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‘雑感’ カテゴリーのアーカイブ

竜馬がゆく

2011 年 7 月 30 日 Comments off

http://www.tosainari.jp/

土佐稲荷神社は元土佐藩邸跡。坂本龍馬もやってきましたし、龍馬没後は岩崎弥太郎が海援隊、九十九商会を引き継ぎ、ここで三菱を起業しました。また、この横にある西長堀アパートに住んだのが司馬遼太郎で、ここで司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の連載をスタートさせました。

ある土佐出身の友人に「司馬さん、坂本龍馬を書いてくださいよ」と薦められて、あまり気乗りしなかったようですが、それから幕末関連の史料を読むと、どこにでも龍馬の名前が出てくる。なんだこの人物は?というので気になって本格的に調査したのが「竜馬がゆく」執筆のキッカケとか。

あと「龍馬がゆく」ではなく「竜馬がゆく」であることに注意。この小説はあくまでも「フィクション」。史実と虚構を巧みに織り交ぜている。これ、近松がいうところの「虚実皮膜論」そのもの。まさしく司馬文学は近松の系譜に連なる、大阪文学の本流です。


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織田作之助『大阪の可能性』

2011 年 7 月 30 日 Comments off

「大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮するのであって、この尻尾をつかまえなくては大阪が判らぬ」

織田作之助『大阪の可能性』


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57年ぶりの復活 堺・出島・住​吉の幻の奇祭 「鯨まつり」

2011 年 7 月 25 日 Comments off



昭和29年(1954)以来に住吉大社に鯨がやってきました。堺・住​吉の幻の奇祭「鯨まつり」です。ほんとは鯨は堺の出島漁港から住吉街道を北上して住吉大社をお参りするのですが、道路使用に関して警察の許可が出ないということで2台のトラックで運ばれて住吉大社の境内で組み立てられました。写真はそのときの様子です。

『万葉集』にも堺・住吉浜の鯨(いさな。勇魚)の歌が登場しますが、1500年前から(おそらくはもっともっと古代から)大阪人は鯨を食べてきました。西洋人は鯨を取っても鯨油を取るぐらいで99パーセントを捨てたそうですが、日本人は肉や骨はモチロンのこと、ヒレ、ヒゲ、舌、胃、内臓、心臓、肝臓、はては睾丸、子宮まで使用(食べたり、加工品を作ったり、肥料にしたり)しました。鯨全体で捨てるところは3箇所しかなかったそうで、鯨の99パーセントを使い切ったとか。また「鯨一頭を仕留めると七浦(7つの漁村)潤う」といわれ、鯨はまさしく天恵でした。

日本人にとって鯨は単なる食べ物ではなく、信仰の対象=「鯨神」だったということです。鯨まつりは、そうした古代からの漁民の信仰を伝えるものです。自然への崇拝、自然の恩恵に感謝する思想と態度。こういう祭礼が堺・住吉で復活したことは、大阪の誇りや思いますよ。


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天神祭・船渡御

2011 年 7 月 25 日 Comments off

本日は天神祭・船渡御。

かつての天神祭の船渡御は現・大阪市西区にある御旅所・松島行宮​へ御渡りしていました。ところが戦後に地下水汲み上げなどによっ​て地盤沈下が起こり、橋桁が下がって船の橋下通り抜けが不可能に​。川下への航行不能となると行宮お渡りができません。1000年​にわたる天神祭・船渡御の大ピンチ!そこで思いついたのが「川下​がアカンのやったら、ほな川上に船いったらええんちゃうか?」「​そりゃええ!それでいきまひょ」ということで、昭和28年(1953)から現​在のように川上に遡上するスタイルになりました。

京都でいえば「祇園祭の巡行コースを突然、変更する」みたいなも​んですか。もしそんなことを京都でしようと思ったら「1000年​の伝統どすえ!」とかいわれて大モメにモメまくりそうですが、​大阪はあっというまに即決でした。1000年の伝統だろうが現実主義で​すぐさま変更。

こういうリアリストなとこが、非常に大阪的です。良きにしろ、悪きにしろ。


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大阪の妖怪譚 日本初の河童 「河伯」

2011 年 7 月 19 日 Comments off

水の都・大阪には、かつて河童がいました。正確には「河伯」といいます。

『日本書紀』の仁徳紀11年(西暦322年)に「河伯」が仁徳天​皇の堤の造成を妨害して、それを防ぐために人身御供として武蔵国​の強頸(こわくび)を沈めて殺した…という記述が出てきます。(※原文「時天皇夢有神 誨之曰 武臟人強頸 河内人茨田連衫子 衫子 此云 於河伯 必獲塞 則覓二人而得之 因以禱於河神」)

「河伯」とは古代は「河神(川神)」を意味したようですが、時代が経るに​連れて神威を失い、やがてイタズラ小僧のような、例の「妖怪の​河童」になるわけです。猿田彦が天狗になったように、神々が時を経て妖怪にな​る事例はいくつもありますが、河伯=河童も同じ系統のようです。

なにはともあれ『日本書紀』に出てくるということで、この「河伯」は「日本の文献上はじめて登場する河童」「日本初の河童」やないでしょうか。(まちづくり関係者の皆さんへ。「水都大阪の妖怪」としてもっと大々的に宣伝したらどないでっしゃろ?千林商店街のマスコットにしてもええ思いまっせ) また河伯(河童)の生贄になった強頸の石碑は大阪市旭区千林の某民家の庭(非公開)に現在も​あります。

夏ということで大阪の妖怪譚でした(笑)


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「大阪あそ歩’2011夏」の企画が発表されました!

2011 年 7 月 10 日 Comments off

大阪あそ歩’2011夏」の企画が発表されました。「打ち水を楽しむ!」「すっぽん鍋を食べる!」「夏祭りを鑑賞する!」など大阪あそ歩ならではの企画が満載です。大阪の夏を満喫しましょう!詳細、参加予約はリンク先をご参照ください。

■7月21日(木)中之島まち歩き:これぞ浪華八百八橋!中之島名橋コレクション~過去と現在を繋ぐ歴史の架け橋たち~
かつての大坂は浪華八百八橋と謳われたほどの橋の名所でしたが、現在の中之島にも素晴らしい名橋が数多く架かっています。中之島の橋の物語、ドラマを巡りながら、水の都・大阪の歴史を探っていきましょう!

■7月21日(木)南船場まち歩き:長堀川はなぜ消えてしまったの?~四ツ橋から南船場、長堀までを歩く~
船場と島之内の境目を流れた長堀川。大坂最古の堀川・東横堀川の末吉橋から西に分流して木津川の伯楽橋に注ぎ、その長さは約2.4キロ、幅は約50メートルでした。水都大坂の水運の要として機能しましたが、現在は埋め立てられ、長堀通になっています。かつての長堀川界隈の名所旧跡を訪ね、失われた長堀川の情景を偲びます!

■7月21日(木)都島まち遊び:鵺の泣く夜、櫻宮のだんじり祭~宮入りを楽しみ、与謝蕪村ゆかりの毛馬周辺で夕涼み~
恐ろしい妖怪譚をいまに伝える都島のミステリースポットの鵺塚をめぐり、その後、櫻宮・御旅所前のだんじり曳行と宮入りを見学。最後は大川べりを歩き、蕪村が生まれ育った毛馬界隈で夕涼みを楽しみましょう!

■7月23日(土)幕末まち歩き:天満 龍馬が、新選組が駆け抜けた八軒家~堺屋から出てきた謎の男、その名は…~
「天下の台所」といえば大坂。幕末の志士たちは勤王派も佐幕派も開国派も問わず、京都・伏見から三十石舟に乗って天満・八軒家に上陸。「戦をするには軍資金が要る」と、船場の名だたる豪商たちに会って、己の高邁な思想を語り、パトロンを捜しました。龍馬が、新選組が、大坂の幕末を彩ります!

■7月23日(土)加賀屋まち歩き:大坂を作った男たち・加賀屋四代の開発魂~高砂神社から新田会所跡まで~
かつて紀州街道の西側は海でした。しかし宝永元年(1704)に新大和川が付け替えられたことで土地の開発が進み、両替商・加賀屋甚兵衛も当地の新田開発に力をそそぎました。こうした民間資本による開発の総面積は、今日の大阪市域のほぼ1/3にあたると言われています。開発のために作られた新田会所跡は豪商・加賀屋の粋人ぶりが窺える、貴重な歴史的文化遺産で、都市の「やすらぎの館」となっています。

■7月28日(木)海岸通・なみはや大橋まち歩き:絶景パノラマ360°!大阪湾空中散歩~海岸通からなみはや大橋まで~
大阪市港区海岸通から、大正区鶴町までを結ぶ、なみはや大橋。全長1740メートルは、大阪市内で徒歩で渡れる橋としては最長の規模を誇ります。その周辺には築港高野山や港住吉神社、赤レンガ倉庫、港大橋と見所が満載。大阪湾岸の開発の歴史を辿ります!

■7月28日(木)日本橋・恵美須町まち歩き:なにわの日特別まち歩き~日本橋・恵美須町コースと「打水」~
7/28は「なにわの日」で、1年間を通してもっとも暑い「大暑」の日ですが、日本橋・恵美須町界隈では「打水」が行われるます。その打ち水でちょっとだけ涼しくなった日本橋・恵美須町を歩きましょう。日本橋ではおなじみのメイドカフェも体験できます!

■7月30日(土)コリアタウンまち歩き:異文化のまち・コリアタウン~日本最古の橋から猪飼野、御幸通まで~
日本最大の在日コリアンのまち・生野コリアタウン。その原点ははるか1600年前、『日本書紀』にも登場する渡来人のまち「猪飼野」でした。猪飼野の痕跡を求めて、桃谷から御幸通、そして鶴橋国際マーケットを訪ねます。

■7月30日(土)深江・今里まち歩き:シルクロード・暗越奈良街道(深江・今里)を歩く!~日本最長をめざす商店街を探索~
大阪と奈良を結び、古代には遣隋使・遣唐使が歩き、江戸時代には松尾芭蕉も歩いた暗越奈良街道を歩きます。深江は「笠縫のまち」「ものづくりのまち」としても知られ、途中の深江郷土資料館は必見!です。

■7月31日(日)文学まち歩き:織田作之助 オダサクと蝶子と柳吉が歩いた『夫婦善哉』~行き暮れてここが思案の善哉かな~
大阪ミナミをこよなく愛した小説家・織田作之助。妻子ある化粧品卸問屋の若旦那・維康柳吉と、芸者の蝶子が駆け落ちして、転職や借金などの苦労を重ねながらも寄り添いあって暮らし、夫婦となるまでを描いた名作『夫婦善哉』(昭和15年・1940年発表)には、大正から戦前昭和の大阪ミナミが生き生きと活写されています。『夫婦善哉』を片手に、大阪ミナミのまちを散策してみましょう!

■7月31日(日)天下茶屋まち遊び:真夏の天下茶屋~天然すっぽん鍋で元気を食らう~
食欲も減退する季節、天然鳥獣料理の達人、『山女庵』にて天然すっぽん鍋で、真夏の”元気”をいただきませんか?お食事の後は、軽く、魅力の天下茶屋をまち歩きします。汗をかいたらチンチン電車の走行音を聞きながら、珈琲ルンバで楽しく語り合いましょう。

■8月1日(月)住吉大社・安立まち歩き:住吉大社夏祭り 神輿御渡見物~安立町の史跡や町屋・路地をめぐり、大和川の神輿のお渡りを見る!~
今年は住吉大社ご創建1800年。夏祭りでは幻の鯨踊り復活などが企画されているとか。それに併せて住吉街道(安立)の史跡や町家、路地を巡り、祭りのクライマックスである大和川の神輿のおわたりを見学します!今年は例年にはなく華やかなお渡りの行列となっています。どうぞお見逃しなく!

■8月1日(月)野里まち遊び:野里住吉神社の夏祭り~勇壮な地車・枕太鼓を見る!~
普段は旧村の面影を静かに伝える野里ですが、年に一度の夏祭りは大いに盛り上がって町中全体が活気に満ちます。かつての野里村の熱い夏を彷彿とさせる地車囃子を聞きながら、野里界隈を巡りましょう!

■8月26日(金)伝法まち遊び:仏教伝来の地・伝法と川施餓鬼会~水都大阪の夏の彩りを感じる~
「暑い暑いは天神祭、あついあついも川施餓鬼まで」と語られ古くは天神祭もしのぐほど有名で、現在も大阪市無形民俗文化財の一つとして指定されている「川施餓鬼」。正蓮寺にて、法話を聞いたり、神輿の練り歩きを見物したりと、江戸時代から伝わる精霊送りの行事に参加して大阪の納涼を味わいましょう!


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大阪市内150コースのまち歩きマップを完全収録!『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』(編集:大阪あそ歩まち歩きマップ集町衆会議/各冊税込819円)絶賛発売中!

2011 年 7 月 10 日 Comments off



http://www.osaka-asobo.jp/common/maplist
さる3月15日より旭屋書店、紀伊国屋書店、ジュンク堂書店、ブックファーストにて『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』(編集:大阪あそ歩まち歩きマップ集町衆会議/各冊税込819円)が発売されています。

大阪あそ歩は、総勢200名を越える大阪あそ歩ガイドさん、サポーターさんとご一緒に、過去2年間で大阪市内だけで150コースという途方もない数のまち歩きマップを作ったのですが、『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』は、それらを3分冊(各冊にまち歩き50コースを収録)で完全収録したものです。

これまでも数多くの大阪の観光ガイドブック、案内本が世の中に発売されてきましたが、それらで紹介されている大阪市内のまちは、せいぜい道頓堀、心斎橋、アメリカ村、新世界、梅田、中之島、北浜、天満、京橋、天王寺・・・といった程度でしょうか。

しかし『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』では、北は東淀川区の「豊里・江口」コース、南は東住吉区の「矢田」コース、西は此花区の「舞洲」コースに、東は鶴見区の「茨田」コース・・・と、まさしく、大阪市内のすみからすみまでを収録しています。「瑞光・小松」「西淡路・東中島」「佃・大和田」「庭井・苅田」のまちをご紹介している大阪の観光ガイドブック、案内本なんて過去、まったく販売されたことがなく、おそらく史上初のことではないでしょうか?地元民100パーセント、地元密着の「大阪あそ歩まち歩きマップ集町集会議」(大阪あそ歩ガイドさん、サポーターさんの有志で構成)が編集したからでこそ、こういう素晴らしい本が出来ました。まさに圧巻のまち歩きマップ集です。

騙されたと思って、いっぺん、書店にいって、マップ集を、手にとってみてください。パラパラとめくっていただいたら、この本の凄さ、新しさというのは充分に、わかっていただけると思います。全ページに、大阪あそ歩ガイドさん、サポーターさんの大阪愛が「これでもか!」と凝縮されています。「わがまちはすごいんや!おもろいんや!」という地元の誇りが全編に滲み出ていて、大袈裟でなく、感動すら覚えます。

また自分が住んでいるまちを調べてみてください。通ったことがあるまちを読んでみてください。大阪のまちは、意外な物語、伝承、伝説、民話、文化、歴史の宝庫であることにも気付くと思います。地元ならではのネタが満載で、この本を読んでいると「ほんまかいな?」「知らなかった・・・」「信じられへん!」の連続に次ぐ連続です。ぼくも読んでいて、あまりの情報量と、密度の濃さに、七転八倒して頭を抱えました(笑)

「大阪」とはなにか?「まち」とはなにか?「ふるさと」とはなにか?「コミュニティ」とはなにか?その答えの片鱗が伝わってくる本やと思います。これは大阪のまち再生への第一歩です。この本をきっかけに全大阪人に、わがまち意識、まちへの誇りが芽生えて欲しい。知識ではなくて、愛と、情熱を。ぜひともお買い求め下さい。取扱書店は以下の店舗です。よろしくお願いします。

※取扱書店
●旭屋書店
本店、なんばCITY店、天王寺MiO店、梅田地下街店、堂島地下街店、なんばパークス店、京阪守口店、イオンりんくう泉南店

●紀伊國屋書店
梅田本店、阪急グランドビル店、本町店、京橋店、高槻店、堺北花田店、泉北店、神戸店、西神店、川西店、加古川店、MOVIX京都店、大津店

●ジュンク堂書店
大阪本店、MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店、千日前店、梅田ヒルトンプラザ店、難波店、天満橋店、西宮店、三宮店、三宮駅前店、京都店、京都BAL店

●ブックファースト
梅田店、梅田2階店、梅田3階店、茶屋町口店、淀屋橋店、なんばウォーク店、クリスタ長堀店、野田アプラ店、三国店、蛍池店、池田店、曽根店、豊中店、デュー阪急山田店、エビスタ西宮店、阪急西宮ガーデンズ店、西宮店、六甲店、川西店、宝塚店、塚口店、三宮店、京都店、四条大宮店、ミュー阪急桂店


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七夕(祭礼)は旧暦で祝いましょう

2011 年 7 月 7 日 Comments off

今年も雨でした。毎年、7月7日になると思うんですが、西洋暦(新暦)の7月7日やと日本は梅雨の時期真っ只中。これ、「旧暦の7月7日」(新暦8月7日前後)であれば、毎年、晴天で、夜空の星もめちゃくちゃキレイなんですわ。東洋の祭礼・七夕を西洋暦でムリヤリ祝おうとするから、こんなことになる。

旧暦から新暦に強制的に変えたのは明治政府の陰謀です。新暦が採用されたのは明治6年(1873)ですが、じつはこの年は閏月(うるうづき)がありました。そして明治維新以降、役人の俸給は年俸制から月給制に変ったので、政府は1年間の予算で13カ月分の月給を支払わなければならないという非常事態に陥ったわけです。財政難にあえぐ政府は急遽「旧暦なんて古い暦はダメだ!文明開化の進展には不都合である!西洋暦にする!」とよく判らない理屈を言い出して、有無を言わさず新暦を採用。明治5年12月3日を明治6年元旦にしてしまうことで、12月分と閏月分の2ヶ月分の給与支払いを消滅させたわけです。

政府は「金払わんで済んだ」と欣喜雀躍したようですが、これによって旧暦に依存する日本古来の祭礼日が1ヶ月ほど実施日がずれて狂ってしまい、七夕を梅雨時に祝う…というようなトンチンカンな祭礼が日本全国各地に生まれました。金のためならしょうがないと、文化大革命もビックリの日本文化ジェノサイド。近代日本が犯した大罪。神仏分離令(廃仏毀釈)と並ぶ歴史的大愚行といえるでしょう。

そろそろ、その反省をしてもええ頃ちゃいますかね?祭礼は昔ながらの旧暦でやらないと昔の人の季節感(自然観、世界観、宇宙観)や信仰、祈りなどが伝わりませんよ。


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都市・大阪に息づく古代人の信仰

2011 年 7 月 6 日 Comments off

古代、湧水処や滝場所が、聖なるもの、聖地として崇められて、やがて神社仏閣が置かれて崇められる…というのは往々にしてあります。大阪でいえば露の井(湧水)の場所にできた露天神(お初天神)、玉出の滝のある清水寺なんかは代表的なものでしょう。古代人にとって清浄な水は命そのものですから。

また湧水や滝は天変地異の予測装置にもなります。急に理由もなく湧水や滝の水量が増えたり減ったりすると、それは地下で起こった地殻変動が影響していたりするわけです。それによって「これは近く地震が起こるぞ」といった予測が可能になる。実際に阪神淡路大震災の前に、大阪の上町台地界隈の井戸が、急に水量が増えて井戸から水が溢れ出てくる…という奇妙な現象が起こっていたとか。

こういう古代人の、自然を崇める、自然に寄り添う知恵を、現代人は忘れがちですが、意外にも大阪のまち歩きで、そういう知恵を発見したりします。大阪は古い土地柄ですから、そういうことが往々にしてあるんですな。これだけ都市化された大阪のまちなかで、密かに息づいている古代人の敬虔な信仰を体感する。大阪のまち歩きの、ひとつの面白み、醍醐味、喜びです。


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摂津国+河内国+和泉国=大阪の面白さと複雑さ

2011 年 7 月 5 日 Comments off

最近、阪神間をウロウロしてますが、大阪と兵庫を往復して思うのは明治政府の廃藩置県は大失敗だとい​うこと(上方をボロボロにするという意味では成功しました)。ほ​んまは大阪と兵庫は律令時代から「摂津国」で、これはそのまま「​摂津府」としてワンセットで括るべきでした。これをムリヤリ分けたことで、1300年にわたる​摂津経済文化圏は自分たちのアイデンティティを失って迷走。この問題は現在の​関西空港と神戸空港という二重空港問題にまで繋がってます。

また大阪の面白さは「摂津国」「和泉国」「河内国」の三国の緩衝地域に​あることでしょう。この三国は、それぞれ独自の文化、経済、歴史、物語​を有していますが、こういう都市はほかにあまりなくて、大阪という都市の​複雑さ、猥雑さ、カオス感、わかりにくさは、この三国のミクスチ​ャーにも由来してます。


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