高野山
9世紀、空海は留学生として入唐して密教の経典を入手、それをごっそりと日本にもってきました。密教はルーツを辿ればバラモン教で、仏教以前のインド土俗の宗教です。バラモン教には釈迦は登場しません。「宇宙とはいかなるものであるか?」という生命の根源的なものを問う宗教で、「曼荼羅(マンダラ)」(元はバラモン教のもので、ようわからん幾何学模様でしたが、仏教に取り入れられると、仏などが描かれるようになりました)は、そのシンボリックであり、図案化です。
宗教は先発のものは素朴で大雑把で大袈裟でテキトーで、後発はそのアンチテーゼとして登場するので理論武装してロジックが優先します。バラモン教も仏教、儒教よりもスケールは大きかったようですが、それだけ整合性はなく、カオスで、破綻していました。
そんなバラモン教が中国に渡ったときも、中国人は、あまり興味を覚えなかったようです。中国人は良くも悪くも現世的で合理主義者ですから、目に見える山川草木花鳥風月はこよなく愛しますが、「宇宙」なんてものを説く宗教には大して感心をもたなかった。体質に合わなかったんでしょう。一部の好事家が、趣味的に「これはなかなか面白い」なんて手慰みにしていただけで、空海の時代には完全に廃れていた。ところが、そのバラモン教を唐で発見した空海は「これはすごい!」とひとりで大興奮して、本当であれば20年間の唐留学の予定だったのを、わずか2年で切り上げて、日本に持ち帰りました。
空海の天才はここからで、空海はバラモン教を勉強しながら、その聡明すぎる頭脳で、見事に自分流に再構築して、完全完璧な宗教「真言密教」として完成させました。空海の真言密教には、一切、破綻がなく、隙間がありません。大雑把なバラモン教を圧縮、凝縮して、宝石のような結晶体(=真言密教)にしてしまった。宇宙を説くマクロのバラモン教から、一輪の蓮花のようなミクロの真言密教へ・・・それが空海のライフワーク、仕事でした。
また、空海は真言密教を日本全国の庶民に齎すなんてことには、さほど熱心ではありませんでした。宗教は分布しようと思うと、信者を獲得していこうとすると、どんどんと方便(ウソ)が必要になっていき、教義もダラダラしたものになっていきます。親鸞上人は信者を獲得していくために「結婚しても魚食べても悪人でもOKでっせ!」なんてことをいって庶民を教化していきましたが、空海はそういうスタイルは取りませんでした。あくまでも純粋さにこだわった。
その代わりに空海は、紀州の山奥にある、蓮の花が開いたような山上盆地に、自分の理想の、見事な壇上伽藍を作り上げた。それが高度1000メートル以上の雲の上に、空中浮遊の、天空に漂うような、宗教都市「高野山」です。じっさいに高野山は、比叡山焼き討ちのように権力者に焼かれたことがなく(秀吉は焼き討ちしようとしましたが木食応其上人との話し合いで簡単に決着しました)、米軍の空襲にも遭いませんでした。どこか世界から超越した、隔絶した宗教といえます。
要するに、真言密教は、選ばれた者だけの、天才の宗教といえます。普通の庶民には真言密教はようわかりません(笑)しかし「小規模でもいいから、完全無欠の世界を作り上げよう」という空海のベクトルは、じつは非常に日本的だと思っています。利休の茶室や龍安寺の枯山水にも通じる日本的なベクトル。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、大抵の世界の宗教は、マクロに拡大していきます。それがゆえに衝突する。しかし空海の真言密教はミクロに展開していった。こういうベクトルの宗教があることは、世界にとって、ひとつの救済になりうるのでは?と思ってます。ま、ひとことでいうと大乗仏教ではなくて「小乗仏教の可能性」と、そういうことなのかもしれませんが(笑)
なんとなく高野山にいきたい。そんな夜。