官僚統制国家の歴史的必然=チェルノブイリとフクシマの悲劇
旧ソ連は官僚統制国家でした。官僚統制国家は隠蔽体質で、だからチェルノブイリの悲劇が起こりました。じつは日本は旧ソ連に負けず劣らずの官僚統制国家です。フクシマの悲劇は、ある意味、歴史の必然といえます。
ちなみに、旧ソ連の官僚統制国家体制はチェルノブイリの悲劇からわずか6年で崩壊しました。日本の官僚統制国家体制が崩壊するのはいつなのか?
それほど遠くない日のような、まだまだのような・・・。
旧ソ連は官僚統制国家でした。官僚統制国家は隠蔽体質で、だからチェルノブイリの悲劇が起こりました。じつは日本は旧ソ連に負けず劣らずの官僚統制国家です。フクシマの悲劇は、ある意味、歴史の必然といえます。
ちなみに、旧ソ連の官僚統制国家体制はチェルノブイリの悲劇からわずか6年で崩壊しました。日本の官僚統制国家体制が崩壊するのはいつなのか?
それほど遠くない日のような、まだまだのような・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=LxD44HO8dNQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%90
放射能や原発について、やたらと詳しくなっていく今日この頃ですが、色々と調べていて、衝撃映像を発見しました。旧ソ連が1961年に行った核爆弾「Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ)」の記録映像。「Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ」は直訳すれば「爆弾の皇帝」ということでしょうか。威力は広島型原爆の3300倍で、その衝撃波は地球を3周。爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は58キロメートルに及んだとか。チェルノブイリ、フクシマの比やないです。寒気がします。しかも重過ぎて大陸間弾道ミサイルには搭載できず、実戦には全く使えないとか。ほな、なんでこんなもん作ったんや?冷戦時代の狂気の産物。まさしくキューブリックの『博士の異常な愛情』。
BGMがホルストの組曲「惑星」の「火星」。またこれが妙に映像とマッチングしてます。怖い。
『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1』がブックファースト梅田店の週間ランキング(2011.04.04~2011.04.10)の総合で5位に入りました。
http://www.book1st.net/ranking/0002/0001/page3.html
「ベストセラーよりロングセラーに」と願ってましたのでランキング入りは驚き、望外の喜びでした。ありがとうございます。感謝!
街屋集団の巽さんから御案内を頂いて街屋集団の春のまちあるき「北浜今昔物語」 堺筋近代建築を定点観測しよう!に参加しました。
街屋集団について
http://machiyashudan.blog28.fc2.com/blog-category-4.html
ごあいさつ
http://machiyashudan.blog28.fc2.com/blog-category-3.html
まち歩きのルートは、Y’sピア北浜(大阪会議レリーフ)→大阪証券取引所跡→新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)→高麗橋野村ビルディング→三井住友銀行大阪中央支店→三越百貨店大阪店跡→伏見ビル→生駒ビル。最初のY’sピア北浜では「大阪会議」や北浜について、ビルオーナーで街屋集団幹事メンバーの山根さんが解説。最後の生駒ビルヂングでは、建物保存/活用に尽力されているビルオーナーの生駒さん直々のご案内で内部見学・・・というまち歩きでした。
上の写真は北浜・堺筋・平野町の近代名建築生駒ビルヂング(登録有形文化財指定・大阪市指定景観形成物指定)の屋上にて。まち歩き参加者の皆さんと撮影したものです。
ぼくはソフト屋なんで、建築家、ハード屋さんのご意見は、いろいろと勉強になります。生駒さん、山根さん、巽さん、本当に、ありがとうございました。
※巽さんの「定例会のご報告」もご参考までに。
4/9まちあるき~北浜今昔物語 ご報告
江戸時代の大阪は人口約30万の町民都市でした。うち武士(行政マン)は約1500名だったとか。町民200人で武士1人を賄っていた比率になります。現在の大阪市人口260万を支える行政マンは1万3000人で賄えるはず。それが出来ないのは江戸時代より現在の行政府が組織として粗末であるということです。
ただ行政ばかりを責めることもできません。逆の観点からいうと、昔の大阪の町民は、武士(行政マン)がいないぶん、それだけ自分たちで町を治めていました。例えば捨て子は「軒親」といって町会が責任をもって育てました。まちに対して愛着がない、無責任な都市流民が多ければ多いほど「行政にやらせとけばええ」ということで、無尽蔵に行政コストがかかっていくわけです。
『お奉行の名さえ覚えず年暮れぬ』(小西来山)。江戸時代に大阪で流行った川柳です。大阪の町民は奉行なんて存在を無視しました。いまでいえば「橋下さん?だれ?聞いたことないですなぁ」とそういう感じでしょうか(笑)実際に大阪にはひとりの大岡越前もでませんでした。町の問題は、町民たち自身で解決したから名奉行なんて必要なかった。そういう「知性のある町民都市」を大阪は目指すべきやと思ってます。
かつての大阪はそういう立派な自治都市やったんですから。その「都市の記憶」がある限り、「まちのDNA(遺伝子)」を復活させることで、それは可能だと思ってます。
本日、ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三」にて『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』を絶賛ご紹介いただきました。
道上さん、ありがとうございます!
関係者のみなさまに深く感謝!
※ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三」公式サイト
http://abc1008.com/ohapaso/