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儒家百家

2011 年 12 月 15 日

春秋戦国時代の中国は面白い。司馬遷の『史記』を読めば、古代でありながら、現代と変わらないぐらいに、人間の描写が生き生きとしている。人間が多彩多種多様であった証拠に、「諸子百家」といわれるぐらい、イデオロギーや学問体系が乱立した時代でもありました。

ところが、その諸子百家を粉砕したのが、史上初めて中国を統一した始皇帝。彼は諸子百家の中から「法家」を取り上げて、独裁君主、郡県制による中央集権、非情なる厳罰主義でもって秦帝国を作り上げました。その他の百家は文字通り「焚書坑儒」した。

その後、秦が乱れて、漢が興ります。漢の武帝は秦のような法家思想では国が治まらないと、今度は秦時代に弾圧されていた儒家を採用します。これが中国人の性向に合い(なぜ合ったのか?はここでは述べません。書いてたら長すぎるww)見事に成功。儒家思想を用いて、国家思想として統一を図ったことで、ようやく中国は国家としての纏まりを持ちます。

あれだけの広大な土地を治めようと思えば、強烈なイデオロギーを強固に推し進めるしかなかったんでしょうな。しかし、国家がただひとつの思想体系を支持するというのは、恐ろしい反作用効果を齎します。まず諸子百家の煌くような思想の大海が儒家一本に絞られ、分流となり、支流となり、やがて枯渇してしまった。多様性こそが文化の豊潤さのバロメーターであるのに。

また儒家というのは、すでに神話化、伝説化していた堯、舜、文武、周公といった太古の「君子政治」を理想として、それを復活させようという歴史の回帰運動の思想でした。これは言ってみれば人間の進化を否定するイデオロギーで、それが国教とされた。だから諸子百家の古代中国の方が現近代的であり、漢以降の中国は、どんどんと人間が古代化していく。「歴史に遡上していく歴史国家」という複雑怪奇なパラドックスが中国の正体です。

ただ、儒家も2000年続くと、儒家でありながら、あらゆる百家を包括した儒家となるようでして。つまり「儒家百家」という奇妙奇天烈な状況となる。「孔子平和賞」もそのうちのひとつでしょう。まさかノーベル(ノーベル平和賞かて政治利用されてます)に対抗して孔子を持ち出すとは。これは新しい儒家の政治利用。愚かしくもあり、面白くもあり。


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