破れて山河在り。
杜甫は偉大です。
国家に殉じる人間は哀しい。
ぼくらは山河に生きるべきです。
ぼくはナショナリズムには懐疑です。
パトリオティズムに希望をもっています。
まち歩きは、パトリオティズムの覚醒です。
「つゆと落ち つゆと消えにし 我が身かな なにわのことは 夢のまた夢」といえば関白太政大臣・豊臣秀吉公の辞世句。その秀吉の誕生日が、じつは2月6日です。
関西の祭や寺社仏閣を取材していると秀吉、豊臣家ゆかりのものがわんさかと出てきます。たとえば大阪天満宮の天神祭の太鼓は秀吉が奉納したものと伝えられるし、全国三大山車祭の滋賀県・長浜曳山祭も秀吉の子供の誕生を祝ったことが由縁とか。
また淀殿と秀頼は秀吉の冥福を祈るため、数多くの寺社仏閣を再興しました。列記しますと四天王寺、住吉大社、誉田八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、叡福寺、観心寺、聖神社、北野天満宮、醍醐寺、東寺、石清水八幡宮、鞍馬寺、相国寺、中山寺、西宮神社、薬師寺、法華寺、出雲大社、伊勢神宮宇治橋など。これは「豊臣家の勢力を削ごうと徳川家康が寄進をそそのかした」という歴史的背景があるんですが、ちょっとした名所巡りですわ。
大阪にとって秀吉は所縁の深い人物です。大阪城はもちろん、現在に繋がる商都・大阪の基礎(船場の整備)を作ったのが秀吉ですから。しかし、そのわりに「秀吉の誕生日を祝う祭」が大阪にはないようで、ちと寂しい限り。まさに「なにわのことは夢のまた夢」状態ですな。
ちなみに江戸は家康が整備したように思われがちですが、それはちょっと訂正がいります。というのも、駿河にいた家康に対して「関東に拠点を構えなさい」と移転を命じたのは秀吉ですが、当初は家康は北条家の旧領地だった小田原城(神奈川県)に入ろうとしていました。ところが秀吉は「小田原なんてやめて江戸にしなさい」と諌めるんですな。
当時の江戸は何もない原っぱで、こんなところに都市が作れるか!と当初、家康は秀吉の嫌がらせと認識したようですが、秀吉は「城攻めの名人」ですが、また「城作りの名人」「町作りの達人」なんです。天然の良港と広大無辺の武蔵野を持つ江戸(東京)の大都市発展への地理的優位性を、北条家や家康よりも、誰よりも真っ先に悟っていたんですな。家康も秀吉に言われて、しぶしぶ江戸に居を構えて町作りをすると、この土地の可能性は素晴らしいと認識を改めます。それと同時に秀吉の都市計画の才能にも舌をまいたことでしょう。
「大阪」「東京」という世界的大都市の土台を築いた秀吉の天才は、もうちょっと知られていいかも知れません。
皇學館大学名誉教授、住吉大社の真弓常忠宮司から直々に御本を頂戴いたしました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4886021875
http://www.sumiyoshitaisha.net/outline/message.html
住吉の神はどこで誕生したのか。多様な祭りの意味するところは何か。住吉大社の宮司がその奥深い信仰の森にわけ入り、日本人の心の源流に触れる。住吉神の発祥、近世における住吉信仰、住吉大社の祭り、埴使の謎などで構成。
勉強させていただきます。
http://www.yushodo.co.jp/press/meotozenzai/index.html
読みました。「オダサクの幻の続編」ということですが、あの大阪人の心の名作『夫婦善哉』に、とってつけたような続編だったら凹むなぁ、と思って、本はずいぶん前に買ってはいたものの、なかなか読まなかったのですが、ついにとうとう読みました。
正編からちゃんと読んでみたら、じつは続編の別府行きは正編から複線が張られていて、最初から最後まで、オダサクの中では、ちゃんとプロットが練られていたことに気づかされました。驚きましたねぇ。正編で一端、筆をおいたわけですが、すでに別府行きの続編は最初から想定されていたんですな。優れた作家って、ここまで用意周到に物語を準備しておくんやなぁ、と感心しました。
続編も軽いタッチで終わってます。「午年同士で午が合う」なんて落語みたいなサゲです。しかし、正編のラストシーンの、蝶子と柳吉が夫婦善哉を食べて
「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。
・・・これほどのオカシミ、軽妙洒脱には至っていません。続編は、正直、ちょっと重い。時代の空気のようなもんでしょうか。それはそれで興味深いんですが、オダサクが続編を書き上げておきながら、あえて公開しなかった理由も、よくわかります。
面白かったのが、別府人は、大阪人に非常に親近性を持っているとか。その昔、別府に湯治で遊びにくる人の半分以上が大阪人だったそうで、大阪・天保山から船で出て、一晩寝ると別府につく。別府人からすると大阪は隣町のようなイメージなんだとか。これは別府オンパクを体験したオダサク倶楽部の井村先生から聞かされた話です。なるほどなぁ。
この距離感は、例えば夏目漱石の『坊つちやん』の「東京育ちの清」と「松山に赴任する坊つちやん」の距離感とはずいぶんと違います。訳ありの、大阪の男と女の、定番の不倫旅行先、駆け落ち場所・・・大阪と別府は、そういう都市関係にあった。そういう雰囲気の中に、続編はあります。舞台設定の妙ですな。これはこれで、非常に味わい深いものでした。
http://eventology.org/1/2008_12_25_archive.html
行ってきました。ぼくはイベント的発想やイベント的現象に懐疑的で、なんでもかんでもイベント化しつつある社会に危惧を感じます。イベント化とは端的にいえば一過性です。一過性はまた無責任と表裏一体です。
歴史や文化、文明は水平軸の存在です。連綿と続いて、連続して、持続発展していくサスティナブルなものであるのに、それを垂直型に唐突に割り込もうとするのがイベントです。一時的には、社会のある一面を極端に照射しますが、それが社会の土壌に根付くことは非常に難しい。イベントは常に一過性で終わる。だからでこそイベント(出来事)といいます。
例を出します。ぼくは民主主義を信じています。しかし民主主義を実現するための「選挙制度」には懐疑的です。選挙制度は何月何日に立候補者が公示されて、何日間か選挙演説を行って、投票日になると有権者が投票行為を行って、多数票を獲得したものが政治家という立場で民主政治を代行します。アメリカ大統領選挙のような長期間行われる選挙制度もありますが、基本的にはこれは一過性の現象でイベントといえます。
近代の議会制民主国家の多くは、選挙制度というイベントの結果で民主政治を実現しようとしてきました。しかし、それで果たして民主政治をどれだけ実現することができたのか?新聞の内閣支持率調査を鵜呑みにするわけではないですが、それでも支持率15パーセントの首相が存在するのはどこかシステム、制度として欠陥があるのでは?と思わざるをえません。
オバマ氏がアメリカ大統領に選ばれましたが(現在80パーセント近い支持率だそうですが)、大統領の任期期間は「4年間」で、この4年間が、じつは一過性です。また大統領選挙でも支持基盤向けに大げさなリップサービスや、明らかな利益誘導、大衆迎合のパフォーマンスが行われました。オバマ氏を攻撃するわけではないのですが「チェンジ!」は公約でもなんでもないです。なにもいっていないに等しい。これはただの選挙向けのパフォーマンスです。それに大衆が踊らされて雰囲気や勢いで大統領が決まる。一歩間違えれば恐ろしいことと思いませんか?
要するに「選挙制度」や「任期」というイベント的発想や手法が民主主義を歪めてしまっているんです。ぼくが基本的にノンポリであるのは、こうした政治システムに対する根底的な疑問があるからです。現在の政治はイベント的事象であって、ぼくらが生きる大地(社会、歴史、文化、文明、宗教、地域、家族、血縁、地縁)に根ざしたものではない、という思いがあるからです。ぼくらはぼくらのやり方で、民主主義社会を実現しないといけません。その方法論は選挙や任期といった政治システムの改良ではなくて、政治という範疇を凌駕する「まつりごと」だろうとぼくは思っているのですが、さて、では「まつりごと」とは一体なにか?…この話をすると滅茶苦茶長くなるので割愛します(笑)ただ、ぼくはいま真剣、必死になって「まつりごと」をやっていきたいと思ってます。まじめに。そして多少の遊び心をもって。
なんでもかんでもイベント化する現象は今後も続いていくようです。既存社会が閉塞的状況に陥っているので、それをイベント的手法で誤魔化そうとする人々があまりに多いからです。しかしイベント的手法で社会を変革することは不可能で、むしろ事態は悪化していく一方でしょう。自民党がダメだからと民主党に政権を任せても、おそらくあまり事態は変わらないです。イベント(選挙制度)に期待してはダメなんです。ぼくらのライフは、誠実に、一歩一歩、日々を積み重ねていくものだから。親から子に伝わるような、遺伝子のような、「まつりごと」を残さないと。
以上は、イベント学会に参加して、名だたるイベンター、イベント・プロデューサーの方々と話をして思ったことです。皆さんも同じような危機意識はお持ちのようでしたが。
http://www.kare-tenpuraudon.com/
メニューは「カレー天ぷらうどん」「カレーうどん」のみ。 絶品でした。
福田定一。学徒出陣で陸軍に徴兵されて満州へ。訓練だと意味もなく平野を走らされ「こないなもん何の役にも立てへんわ!アホちゃうか!」と大阪弁で大声で喚きながら走ってた。同僚の東北の学徒は無言で黙々と走りながら「大阪の人間は得体が知れない」と戦々恐々としていた。
これが後の司馬遼太郎。