最近、GAFAでもアナログの価値、アナログ的発想が見直されているとか。いわんとすることはわからないでもない。
まわしよみ新聞をやると若者、学生さんたちの反応は頗る良い。生まれた時からデジタルなものに囲まれていた彼らは新聞遊び=アナログな遊びが新鮮な体験となるらしい。
「アナログは万能である」とは到底いえない。しかし「デジタルは(まだまだ)万能ではない」とはいえる。デジタルとアナログを併用すること。ハイブリッドであれとは常々思う。
週に1回、月に1回でもまわしよみ新聞をやってみる。それだけで随分と世界観の広がり方は変わるんやないかな?
https://www.amazon.co.jp/dp/4772695621
■祝!!!まわしよみ新聞創刊10周年記念イベント~それは應典院コモンズフェスタから産まれた!~
https://www.facebook.com/events/438572938221587
まわしよみ新聞は2012年9月29日に創刊されました。應典院コモンズフェスタ用の企画として始まり、あまりに大反響であったためにオープンソースのメディア遊び、新聞遊び=コモンズ・デザイン・プロジェクトとして展開されました。
当初は新聞関係者に注目されましたが、やがて教育、まちづくり、福祉業界などでも使われだし、三省堂高校国語教科書に採用されたり、読売教育賞を受賞したり、『まわしよみ新聞をつくろう!』のガイドブックが発刊されたり、あっという間に日本全国に広まっていきました。
今年は記念すべき創刊10周年目ということで、まわしよみ新聞誕生の地である應典院で記念イベントを開催したいと思います。
第1部(2時間)は参加者のみなさんと一緒にまわしよみ新聞を作成します。第2部(2時間)はゲストを呼んでまわしよみ新聞10周年を振り返りたいと思います。
平日夜ですし、正直、それほど参加者がくるとも思いませんw ゆるゆるとやりたいと思います。お祝いで駆けつけてくると嬉しいです!w
■開催日時:2022年9月29日(木)18時
第1部:まわしよみ新聞(18~20時予定)
第2部:トーク「まわしよみ新聞10年を振り返る」(20時~22時予定)
※1部だけ参加、2部だけ参加、途中参加、途中退場も可です。
■開催場所:應典院
大阪市天王寺区下寺町1-1-27
https://www.outenin.com/
https://www.outenin.com/outenin/access/
https://goo.gl/maps/pmFTgd4e3pSPYe1q6
■参加費:カンパ(お祝いしてください!)
■持ち物:まわしよみたい新聞
■定員:20名
■進行:陸奥賢
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。堺育ち。中卒。2007年に堺のコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプランSAKAI賞受賞(主催・堺商工会議所)。2008年~2013年まで大阪あそ歩(2012年に観光庁長官表彰受賞)プロデューサー。大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞(読売教育賞最優秀賞受賞)、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロク、歌垣風呂(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)、劇札、仏笑い、北船場将棋、フォトスゴロク、死生観光トランプなどを手掛ける。大阪まち歩き大学学長。著書に『まわしよみ新聞をつくろう!』(創元社)
【兵庫県】尼崎ピッコロシアターさんにて。本田さんとやった「まわしよみ新聞+演劇ワークショップ」で作成したまわしよみ新聞が展示されました!ありがとうございます~^^
https://twitter.com/piccolo_theater/status/1556997080664928256
注目 ピッコロ実技教室「まわしよみ新聞&演劇~壁新聞を演じてみる」で作成した壁新聞。劇場1階エントランスホールに掲示しました~
#ピッコロシアター
久しぶりのウィングフィールドでした。コロナ以後初ちゃうかな?作品はウイングフィールド30周年記念事業でMODEさんの『見よ、飛行機の高く飛べるを』。永井愛氏の脚本はクオリティが高いので安心してみてられますな。学生たちが熱演していて、よかった。
https://note.com/mode1989/n/n66f9eaf40d84
劇中、一瞬だけだが「大阪の城東練兵場で飛行機が飛んだ」というエピソードがでてくる。
明治44年(1911)にアメリカのボールドウィン飛行団がカーチス式複葉機で空を飛んだのが大阪初、関西初の飛行機ショーといわれている。大部分の大阪人にとって、この飛行ショーこそが初めて人間が大空を飛ぶ光景を目撃した瞬間だったのではないだろうか。空を飛ぶというのは人類有史以来の夢であり、悲願であり、その実現の衝撃はいかばかりであったか…と思う。飛行機こそは人類の知性、理性の勝利であり、陶酔であったろう。
しかし、その人類の夢と悲願は、飛行ショーから数年後の第1次世界大戦(1914~1918)で、すでに悪夢のもの、恐怖のものとなる。飛行機は敵陣地を把握する偵察機として利用され、やがて空から爆弾を投下するという爆撃機の登場で、あっさりと大量殺人を可能とする戦争の道具へと成り下がった。
飛行ショー(1911)で人類の夢の実現を目撃し、歓喜した大阪の人々の、わずか30数年後(1945)に、B29の100機以上が大来襲するのだから人類の愚かさというか、歴史の皮肉、残酷さったらない。大阪は徹底した爆撃で焼け野原となり、焦土と化し、阿鼻叫喚の地獄をみた。
それは、でも、最初の飛行ショーから予告されていたことでもあった。陸軍の「城東練兵場」で飛行ショーが行われた…という事実が、それを予告している。なぜ陸軍が、城東練兵場で、飛行機のお披露目を行ったのか?それは当然、軍事利用、軍事目的のための演習という意味が込められていた。
作品のはじまり当初は女子師範学校の青春グラフィティっぽい描写だが、後半になると運動会(運動会はもちろん戦争の代理です)や「君が代」の中で見つめあう男女、憲兵に捕まると脅される先生など戦争の影がどんどんと、ひしひしと押し迫ってくる。
「女子だって飛ばなくっちゃならんのです!」とは劇中のセリフ。男たちは確かに飛んだが、その先に何があったか?
ラストシーン、飛行機のプロペラ音が大音量で流れ、消えていく。あれはどこに向かう飛行機なのだろうか?
いろいろと考えさせられる作品でした。永井愛作品はいいなぁ。
まちを歩いていて音楽が流れてきて「うわあ、ええ曲やな」と思いつつ、曲名やミュージシャンがわからない。タワレコの試聴CDで聴いたりして調べるが、わからない。
そんな曲のこともすっかり忘れてしまい、日常を送っていたら、しかし、ひょんなことで曲名やミュージシャンのことが判明したりする。時には数年越しの再会だったりする。こういう時の喜びったらない。感動で打ち震える。
遠回りするから楽しい、遠回りしたから嬉しいというのがある。「能率よく出会う」「効率よく知る」では見えてこない、わからない世界。
また「あのレコードかな?」「このミュージシャンかな?」と思いつつの音楽探し、レコード追求の時間が、その右往左往、紆余曲折、試行錯誤が、新しい音楽や曲、ミュージシャンとの出逢いとなり、豊かさに繋がったりもする。
今みたいに「音楽検索アプリ」などもない時代の話。タワレコとかもういかんもんなあ。試聴CDというのも聴かなくなった。
こういうフラフラすることを「逍遥」という。逍遥がない時代。逍遥の価値がわからない時代。若者よ、フラフラせよ。フラフラせなあきません。フラフラすることに関していえば自信がある。我が人生、フラフラしまくってますからなw