【報道発表資料】「大阪あそ歩(ぼ)’09秋」がいよいよ始まります! ~大阪は‘まち’がほんまにおもしろい!~http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/yutoritomidori/0000050784.html
大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会(構成団体:大阪市、大阪商工会議所、水都大阪2009実行委員会、(財)大阪観光コンベンション協会)では平成21年10月17日(土)から11月30日(月)まで“まち歩き”や“まち遊び”で大阪を楽しむ「大阪あそ歩(ぼ)’09秋」を開催します。この秋は、「まち歩き」68コース、「まち遊び」7プログラムの充実した内容になります。
「大阪あそ歩」は、「大阪は‘まち’がほんまにおもしろい!」をキャッチフレーズに、市民自らがガイドとなり、地域の人たちが大切にしている街の表情を紹介しながら、「じぶんのまち『大阪』はええとこや」と自信をもって、訪れる方々をご案内する取り組みで、多くの市民の方々と協働し、昨年秋の試行実施、今春の本格実施と実績を重ね、好評を得てまいりました。
この間、参加者だけでなく、申込み、問い合わせの件数も順調に推移し“まちあるき”に対する関心や気運が高まってまいりました。今後も、大阪あそ歩を通じて、大阪の街のおもしろさ、歴史を掘り起こし、新たな大阪の魅力を内外に広く発信したいと考えています。さらに、地域における市民レベルでの様々なまちあるき活動を活性化させることで、全市域的なコミュニティ・ツーリズムの盛り上がりにつなげてまいります。
~「大阪あそ歩(ぼ)’09秋」の概略~
今回、催行されるコースは市内全区に広がり、そのコース数は全国の市町村の中で最多となります。
式内社(名神大)・河内国一宮・官幣大社・別表神社の枚岡神社。朔日祭ということで、中東宮司さまとの直会にご参加させていただきました。
枚岡神社は、社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)に天種子命(あめのたねこのみこと)が、神津岳に祖神・天児屋根神を祀ったのに始まるとか。この神津岳が平らな丘であったことから「平岡(枚岡)」という社名の語源にもなっているようです。
天児屋根神といえば中臣氏(のちの藤原氏)の氏神さまですが、しかし記紀神話によれば、神武天皇が東征したさいは、このあたりは天孫族ニギハヤヒが治めていた地帯でした。このニギハヤヒは物部氏の氏神さまですから、枚岡神社界隈は、元々は中臣氏ではなくて、物部氏の所領地であったかも知れません。物部氏が蘇我氏・中臣氏との争いで没落してから、その所領地を中臣氏が治めることになったのでしょう。ちなみに枚岡神社の所在地を見てもらうと一目瞭然ですが、ここは難波宮(上町台地の北端・現在の大阪城付近)と平城京の東西ライン上にある神社で、ここを押さえれば、難波と奈良を手中に入れたも同然という地政学上、非常に重要な地点になります。
「物部氏との争いに勝利しますように」という聖徳太子の戦勝祈願によって四天王寺が建立されたように(おそらく四天王寺以前の古墳=荒陵山も物部系の所有地だったと推測してます)、物部氏と蘇我氏の権力闘争は、古代大阪の都市形成に、非常に大きな痕跡、影響を与えています。
大阪あそ歩とLLP YUI企画、Why don’t you”能”?実行委員会、高安ルーツの能実行委員会とのコラボレートで、大阪・四天王寺を舞台にした能楽「弱法師」をテーマにしたまち歩きです。弱法師こと俊徳丸が通ったとされる俊徳街道(四天王寺~俊徳街道~摂津国分寺跡・熊野大神宮旧跡~御勝山古墳~俊徳地蔵~俊徳橋。行程約3キロほど)を、観世流能楽師の山中雅志師とともに訪ねて、各ポイントでは解説と謡なども披露してくれます。実際の物語の現場で、能楽の世界を体感できるという素晴らしい企画ですので、ご都合の合う方は、ぜひともご参加ください。
ご予約はこちら。
http://www.yuikikaku.com/syuntokumaru.htm
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/41_01.html
家を追われ、弱法師と呼ばれる盲目の乞食となった俊徳丸が父との再会を果たすまでを描いた謡曲『弱法師』。八尾市高安を出自とする親子の交感の舞台となったのは、彼岸の四天王寺です。この場所で、古来難波の地で世々引き継がれた日想観に彩られた曲舞を、俊徳丸(シテ)が語り聞かせ、物語のクライマックスを鮮やかに演じます。この秋、俊徳丸所縁の高安で演じられる『弱法師』上演を前に、俊徳丸が通ったとされる俊徳街道を観世流能楽師の山中雅志師とともに訪ねます。
● 実施日時 10月10日(土)14:00
● 参加費用 1,500円(おひとり)
●集合場所 四天王寺西門前(最寄り駅:地下鉄谷町線四天王寺夕陽ケ丘前駅徒歩5分)
● 所要時間 約3時間
● 定員 30名
・各ポイントでは能楽師が『弱法師』の筋に沿った解説と謡を披露します。
・主催:Why don’t you ”能”? 実行委員会
後援:高安ルーツの能実行委員会
協力:LLP YUI企画
・お申し込みは下記「LLP YUI企画」TEL・FAXまたはHPから。
http://www.yuikikaku.com/syuntokumaru.htm
TEL:050-5539-7876 FAX:06-6170-7222
9月14日から21日までの8日間に第1回「船場まつり」が開催されます。主催は船場げんきの会、船場まつり実行委員会、船場センタービル連盟、大阪久宝寺卸連盟、せんば心斎橋筋協同組合、大阪船場丼池卸連盟などで、約1400の問屋、小売店が参加しますが、大阪あそ歩もコラボレートして、中船場まち歩き「御堂さんを偲んで、南へ歩く~大坂は本願寺から始まった~」を実施します。「天下の台所」の中枢として繁栄した船場の多彩な魅力に迫るまち歩き企画。ぜひともご参加ください。
ご予約はこちら。
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/39-01.html
大阪の大動脈・御堂筋。その出発は、津村別院と難波別院を結ぶ、細い細い参詣筋でした。この二大御堂のほかに、船場の守護神・御霊神社や、中世に活躍した武家・渡辺党の氏神の坐摩神社、ユネスコの世界無形文化遺産「文楽」ゆかりの難波神社などを巡ります。
● 実施日時 9月17日(木)13:00
● 参加費用 1,000円(中学生以上)
● 集合場所 地下鉄御堂筋線淀屋橋駅南改札口前
● 所要時間 約2~3時間
● 定員 15名
大阪あそ歩の秋のプレイベントで、「大阪の山を巡ろう!」というまち遊び企画を作りました。
茶臼山(標高26メートル)
帝塚山(標高20メートル)
聖天山(標高14メートル)
御勝山(標高14メートル)
天保山(標高4.53メートル 日本一低い山!)
以上、5つの大阪の名峰を1日で登ります。普段は、帝塚山は「帝塚山古墳」、御勝山は「御勝山古墳」として史跡管理されていて、中に入ることはできませんが、今回は入山可能です。滅多にない機会ですので、ぜひとも御参加してください。
ご予約はこちら。
http://www.osaka-asobo.jp/machiasobi/40_1.html
山がないと思われる大阪にも、じつは山があります。御勝山、茶臼山、聖天山、帝塚山、そして「日本一低い山」と呼ばれる名峰・天保山…。大阪あそ歩では、これらの大阪五低山をわずか1日で踏破します! 日頃鍛えた技と力を発揮して、あらゆる困難を克服し、全員全山登頂をめざしましょう。日頃は入山できない御勝山も帝塚山もこの日は登れます。五山1日踏破の暁には、大きな名声と名誉があなたを待っています。求む、登山隊員!
● 実施日時 9月26日(土)12:00
● 参加費用 500円(おひとり)
● 集合場所 JR環状線 桃谷駅改札口前
● 所要時間 約5時間半(予定)
● 定員 20名
この画像は2008年冬に天保山に登頂したときのものです(笑)
百濟國 若有賢人者貢上 故 受命以貢上人名 和邇吉師 即論語十卷 千字文一卷 并十一卷付是人即貢進
古事記に出てくる一文です。大意は「百済国に賢人がいると聞いているので呼びなさいという命令(当時の天皇は応神天皇)で、百済からやってきた人物の名は和邇吉師(わにきし)という。この人は論語十巻と千字文一巻のあわせて十一巻を我が国に持ってきた。」というようなところでしょうか。
この和邇吉師というのが王仁博士のことで、千字文というのは、漢文の長詩ですが、1000の異なった文字が使われていて、子供に漢字を教えるための教材です。要するに王仁博士は「儒教」(論語)と「漢字」(千字文)を我が国に伝えたわけで、日本の国家形成に多大なる影響を与えた人物といえます。
この王仁博士のお墓が、かつて大阪市北区大淀あたりにあったそうで、その痕跡として、いまの浦江八坂神社境内に王仁神社というのがあります。また現在の町名の大淀に変わる前は、このあたりは「大仁」(だいに)と呼ばれていて、これも王仁博士にちなむとか。
王仁神社は現在では学問の神さまとして祀られていて、一願成就の神さまにもなっています。また王仁博士が大阪に来て、仁徳天皇の即位を祝して詠んだ歌が
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり いまは春べと 咲くやこの花
「大阪の海に、長い冬を越えて、花が咲いた。いまこそ春がやってきたと、花が咲いた。」というような意味です。この「花」は桜花ではなくて、梅花だといわれていて、古代の日本人にとっては、春を告げる花というのは桜花ではなくて、梅花だったようです。また、紀貫之が編纂した古今和歌集の仮名序にも選ばれていて、「歌の父母のやう」と、名歌として絶賛しています。
王仁神社。春の時期に訪れて欲しい、大阪の名所です。
※大阪あそ歩マップ
おしてるや 咲くやこの花 浦江・大仁 ~王仁博士も文人墨客も眺めた花と夕陽~
夕方に室堂に入って、山小屋で雑魚寝したあと、早朝3時半に起きて御前峰に向かって登り始めました。約1時間ほどで山頂に到達。吹きすさぶような山風に、気温10℃を切るような寒さの中で、じっと待つこと40分。東に見える、北アルプスの山々の頂きの彼方から、矢のような強烈な光を放ちながら朝陽が登ってきました。驚くほどに、美しい御来光。呆然とするぐらい圧巻でした。
記念撮影!ということで、
大阪あそ歩の旗と一緒に。「大阪あそ歩登山隊」が日本三大霊峰・白山に登頂した瞬間です(笑)
お盆休みをいただいて、大阪あそ歩の茶谷チーフプロデューサーと一緒に白山に登ってきました(参考リンク:白山 – Wikipedia)。
白山は標高2702メートルで、日本百名山のうちの一座です。古来から富士山、立山とともに日本三名山(三霊山)と呼ばれていて、山頂は加賀一宮・白山比咩神社(参考リンク:白山比咩神社 – Wikipedia)の奥宮にもなっています。
白山比咩神社は、社伝によれば、崇神天皇7年に手取川の要に位置する舟岡山に「まつりのにわ(祭を行なう場所)」として祀られたのが神社の始まりとか。当時の白山は霊山として入山禁止でしたが、養老元年(717)に泰澄和尚が神の啓示を受けて入山したところ、十一面観世音菩薩が現れて、それを伝え聞いた元正天皇が白山山頂に神社(奥宮)を創建しました。以後、日本全国各地に白山信仰が広まって、全国2000余社の白山神社の総本社です。
古代に大陸からやってきた渡来人たちは、船で日本列島にやってきます。命がけの航海をして、日本列島に近づいていくと、まず真っ先に見えてくるのが山の頂です。島根県の大山に向かって船を進めると到達するのが出雲国で、白山に向かって進むと越国にたどり着きました。どちらも渡来人たちの海上交通の目印、道しるべとなった山で、「霊峰」として尊ばれたのは、そういった歴史的背景があります。
ちなみに白山比咩神社のご祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)。日本書紀によればイザナギとイザナミを仲直りさせた神で、縁結びの神とされています。渡来人の海上交通の目印となった山が「括りの神」「結びの神」として祭られたのは、なかなか意味深な話です。
花の山としても知られていて、高山植物の宝庫。じつに美しい山でした。
先週8日ですが、E-よこ会の杉本さん、いちびり庵の福岡さん、大阪商業大学講師の横見さん、司会は大阪市史料調査会調査員の古川さんで、座談会をやりました。議題は「大阪の観光について」。大阪春秋さんの秋号(136号)にて座談会の模様が掲載されます。
10月に発行されます。よろしければ買ってください。立ち読みはあきまへんで(笑)
憧れだった壱岐の月讀神社にいってきました。アマテラス、スサノオと並ぶ、三貴子のうちの一柱、ツクヨミさんの総本社です。
ツクヨミさんといえば、京都・松尾にある月読神社が有名ですが、日本書紀によれば、顕宗天皇3年(西暦487年)に、阿閉臣事代が任那に遣わされたさいに、壱岐で月読尊の神託があったので、これを天皇に奏上して、山城国葛野郡歌荒樔田の地に神領を賜って、壱岐県主・押見宿禰に祀らせた…というのが創建の由来とされています。要するに、壱岐の月讀神社こそが日本全国の月読神社の元宮というわけですな。
また押見宿禰の子孫(壱岐氏)はのちに「卜部氏」と名前を変えて代々、神祇官(神職)をつとめたそうで、大和王権に神道が根付くきっかけを作りました。壱岐・月讀神社は、日本神道の名門・壱岐氏の祖霊社なので、「神道発祥の地」とも呼ばれています。創建年代については不詳ですが、京都・松尾の月読神社が西暦487年に勧請されたので、少なくともそれ以前で、日本でも最古級の神社ということになります。
昼というのに、なぜか薄暗く、すこぶる厳かな雰囲気で、神秘的な神社でした。ひとことで言うと、ぼくはツクヨミのリアルさに心打たれました。原始的ですが、真摯で誠実な古神道の、「ほんまもんの信仰」がここにはあります。壱岐のツクヨミは、決して、記紀神話の中空構造のような、無為な神ではありません。
色々と考えさせられる神社です。もっともっと知られて良い神社です。参りました。