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大阪万博幻想

2011 年 12 月 3 日

1970年当時の日本の人口は約1億人でした。同年開催の大阪万博の総入場者数は約6400万人。恐るべき数字です。この世紀の一大イベントのおかげで、「人類の進歩と調和」という「万博幻想」が日本全体を包み込み、日本人は資源もエネルギーも無限にあると錯覚してしまい、「大きいことはいいことだ」「メタボリズム建築」「日本列島改造論」「使い捨て」といった傲慢不遜な一過性社会を増長させました。

本当は1970年は「オイルショック(1973)前夜」(早晩、オイルショックが起きることぐらい、当時の全世界の知識人、学者、企業、有識者はわかってましたし、何度も何度も何度も何度も警告・警鐘していました)で、「地球資源は有限である。いままでの科学工業文明は曲がり角に来ている。我々はもっと自然を尊重し、自然に寄り添う生活スタイルを模索しなければいけない!」ということを訴えるべき段階に来ていたはずなのに、日本は西欧型の大量生産・大量消費文明に憧れて、まるで正反対のことをしてしまいました。その結果が1980年代の史上空前の「バブル経済」と、1990年代の「バブル崩壊」と、2000年代の「失われた時代」であり、2011年の「福島原発事故」 です。大阪万博の奢り昂りの果てに、福島原発の今日の悲劇がある。これは間違いない歴史的事実です。(あ。言い遅れました。ぼくは「アンチ大阪万博」の人間ですww。ちなみに岡本太郎も「アンチ大阪万博」で、あの「太陽の塔」を作りました。大阪万博の科学万能主義を謳ったパビリオンはすべて地上より消滅し、アンチ万博の太陽の塔だけが、いまも大地に屹立しています。なんという皮肉!)

しかも日本が時代遅れの工業社会化を熱心に進めているあいだに、1970年代のアメリカで起こったことが、マイクロソフト(1975)やアップル(1976)の創業で、「IT情報産業」の勃興と発達だったことを考えれば、日本は決定的な、致命的なミスを犯したといっても過言ではないでしょう。

じつは松下幸之助は1964年の段階でコンピューターの存在を知っていたんですが、「コンピューター?あんなもんようわからん。あきまへん。ソロバンでよろしい」といってコンピューター事業から全面的に撤退したんです。正直いえば、これが「経営の神様」と崇められている松下幸之助の限界でした。いや、松下幸之助がダメだったというのではなく、おそらく「戦後日本式経営の限界」だったのでしょう。

もういい加減、「人類の進歩と調和」(この有名な、科学万能主義を謳うコピーには、自然環境に対する畏敬の念がありません)=「大阪万博幻想」から脱却しないと。それが次の大阪、日本を作る第一歩だと思ってます。「大阪万博幻想」を生んだ大阪の地から、それをはじめたい、はじめなくてはいけない、とも。


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