ぼくの中学校時代は、このひとにイカレまくってた時代でもありますww
ミックスジュース・ナイトフィーバー!13日目!
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完成品はこちら!完全に緑色です!
当初は「ガリガリくんは結構、美味しいんやない?」と思っていたんですが、ちょっと想像以上に大根の葉が強烈で、なんというか辛かったです。ミックスジュースなのに辛い!飲めなくないけど、辛い!ww
今夜もまた新しい味でした。毎晩毎晩、ミックスジュースの歴史を塗り替えてる気がしますww
西宮えびすは、傀儡師の発祥地でもあります。えべっさん信仰を広めるために、箱人形を使って村村を巡って宗教劇を展開したんですな。河原者ですが、えべっさんに使える神人として治外法権的な立場で、傀儡女、渡り巫女、流れ巫女(男性と性行為をしてケガレを祓う)なども数多くいました。
この傀儡師の一団が、やがて浪華の地にやってきて、集落として住み着いたのが道頓堀川界隈。市中である大坂三郷からは外れた悪所(アジール)ですが、ここに遊郭や死刑場、墓場が設置され、さらに芝居小屋(芝居を観るなんてことは「悪所通い」でした)が設置されて幕府公認となると、傀儡師たちは大いに勢力を伸ばし、これが道頓堀五座に発展。やがて近松門左衛門や竹田出雲といった天才が生まれ、人形浄瑠璃、世界遺産の文楽へと変貌していきます。(ちなみに道頓堀名物の「くいだおれ太郎」というのは電気じかけの文楽人形です。くいだおれ太郎のルーツをたどると傀儡になるんですな)
実際に現代も道頓堀は今宮戎神社の氏子地域で、阪神タイガースが優勝するといちびった若もんが飛び込む橋は「戎橋」で、戎橋筋商店街(船場から考えると心斎橋筋商店街も)は今宮戎さんへの「参詣道」です。十日戎にあわせて、道頓堀界隈の商店街は宝恵駕籠行列などもやっていますが、これは元は花街の遊女たち(このルーツも傀儡女にたどることが可能でしょう)のお礼参り(病気もなく、無事に男性のお相手が務めることができました。ありがとうございます・・・というものです)でした。おもに正月と六月晦日に行われていたようで、正月は今宮戎。六月晦日のお礼参りは愛染さんの宝恵駕籠行列として続いてます。
傀儡発祥の西宮と、文楽発祥の今宮(道頓堀)。西宮と今宮は「えべっさん信仰の、河原者のまち」という意味でリンクしている。西宮界隈はそうした「まちの匂い」が廃れましたが、今宮界隈は、いまだに匂いが濃厚に残ってます。また、こういうまちからは、近代になっても「客人(まれびと)」の折口信夫(木津村。のちの今宮村出身です)のような異形な民俗学者が出てくる。ゲニウス・ロキ(地霊)というのは、すごいもんです。
画像は西宮の傀儡師。
西宮えびすは、傀儡師の発祥地でもあります。えべっさん信仰を広めるために、箱人形を使って村村を巡って宗教劇を展開したんですな。河原者ですが、えべっさんに使える神人として治外法権的な立場で、傀儡女、渡り巫女、流れ巫女(男性と性行為をしてケガレを祓う)なども数多くいました。
この傀儡師の一団が、やがて浪華の地にやってきて、集落として住み着いたのが道頓堀川界隈。市中である大坂三郷からは外れた悪所(アジール)ですが、ここに遊郭や死刑場、墓場が設置され、さらに芝居小屋(芝居を観るなんてことは「悪所通い」でした)が設置されて幕府公認となると、傀儡師たちは大いに勢力を伸ばし、これが道頓堀五座に発展。やがて近松門左衛門や竹田出雲といった天才が生まれ、人形浄瑠璃、世界遺産の文楽へと変貌していきます。(ちなみに道頓堀名物の「くいだおれ太郎」というのは電気じかけの文楽人形です。くいだおれ太郎のルーツをたどると傀儡になるんですな)
実際に現代も道頓堀は今宮戎神社の氏子地域で、阪神タイガースが優勝するといちびった若もんが飛び込む橋は「戎橋」で、戎橋筋商店街(船場から考えると心斎橋筋商店街も)は今宮戎さんへの「参詣道」です。十日戎にあわせて、道頓堀界隈の商店街は宝恵駕籠行列などもやっていますが、これは元は花街の遊女たち(このルーツも傀儡女にたどることが可能でしょう)のお礼参り(病気もなく、無事に男性のお相手が務めることができました。ありがとうございます・・・というものです)でした。おもに正月と六月晦日に行われていたようで、正月は今宮戎。六月晦日のお礼参りは愛染さんの宝恵駕籠行列として続いてます。
傀儡発祥の西宮と、文楽発祥の今宮(道頓堀)。西宮と今宮は「えべっさん信仰の、河原者のまち」という意味でリンクしている。西宮界隈はそうした「まちの匂い」が廃れましたが、今宮界隈は、いまだに匂いが濃厚に残ってます。また、こういうまちからは、近代になっても「客人(まれびと)」の折口信夫(木津村。のちの今宮村出身です)のような異形な民俗学者が出てくる。ゲニウス・ロキ(地霊)というのは、すごいもんです。
画像は西宮の傀儡師。
自分の生き方、思想、哲学を論理的整合性だけで規定しようとするのは土台、無茶な話で。人間はもっとおっちょこちょいで、カオスで、曖昧模糊で、やぶれかぶれで、テキトーで、うろんなる存在ですから、要するに人は誰でも矛盾撞着を抱えて生きている。ここで必要なのは矛盾撞着を無視して性急に答えを出すことや、矛盾撞着に囚われてしまって思考停止するのではなく、焦らず、じっくりと、眺めてみること。そうしているうちに矛盾撞着にしか思えなかった現象や事象が、じつは通常と異なる角度、次元、パースペクティブから眺めてみると、矛盾撞着を持たない形態に変貌してくる。いや、実際、どういう風に変貌するかはわからないんですが(余計こんがらがってくることも往々にしてありますがww)、そういう解決の可能性が出てくる(かも知れない)。「戦う」とか「逃げる」とか兎角、この世は住みにくい。とりあえず「様子を見る」ことの大切さ。この選択肢を知ってるだけでも、けっこう救いになります。
「伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」
G・K・チェスタトン『正統とは何か?』
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新しい高層マンションの住人たちが、古くからある神社の祭礼の地車囃子の「夜練習がうるさい!」とクレームを入れる。マンションは住民の数も多く、民主主義では数が多いほうが強い。神社は対応に苦慮して、結局、マンションに頭を下げて謝罪する・・・こういう問題が日本全国どこでも展開してますが、これはそのまち、土地、コミュニティの文化、歴史、伝統などを、なんら勘案しようとしない「横の民主主義の悪弊」です。
この「横の民主主義」に対して、まち、土地、コミュニティが含有している文化、歴史、伝統などを・・・これは即ち、過去人=我々の祖先、先達、先人、死者たちの物語です・・・を尊重しようとすることを「縦の民主主義」といいます。
過去人たちはモノをいったり、投票したりすることはできませんが、過去人たちの思いや願いを推察して、現在進行系の問題、懸案を考えようとする。これは過去人のみならず、未来人(子孫、後輩、後進)への義務、責務を、深く考察しようという態度ともいえます。「空間的な民主主義」と「時間的な民主主義」ともいえますし、イギリスの小説家G・K・チェスタトンはこれを「生者の民主主義」と「死者の民主主義」と提唱してます。
現代日本民主主義は「横」「生者」「空間」ばかり尊重して、まるで「縦」「死者」「時間」を尊重しようとしない。「国債1000兆円を後代にツケとして残す」「数万年に渡って放射能汚染された土地を作ってしまう」なんて問題は、生者の奢り、傲慢以外のなにものでもなく。「横の民主主義」だけではなく、「縦の民主主義」を考えること。「縦」と「横」のバランス、調整、帳尻合せが、今後の我々の政治、まちづくりなどの緊急課題です。そのためにも、我々は「死者の物語」を、まち、土地、コミュニティの文化、歴史、伝統を、もっともっと深く知らなければいけない。
「大阪七墓巡り」はそのためにやっています。
http://www.facebook.com/osaka7haka
名著です。80年代はこういう本が作れたんですな。バブルの恩恵ありがたや。
達磨大師は「如是我聞」(我は是の如く釈迦の教えを聞いている=要するに釈迦の弟子たちのまた聞きをまとめたものですww)な大乗仏教を悉く唾棄して、釈迦の原点に返ろうとして禅を起こしました。まさしく富永仲基の加上の法則ですな。
そして禅の面白いところは「不立文字」であること。○△□は○△□であるから○△□以外に表現できない。○△□でしか伝えることはできない!
すごくシンプルな考え方ですが、しかし仏や鬼や聖や悪を伝えるには、仏や鬼や聖や悪そのものになれ!という覚悟が必要で、そんなのは常人には到底ムリで、じつに恐ろしい宗教でもあります。
表紙は白隠が描いた達磨図。眼が完全にいってますが、これこそが白隠の眼でしょう。静かな狂気の中で粛々と達磨を描いたにちがいありません。怖い・・・。