新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。
「雁木発祥の地」とあった。この辺は雪深い。大雪となるとあれよあれよと交通手段がシャットダウンされる。ライフラインが崩壊しかねない。そこで雪を防ぐための雁木というアイデアが生まれた。
要するに街道沿いの商家の庇(ひさし)を伸ばして雪が道を塞ぐのを阻止しようというものらしい。阿賀町の商家は、現在は空き家になったり、建て直しになったりしていて歯抜けのようになっているが昔は雁木が並んで人々の往来を守ったらしい。
この手の「共助」の精神は雪国には強い。色濃く残っている気がする。雪がある意味「みんなの共通の敵」みたいなところがあるw 雪対策には一致団結して取り組まないといけない。何もいわれてないのに自分の家だけではなくて隣の家、隣の隣の家、隣の隣の隣の家の道路や屋根なども雪掻きしていく。それが当然というようなマインドが強い。
雪国の都市がいいなあと思うのは、こういう共助が息づいているところ。それだけ雪が恐ろしいということでもあるんですが…。自然環境が厳しいから人が暖かくならないと生きていけない。
新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。
こんぴらさんの水があるかと思いきや、住吉神社があった。阿賀町は山の中にあるように見えるが、阿賀野川が流れている。江戸時代は川は川港で、水上交通が盛んであった。航海の神であるこんぴらさんや住吉さんが祀られるのは当然といえる。
住吉神社には神輿蔵があり、そこの説明書きによると、実際に大坂・住吉で作られた神輿であるとか。わざわざ大坂で作ったものを阿賀町(津川町)まで持ってきたということになる。住吉の大神への崇敬。すごいなあ。
大坂・住吉には、かつては「大佐」という名門大工集団がいた。あまり知られていない(残念なことに!)が住吉大社は伊勢神宮と同じように20年に一度、式年遷宮をする。古代から続き、中断した時代もあるが、お抱えの宮大工集団がいたわけで、ものづくりのDNAが連綿と受け継がれていた。住吉の大工集団たち、職人たちは神社だけではなくて地車、神輿などを手掛け、お手のものだった。
阿賀町の神輿が大佐の制作かどうかはわからない。どこだろうか。なにか記録があるのかどうか。みてみたいなあ。
新年度ということで、みなさま、入学とか就職とか転職とか、いろいろと変化に富んだ記事がたくさん上がっておりますが(おめでとうございます)ご安心ください。陸奥賢はなにも変わりません。至って低空飛行。
ビール、麒麟山のんでお店で買ってきた魚のフライ(超美味)をパクパク食べるというような、どっからどうみても中年オヤジな日々をコツコツと弛まなく歩んでおります。
しかし魚はうまいねえ。アホだねえ。なんでこんなに美味しく生まれてきたのか。そりゃ食べられてまうわ。は!?もしかして、おれのために美味しく生まれてきてくれたのか。ありがたいねえ。
【宮城県】仙台市の岩切児童館さんでまわしよみ新聞が発行されました!( ´ ▽ ` )進行は河北新報社さん。ありがとうございますー!m(_ _)m
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河北新報社主催のまわし読みWSを職員研修でおこないました
新聞を読んだことがない子どもも増えてきています
スタッフの中でも新聞を購読しているのがこの日は私だけでした。
物心ついた時から新聞が家にありました。初めはTV欄から・・・大人がなんだか真剣に読んでいる。これはなんだ?情報が取れるらしい。小学校の時の担任が授業で新聞を活用していたこともあり、自然と新聞を読むようになっていきました新聞の思い出として強烈に残っているのは。。。東日本大震災の時に、避難所で配られた新聞です。情報源がほとんどないなか、仙台がどうなっているのか不安な夜を過ごした時に避難所に届けられた新聞。外界とやっと繋がったそんな気持ちになりました。
そして、東京の舞台で見たセリフ。子どもの頃新聞売りをしていたが、1日分だけは必ず残す。それをお腹に入れて寒さから身を守るそれがないと寒くて死んでしまう。なぜかそのセリフを覚えていて、寒かったあの夜に新聞をお腹に入れて暖まっていました。知識にもなり、暖房がわりにもなり、遊び道具にもなる
新聞だけではありません。新聞に入ってくる広告の紙。それでよく父が紙飛行機をつくってくれました。よく飛ぶ飛行機を作るにはどの紙が良いか?紙鉄砲で大きい音のする紙はどれか?広告の紙で、手触りや、厚さ、折るときの音の違い。新聞紙や広告紙に破りやすい方向があることなどもわかりました。この体験から私の紙フェチが始まったのかもしれません(笑)
とワークショップから大幅にずれてしまいましたが何が言いたいかというと・・・・。新聞って面白い!!ということです
WSは初めに新聞の読み方、新聞のできるまでを河北新報の記者をしていた方のレクチャーがあり(これが本当に面白い!)新聞の秘密を聞き、その後新聞から気になる記事を3つ選び、グループで発表。その記事を使って、オリジナル新聞を作りました!その中でさまざまな発見があり、出来上がった新聞を発表し合いコミュニケーションが取れる。新聞で遊び尽くした2時間でした。ああ。本当に面白かった。
「まわし読み新聞WS」は来年度の児童館事業で行う予定です。お楽しみに!
「俺がいま20代なら地域おこし協力隊をやって選挙にでて当選して町会議員をやって汚職して炎上して辞職して変な水ビジネスしてるやろなあ」「何の話してるんですか?」
【新潟県】阿賀町のしごと・まなび場&ブックカフェ「風舟」さんにてまわしよみ新聞!阿賀町の地域おこし協力隊のみなさんと発行しました。
新聞は「福袋型メディア」「ガチャメディア」w 何が載ってるのかよくわからない。ページをめくるまで、どんな記事があるかわからない。その予測不可能性が面白いし、可能性につながる。
さらに新聞は切ったり貼ったり丸めたり…などができるという加工性、可変性に優れたメディアであり、これも珍しい。ものづくりの素材に使えるメディア。「ものづくりメディア」。
まわしよみ新聞は、そうした特性を活かしたメディア遊び。新聞遊び。阿賀町の高校生たちにもやって欲しいなあ。期待しております!( ´ ▽ ` )
【新潟県】阿賀町のブックカフェ「風舟」にて発見。『まわしよみ新聞をつくろう!』。
これだけやのうて『まわしよみ新聞のすゝめ』まであって流石です…w
大阪まち歩き大学。新潟留学。阿賀町。将軍杉。
将軍杉の将軍とは平安時代中期に活躍した余吾将軍こと平維茂(?〜1022?)のこと。維茂の義兄弟の平維衡の系譜(伊勢平氏)から平清盛(1118〜1181)が出てくる。維茂は大体、清盛からは100年ほど前の世代の人で、藤原道長に仕えて出世し、陸奥国で勢力を伸ばした。
阿賀町には維茂が建立したという平等寺があり、その平等寺の境内にあるのが将軍杉。傍らに会津藩初代藩主の保科正之が建立した「鎮守府将軍平維茂碑並銘」がある。
樹齢は推定1400 年。樹高40m。幹周り19.31m。平維茂を葬った際の標木だという。維茂が亡くなったのは1022年頃だから、樹齢が1400年というのが本当なら維茂が亡くなった時でも樹齢400年の杉であったということになる。本当かどうかはよくわからない。
惜しむらくは真ん中の杉が倒れてしまったことで、昭和36年(1961)の第二室戸台風の被害という。しかし流石の巨樹で威風堂々たる有様に圧倒された。阿賀町に来たら一見の価値はあります。神々しい。
【福島県】去年後半は白河三昧で、僕の頭の中は半分、白河でできあがっておりましたが「白河まち歩きフォトスゴロク」について考えるトークイベントの動画がアップされました!
密かに私淑(?)しております大澤 寅雄アニキにお願いしまして、まち歩きフォトスゴロクの可能性について語ってもらい、参加者や関係者のみなさんにも振り返りトークをして頂きました。
ダイジェスト版の動画ですが、後日、全発言を収録した報告集もでます。それもぜひ読んでほしいなぁ。乞うご期待ください!
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【ポリフォニックミュージアム・ラウンドテーブル「白河まち歩きスゴロクを考える、振り返る」動画公開】
2021年12月5日(日)に行った「白河まち歩きスゴロクを作ろう!」の参加者、企画者、白河市のミュージアム関係者が集い、ワークショップを振り返りながら、そこから導き出された視点で様々な議論を行いました。
「フォトスゴロク」によってもたらされる地域への主体的なまなざし、遊び、共有し、並べることで立ち上がる物語、高校生、大学生、市役所職員という多世代が参加したことによって生まれたポリフォニックな視点と対話。そこに住む人自身が、まちに気づき、まちを面白がることから始まる創造性について対話がなされました。
https://youtu.be/Nv0VyaKKcpQ
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ラウンドテーブル「白河まち歩きスゴロクを考える、振り返る」
日時:2022年1月7日(金)16:00~18:00
会場:コミュニティ・カフェEMANON
講師:
陸奥賢さん(観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者)
大澤寅雄さん(ニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室主任研究員)
参加者:
青戸悠之介さん(白河市建設部まちづくり推進課主事)
勝田陸さん(コミュニティ・カフェEMANONスタッフ)
唐橋薫さん(白河市建設部長)
佐川庄司さん(藤田記念博物館学芸員)
中川智隆さん(帝京安積高等学校2年生)
新国真理恵さん(白河市建設部文化財課主事)
藤城光さん(アーティスト)
本間宏さん(福島県文化財センター白河館まほろん副館長)
青砥和希(一般社団法人未来の準備室理事長/LMN実行委員会委員)
主催:ライフミュージアムネットワーク実行委員会
撮影・編集:羽賀慎一郎(風見映像スタジオ)