【アート・パフォーマンスによる都市祭礼の実施と可能性の模索】
いま日本国中の街中や商店街で様々なアート・プロジェクトが展開されているが、その目的の多くは「地域活性化」や「経済効果」といった近代資本のロジックに支配されたもので、地域で行われるアート・プロジェクトを、まるでまちや地域の営利営業活動のように捉えている例が数多く散見される。しかし本来、アート、パフォーマンスには、経済や資本といった近代論理を越えた、もっと豊潤な精神世界の発露、生命の情熱やカオスに因った自由闊達な表現があった。近代資本主義が世界を席巻し、巨大なアート・マーケットも誕生したが、それ以前の上古、古代、中世の文化的、芸術的活動は、超自然への「交流」「祈り」「恐れ」「信仰」といった意味付けでなされたものが大半であった。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」は、アートによる経済効果=「まち起し」ではなく、アートによる先人たちへのレクイエムと鎮魂=「まち鎮め」である。参加者は、先人たちの霊(土地の霊。地霊。これを古代ローマ人たちは、これを「ゲニウス・ロキ」と呼んだ)と現代アーティストとの魂の交流(「共演」といってもいいかも知れない)を体感することで、大阪という都市のゲニウス・ロキと、アートの可能性を感じてほしい。
http://www.facebook.com/osaka7haka
「七墓巡り」とは江戸時代の大阪町衆の風習で、毎年、盆になると市中郊外の七墓を巡り、有縁無縁を問わず「同じ大阪に住んでいた町衆、先人ではないか」とその霊を慰めたもの。また江戸時代の後期ともなると若い男女のデートコースとしても活用されたようで、町衆は自由闊達に「遊び心」を持って七墓巡りを楽しんだという。
「大阪七墓巡り復活プロジェクト」は近代以前の大坂の都市祭礼であった七墓巡りと、町衆の「遊び心」を130年ぶりに復活させようというもので、七墓跡において語りや詩の朗読、演劇、歌、ダンス、音楽といった7つの遊び心溢れるパフォーマンスによって、大阪の町衆の霊を慰めることを企画している。
2011年春に発足し、2011年8月15日に「大阪七墓巡り」を実施。2012年も8月15日に「大阪七墓巡り」を予定している。
http://www.facebook.com/osaka7haka
http://www.asahi-artfes.net/program/2012/post-15.html
【大阪七墓の歴史的経緯と場の特徴】
大阪夏の陣で豊臣政権が滅亡すると、夥しい戦死体が大阪市中に溢れ、その処理として市中の郊外に墓所が設定された。元禄期にもなると、墓所には死刑場や遊郭、芝居小屋などが置かれて開発され、こうした場所は「悪所」(歴史学、社会学的な概念でいうところの「アジール」)と呼ばれた。悪所には、村落共同体から追われた流れ者や罪人、遊女、流民、芸能民などが数多く集まり、そのコミュニティの融合から、新しい大阪の都市芸術が生まれてきた。例えば千日墓地前にあった道頓堀五座で演じられる悲劇のヒロインのモデルが、じつは数日前に千日前刑場で磔で処刑された実在の遊女であった・・・といったようなことは日常茶飯事のことであり、近松門左衛門の『曽根崎心中』『心中天の網島』といった一連の心中物(当時は、心中沙汰は御法度で罪人扱いであった)も、こうした大阪七墓=「悪所」を背景にして誕生している。今回のパフォーマンスは、大阪の都市芸術のマトリックス(母胎)であった大阪七墓(悪所)の跡地において実施されるが、原点回帰することで、過去、現在、未来へと継承されていく、新しい大阪の都市芸術を産み出したい。
http://www.facebook.com/osaka7haka
http://www.facebook.com/osaka7haka
【大阪七墓の歴史的経緯と場の特徴】
大阪夏の陣で豊臣政権が滅亡すると、夥しい戦死体が大阪市中に溢れ、その処理として市中の郊外に墓所が設定された。元禄期にもなると、墓所には死刑場や遊郭、芝居小屋などが置かれて開発され、こうした場所は「悪所」(歴史学、社会学的な概念でいうところの「アジール」)と呼ばれた。悪所には、村落共同体から追われた流れ者や罪人、遊女、流民、芸能民などが数多く集まり、そのコミュニティの融合から、新しい大阪の都市芸術が生まれてきた。例えば千日墓地前にあった道頓堀五座で演じられる悲劇のヒロインのモデルが、じつは数日前に千日前刑場で磔で処刑された実在の遊女であった・・・といったようなことは日常茶飯事のことであり、近松門左衛門の『曽根崎心中』『心中天の網島』といった一連の心中物(当時は、心中沙汰は御法度で罪人扱いであった)も、こうした大阪七墓=「悪所」を背景にして誕生している。今回のパフォーマンスは、大阪の都市芸術のマトリックス(母胎)であった大阪七墓(悪所)の跡地において実施されるが、原点回帰することで、過去、現在、未来へと継承されていく、新しい大阪の都市芸術を産み出したい。
http://www.facebook.com/events/418877894806815/
今日は「ミックスジュース・ナイトフィーバー」初日!
食材は
バナナ
ニンジン
焼きプリン
カルピス
牛乳
蕪の葉
蕪
これがもうびっくりするぐらい美味しいミックスジュースができましたww 明日も楽しみですww
蕪村への愛が満ち溢れすぎてヤバイww まち歩きというか、とことん蕪村を語りたいww
蕪村の俳句の面白さは「パンフォーカス」なんですな。
「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」
「夏河」が「草履」の中に収まっていく。マクロからミクロへの視点の変化。この逆もあります。
「鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな」
馬の疾走(ミクロ)が野分(マクロ)という広々とした空間への移相。
そしてスゴイのがやっぱり
「五月雨や 大河を前に 家二軒」
これ「五月雨」というミクロが「大河」というマクロになり、さらにまた「家二軒」というミクロに視点が再逆転していく、曲芸のような俳句なんですな。『市民ケーン』もびっくりww
というわけで「いやぁ、映画ってほんとにいいもんですね~」(水野晴郎)をもじって「いやぁ、ほんとに蕪村っていいもんですね~」ww
難波利三先生が直木賞を受賞した出世作『てんのじ村』。ちょっと読んだら止まらんようになってしもて一気に読破。やっぱええですなあ。名作。
解説が黒岩重吾先生で、これがまた味があります。あと表紙がよろしいでんな。初代通天閣。
通天閣は初代に限る。