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「子供も老人もアーティストも社会に役に立つ存在かどうかはわからない。しかし、役割はある」

2014 年 6 月 15 日

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■アサヒ・アート・フェスティバル2014 オープニング記念フォーラム
「私たちはなぜアートプロジェクトを立ち上げ、継続しようとするのか」
http://www.asahi-artfes.net/news/2014/05/aaf2014-5.html

そもそも「アート」と「プロジェクト」は相反する言葉やないかな?と思いますな。「プロジェクト」いうんは「何らかの目標を達成するための計画」(ウィキペディアより)ですが「アート」に目標があるのかどうか?あるともいえるし、ないともいえるわけで。「アートプロジェクト」いうんは、なんや収まりが悪い言葉やなぁと思っております。

「アート」と「アーティスト」ってのも、また混淆するとややこしい話で。市井人でもアートをやるひと、やれるひとというのはいるわけで、アートには「専門家(アーティスト)によるアート(純粋芸術)」もあれば、「非専門家(市井人)のアート(限界芸術)」ってのも含まれる。個人的には「アーティスト」と名乗るひとのアートは、ぼくは面白くないことが多く、興味・関心もそれほど覚えない。それよりも市井人がやる(やってしまう?やらかしてまう?)限界芸術に強く惹かれるし、そのイノセンスが面白い。それで「アートによる社会貢献」というさいに、こうした限界芸術の市井人にそれを求めてもしょうがないわけで。「アーティストによる社会貢献」ってのは、またやりようがあるのかも知れませんが。ただ「社会のためのアートをやるアーティスト」は意外に多くて、大体、つまらないんですな。残念なことです。

フォーラムは面白かったです。結構、盛り上がってきた時に、時間終了となる。時間が足りないですな。毎回、思います。ファシリテーターの大澤さんが最後、ファシリテーターなのに「子供も老人もアーティストも社会に役に立つ存在かどうかはわからない。しかし、役割はある」と名言で締めて、ひっくり返りそうになりましたw 大澤さん、美味しすぎます・・・。


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