淀川、大阪湾に鯨が迷い込んだ。珍しいが過去、なかったことではない。遠くは『万葉集』にも住吉津(大阪湾)に「勇魚」(いさな=鯨)が寄ったという記録などがある。
住吉大社には幻の「鯨祭り」というのもあった。時折、住吉津に鯨がやってきて大漁、豊漁となったのだろう。なんせ鯨は一頭仕留めれば七浦が潤うというほどの莫大な恩恵を漁民たちに齎した。
かつての西洋人(バスク民族など)は鯨を取っても鯨油を取るぐらいだったらしいが、大阪の漁民たちは肉や骨はモチロンのこと、ヒレ、ヒゲ、舌、胃、内臓、心臓、肝臓、はては睾丸、子宮まで使用(食べたり、加工品を作ったり、肥料にしたり)した。鯨全体で捨てるところは3箇所しかなかったそうで、鯨の99パーセントを使い切ったとか。
突然、迷い込む鯨さまは、鯨神であり、マレビトであり、福の神、えべっさんそのものであった。だから鯨の豊漁があるたびに、またの来訪を願って住吉の大神に鯨祭りとして奉納された。
鯨祭りは長く幻の祭りであったが、2011年に住吉大社創建1800年記念大祭のさいに奉納された。いい祭りであった。
かつてならば大阪湾、淀川に迷い込んだ鯨は漁民たちに神として崇められ、その血肉骨の99パーセントを利用され、祀られたことだろう。命を頂き、命を繋いだ。
また個人的には迷い込んだ時期が気になる…というのも丁度、いまはえべっさんの時期で。1/9、1/10、1/11と上方はえべっさんの祭礼のシーズンで、なぜこの時期にえべっさんの祭りがあるのかな?と前々から謎に思っていたが、もしかしたら大阪湾に鯨が迷い込む時期であったのかもしれない。不思議な符合である。
いまはただ「迷い鯨」としてニュースソースになり、お茶の間の話のネタになるだけ。「淀ちゃん」ですからな。淀ちゃんて。
ちぬの浦
いさな寄るなる
をちかたは
ひねもす霞む
海恋しけれ
堺(大阪)の浦は
鯨が寄ってくるという
遥か彼方の水平線は
終日、霞んでいる
そんな堺(大阪)の海が恋しい
与謝野晶子の短歌である。堺・出島浜に石碑がある。
陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗の兄・陸奥龍彦。高知・越知の国学者・郷土研究家らしいのですが、その陸奥龍彦の弟子が結城有(たもつ)という。
この結城有について書かれたのが佐川町発行、明神健太郎著の『わが町の人びと』。この本によると結城有は県会議員の息子だそうですが、病弱だったので学校通いではなくて家庭教師を雇ったらしい。その家庭教師が陸奥龍彦だったそうです。
結城有は青年時代は共産活動に身を投じたこともあるようで、当時の有産階級の息子にはよくある話ですが、なかなか面白い経歴の方です。
結城家というのは代々、代官を務めたという名門らしく、その蔵の中にあったというのが『八幡荘伝承記』という書物。結城有は興味を惹かれ、師匠の陸奥龍彦に見せたところ、これは「世にも珍しい、大変貴重な書物である」と太鼓判を押された・・・という話になっています。これがしかし、いま現在に至っても世の中には出回っていない「幻の歴史書」となっているらしい。
本の中身は高知の南北朝時代のことが書かれた歴史書らしく、結城有も高知の史学会などに『八幡荘伝承記』を引用して、いろんな記事、エピソードを紹介していたそうですが、原本自体は、なぜか外部の方には見せず、門外不出のものにしてしまったという。
しかし写本がいくつかあるようで戦後に下村效という歴史学者が、それらを調べたところ、どうも使われている文言、語句などに明らかに時代考証的におかしな部分があり、「偽書である」と認定されたとか。原本も出てこないし、正確な検証もできず、結果、今に至るまでも高知史学会から黙殺されているらしい。
要するに南北朝の頃に高知の人たちが南朝方として戦った…というようなことが書かれている歴史書ですが、そこにいつのまにか時代精神の天皇万歳、皇軍万歳(実際に書物の中に、中世には絶対に使われなかった皇軍なんて言葉が出てくるらしい)というプロパガンダ的な記述が含まれてしまったようで・・・。史料的価値に疑問符がついてしまった。
陸奥龍彦のことを調べていたら戦前の高知史学会の謎(闇?)のような話が出て来て至極、驚いた次第ですが、しかし、それにしても陸奥家のご先祖さまが「貴重な本である」と太鼓判を押した(そういう意味でいえば龍彦も歴史捏造?に加担した側かもしれないw)ものですから、やっぱり、いつの日にか世の中に出てきてほしいものです。
最近は歴史を捏造し、ニュースを隠蔽し、フェイクだらけの世の中ですから。メディア・リテラシー向上のためにも「偽書研究」は重要な仕事になってます。『八幡荘伝承記』も誰か取り上げないかな…?
ちなみに二枚目の画像にある『八幡荘伝承記』の写本は庄田・宮ノ原寺の亀鳳法印という方が幕末の頃に写した…という話らしいのですが、この宮ノ原寺(廃仏毀釈で残念ながら廃寺)にあったのが「宮ノ原塾」で、その宮ノ原塾で学んだのが陸奥龍彦です。
謎に包まれた『八幡荘伝承記』で、誰がどのような経緯で捏造したのか?というのもわかりませんが、本の由縁、由来には、どうも宮ノ原寺(宮ノ原塾)の関係者がチラホラ見え隠れするのが実に興味深い。
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※追記
『八幡荘伝承記』に関してはこちらの方のブログが面白かったです。
■もう一つの歴史教科書問題:『八幡荘伝承記』と『東日流外三郡誌』
http://rekisi.tosalog.com/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%8D%98%E4%BC%9D%E6%89%BF%E8%A8%98%E3%81%A8%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C
越知史談会・吉良武氏は「佐伯文書が第一級の歴史資料とすれば、伝承記の内容もきわめて精度の高い歴史資料といえよう」として高く評価しています。こういう方もいる。嬉しい。
【福島県】大阪七墓巡りの男が、いわき七浜海道を語ります!w 場所はお馴染みのGuesthouse&lounge FARO Iwakiにて!
ぜひとも遊びにきてください~!^^
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■陸奥さんと!七浜海道サイクリングロードを語ろう!トークイベント
https://www.facebook.com/events/698220358561030/
1月18日~19日、観光家でコモンズデザイナーの陸奥賢さんをいわきにお呼びして、共に「いわき七浜海道サイクリングロード」を駆け抜けていきます。
19日の夜19時からは、いわき駅前の「Guesthouse&Lounge FARO」さんにて、七浜海道を完走しているであろう陸奥さんと帯同したメンバー、それからこのイベントにお集まりいただいた皆さんとともに、七浜海道について語らいあう会を実施します。
今後の七浜海道での活動についてのアイディアが飛び交うかも・・・?ぜひご興味ある方は、遊びに来てくださいね!
【日時】1月19日(木)19時~21時
【場所】いわき駅前Guesthouse & Lounge FARO iwaki(〒970-8026 福島県いわき市平三町目8−2)一階ラウンジ
【定員】10名程度
【予約】以下のフォームからご予約ください
https://forms.gle/exnSWoMVtKaCekhL7
★ワンドリンクオーダーいただきます
(ドリンク・フード追加オーダー出来ます)
★出入り自由です!
【お問い合わせ】a-terazawa@jpcfweb.com/090-9898-1553
【ゲストプロフィール】
陸奥賢(むつさとし)
(観光家/コモンズデザイナー/社会実験者)1978年生まれ。
「大阪あそ歩」(観光庁長官表彰受賞)「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」(読売教育賞最優秀賞)「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)「死生観光トランプ」などを手掛ける。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。大阪まち歩き大学学長。
★陸奥さんのことが気になる方はこちらをチェック!
http://mutsu-satoshi.com/profile/
【主催】いわき自転車文化発信・交流拠点ノレル?
僕のプロジェクトには特にプランやエビデンスなどないことが多いw
要するに「直観」「閃き」「なんとなく」「思いついたから」「やってみた」というのが大抵の僕のプロジェクトの動機、本心、本音だが、そうなると僕のプロジェクトは日々「PDCAサイクル」とか「マーケティング」とか「リスクヘッジ」といったお堅いビジネス思考に染まった世間の人を、どこか不安がらせる要素がある。端的にいって信用されないw
だから、そういう「お堅い人たち」にもそれなりに届きそうな言葉として「僕のプロジェクトは社会実験です」と名乗るようにしたわけです。
大阪七墓巡り復活プロジェクトも直観讀みブックマーカー~本と人との新しい出逢い方~も当事者研究スゴロクも歌垣風呂~風呂は現代の歌垣になりうるか?~も死生観光トランプも一連のコモンズ・デザインはすべて社会実験であります。
社会実験という言葉は、なかなか便利な言葉で、この言葉ひとつで極私的(?)なプロジェクトでも、どこか公共的な性質が感じられる。
「むつのやってることはよくわからんが、そうか。社会実験か。まあ、そういう社会実験もアリかも知れないなあ」というお目溢しが発生する。発生してほしいという狙いがあるw
それぐらい世間の中にビジネスマインド、ビジネス思考、損得感情が浸透しているんですな。損とか得とか金になるとか金にならないとか、算盤弾いてから動くというのが当然、必然、常識という人にとっては僕のやることなすことは珍獣のように見られてしまう。
そういう「ビジネスの呪縛」のようなものから逃れるために「社会実験」という言葉の持つ面白さに着目したわけです。
「エビデンスは?」とか「リスクヘッジは?」とか「マーケティングは?」とか、うっせえうっせえうっせえわ…という気分、ないですかね?みなさん?
ま、社会実験者と名乗ることで僕がその手の「ビジネスの呪縛」から逃れられてるかどうかは不明ですがねw 結局、珍獣扱いは変わってない気がするので…。
まあ、しかし、みんな社会実験するがいいですよ。社会実験者になるがいいですよ。じつは生きてることは、なにかやるということは、須く、全て、社会実験であります。
本日は立命館大学へ!山口 洋典先生に呼ばれて『現代社会のフィールドワーク』の講師。
学生さんたちがチームを作り、自分たちの社会環境、世の中を鑑みて気になることから「問い」を立てデスクワーク、フィールドワークで検証し、一枚もののレポートに纏める。講義では、そのレポートの発表を聞き、僕が感じたこと、思ったところなどを含めて講評する。
毎年、やっていますが、学生さんたちの現代社会へのまなざしのようなものが浮かび上がり、それが個人的に興味深く、面白かったりします。僕には全く思いつかない「問い」ばかり。
しかし、どんな「問い」からでも学びは始められるし、また現代社会の複雑怪奇さは一朝一夕でわかったり、解けたりしないもので、要するに「答え」なんてない。
そういう「答えのない問い」をチームで取り組む。なるべく、ひとりではなくて、みんなで考える。対話を積み重ねる。※中にはソロで取り組む学生さんもいますが。
学生さんたちはいろいろと試行錯誤しますが、めちゃくちゃ身のある、実践的で、重要な講義やなあと毎回、思う次第です。山口さんのアドバイスがこれまた的確で、ほんとに素晴らしい。毎回、講師のフリして、山口さんの講義を僕が学んでるようなものですw
学生さんたちには、こういう「答えのない問い」の講義をちゃんと経験して、真摯、誠実に取り組んでほしい。社会、世の中に出るにあたっての必須スキル能力だろうと思います。
陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗の兄の陸奥龍彦。高知県・越知の国学者・郷土研究家だったと記録を発見したのが2022年末。
なんとなく僕の仕事に似ているので陸奥龍彦の経歴や仕事がいろいろと気になって改めて戸籍謄本を調べてみたら、じつは大正2年(1913)に改名していて、それ以前は「陸奥斌雄」(おそらくはタケオ)という名前だったことが判明。
「陸奥斌雄時代」に、では何をしていたか?とリサーチしてみたら『土佐清水市史』に名前がありました。明治時代「下ノ加江小学校」や「宗呂小学校」というところで校長をしていたらしい。「歴代校長」の中に名前があった。
下ノ加江小学校は現在も残っているとか。いっぺんいってみたいですが。
宋宗小学校の方は残念ながら2009年に休校。児童数が少なくなったようです。場所を知らべてみたら足摺岬のさらに西の山間。これは過疎化が大変そうですな…。
休校になったので『宗呂小学校休校記念誌』というのが発刊されたらしい。これがしかし残念ながら高知県内のすべての図書館でも一冊しかない。日本最大級の古本通販サイト「日本の古本屋」で調べても出てこない。売ってたら買うのになぁ。
大体、小学校の記念誌とか歴代校長の写真などが掲載されているものですから。もしかしたら陸奥龍彦(陸奥斌雄)のご尊顔がわかるかも知れない。本をリサーチするためには高知までいかないかん…。
いろいろと正月から書き仕事のリサーチ。息抜きに陸奥家ファミリーヒストリーをするw
僕の曾祖父・陸奥利宗は次男坊で兄に陸奥龍彦という人がいた。この人は最近、『佐川町史』『越知町史』などで高知の国学者、郷土研究家だったことが判明した。
また弟もいて三男坊が陸奥巌雄という。厳しい名前だが、この人も大蔵省専売局の書記をやっていた。長年、勤めていたので叙勲までされている。
大蔵省専売局以外の経歴はまったく不明であったが戦前、昭和12年(1937)の発明推進協会の雑誌に名前が掲載されていた。「実用新案五九七〇:釣魚用被セ玉」なるものを発明したらしいw
僕は釣りは全くの門外漢、無知でこの「釣魚用被セ玉」とやらがどのような仕掛け、仕組みのものかサッパリわからない。売れたりしたのか?まあ、売れてないでしょうなw
同年にたまたまだが松下幸之助の名前も発見した。電燈ケースの実用新案。時代を感じる。
堺の光竜寺小学校というのが僕が通っていた小学校だが、一時期、飼育係になったことがある。
小学校には兎小屋があり、兎のお世話をしたが兎はツガイで飼うと1日中、交尾しまくっている。絶倫。だからアメリカのプレイボーイのイメージキャラクターは兎。
ちなみに兎小屋以外に鶏小屋、孔雀小屋があった。年に何回か鶏が脱走する。孔雀が脱走した時もあった。てんやわんや。なかなか楽しい小学校であった。
2022年の印象的だった仕事。出来事。
いろんな方との出会い、再会がありました。コロナ自粛で仕事が軒並み、全部、なくなる、真っ白になる…という地獄2年間で死にかけて、そのあいまに父が亡くなったりもして(コロナではないですがコロナ自粛で運動ができなくなり、それで衰弱したのは間違いないです)、しかし、なんとか再生にむけて動き出せた年でした。ほんまに、いろんな人と再会して「おれ、よく生き残れたなぁ…」と何度も感慨深しく思ったぐらいです。
ありがとうございました。
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【1月】白河にて大澤寅雄アニキと白河まち歩きフォトスゴロクのふりかえりラウンドテーブル/別府ドマコモンズにてトークと直観讀みブックマーカー/神戸七宮巡り/終活カフェ・当事者研究スゴロク/北野田カレッジ・利晶まち歩き/野田阪神・海老江まち歩き/堺サンドイッチ・キャンパスまち歩きフォトスゴロク/いこま寿大学/長岡史遊会オンライン死生観光トランプ
【2月】さかい利晶の杜・三好長慶まち歩き/朝日温泉さんにて歌垣風呂(テレビ局取材対応)
【3月】宮崎県アーツカウンシル・短歌トーク/いわきフルボッコツアーw/コープこうべ・大庄東まち歩き/神戸・王子公園・水道筋まち歩き/にっしーと新潟・阿賀町まち歩きフォトスゴロク/佐渡島リサーチ
【4月】江尻さん来阪・住吉まち歩き/相愛大学・釈徹宗学長とまわしよみ新聞/芦原橋・部落解放同盟浪速支部展示室リサーチ/高野山・吉野・飛鳥弾丸ツアー
【5月】玉田玉秀斎さん、玉田玉山さんと北浜・青山ビルにて船場講談/八尾カレッジ「コリアタウン」/EBUNEリサーチ/堺・地獄太夫セミナー
【6月】神戸大学まわしよみ新聞/ハルカス大学まち歩き/横浜・日本新聞博物館にて全国まわしよみ新聞サミット/横浜市中央図書館まわしよみ新聞/福島県いわき市・平リサーチ/十十王申すリサーチ/FAROトーク/小名浜・UDOK・シラスで小松さん、江尻さんの小名浜衆と小名浜について語る/江尻さんガイドでいわき市・泉の廃寺跡、廃仏毀釈の痕跡を辿るツアー
【7月】津屋崎まわしよみ新聞300号記念イベント/堺・開口神社にて「堺のまちをそぞろ歩き隊」/小野さん、江尻さんとオンライン七墓トーク/オープン上町台地にて仁徳街道ツアー/ハルカス大学まち歩き
【8月】尼崎ピッコロシアターにてまわしよみ新聞演劇/大蓮寺棚経/大阪七墓巡り/大蓮寺・自然トーク/いわき・FAROまち歩きフォトスゴロク/十十王申す復活プロジェクト/江尻さんガイドで小名浜・幻の富ヶ浦ツアー
【9月】中平さんと西本願寺・伝道院・布教師養成講座セミナー/EBUNE海民ツアー/いずみ市民大学・共通講座まわしよみ新聞/堺七墓巡り復活プロジェクト/横浜・資生堂まわしよみ新聞セミナー/大津・比叡山・湖東弾丸ツアー/堺・紙カフェリサーチ/詩のソムリエわたなべめぐみさんとまちあざプロジェクト/豊岡・芸術探検家・野口さんの蛸みこし/異類観光「蛸」/應典院にてまわしよみ新聞創刊10周年記念イベント
【10月】立命館大学・山口洋典さんとまわしよみ新聞/八尾カレッジ「大庄」/堺利晶まち歩き「堺の寺」/カナダ⇔大阪にてオンライン当事者研究スゴロク/西日本新聞社にて九州まわしよみ新聞サミット/EBUNEトーク・オンライン配信収録「海民都市・大阪を逍遥する」/名古屋・西念寺・報恩講にて岡林住職と「異類観光・馬」
【11月】ツキトさんと近畿大学・長瀬まち歩き/青森NPOセンター・斎藤さん&淡路島アートセンター・くにちゃん&なかあゆ御一行さまご接待神戸ツアー/中平さん、釈大智さん、秋田光軌さんと日本仏教未来会議/熊本・津奈木町まち歩きフォトスゴロク/水俣リサーチ/鹿児島リサーチ/いわき・霜村さん来阪・森之宮車庫・大阪城まち歩き/富山・リナさん来阪・ミナミまち歩き/堺妖怪芸術祭まち歩き
【12月】堺妖怪芸術祭・開口神社にて孔明さんと妖怪トーク/尼崎ピッコロシアターにて直観讀みブックマーカー/彦根・滋賀県立大学にて上田洋平先生と観光トーク/芸術探検家・野口さんと神戸リパブリックアート・神戸八宮リサーチ/塩屋リサーチ/釜中さん、梅山さん、森川さんと「大阪万博2080を考える会」
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ちなみに上記は単発系の仕事とかプロジェクトで。ほんの一部で。これ以外にいちょうカレッジ、いずみ市民大学、大阪府高齢者大学といった生涯学習、社会人大学系の仕事がありました。関係者のみなさん、ありがとうございます。
あとまち歩きのOB会、同好会などもあり、そのみなさんとも定期的にまち歩きをやりました。ありがとうございます。
自分のプロジェクトとして、あと大阪まち歩き大学があり、これもいろんな方に参加頂きました。ありがとうございます。
今年は大阪まち歩き大学は25本やったのですが、徐々に増やしていきたいのですが、なんせいろんな依頼の仕事があるので…。まち大も人気になってきて、もっとやれやれといわれるんですが時間がとれなくてつらい…。すいません。長い目で見てください…。
陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗は「高知県師範学校卒業」でした。『高知県師範学校一覧』に名前がありました。尋常科卒業なので小学校の先生ですな。この高知県師範学校は現在の高知大学教育学部のルーツになります。
当時の師範学校は卒業後に教職に就けば授業料が無料になりました。さらに全寮制で寝食代も無料であったそうで貧家に生まれた優秀な人材の救済コースでした。
利宗は明治30年(1897)10月に高知県師範学校を卒業し、その後、何をしていたのかは不明で、いきなり明治35年(1902)に大蔵省専売局の職員となっています。
要するに「空白の5年間」があるんですが師範学校卒業となると、これは高知のどっかの小学校で先生でもやっていたか?…という気もしますな。現地調べたらわかるやろか…。
ただ時代状況的には師範学校卒業の翌年、明治31年(1898)には四国に第11師団が結成された年になります。もしかしたら兵役という可能性もあります。※師範学校卒業生は兵役が短縮されて5ヶ月で終えたそうで5年間、兵役ということはないと思いますが…。
いろいろと調べていて利宗の師範学校時代の教諭たちが面白く。とくに理科の教諭として永沼小一郎がいました。この人は植物学者・牧野富太郎の偉大なる先達、師匠です。実際に『牧野富太郎自叙伝』にも「私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である」と記載されている。
利宗の兄・陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)も牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)とほぼ同世代でコミュニティが近い(龍彦は佐川町・宮之原塾門下、牧野富太郎は佐川町・名教館門下)から、どこかですれ違ったり、出会っていたかも?という気がしていましたが、弟の利宗は牧野富太郎と先生が一緒でした。
利宗ものちに大蔵省専売局で「煙草」を扱いますが、煙草はもちろん植物。利宗も何か永沼小一郎の植物学に触発されるような機会があったのかも知れません。
僕は基本的にNHKの朝ドラとか全く興味ない人間なんですが、さすがに来年の『らんまん』はちょっと気になってきましたなw