日本の「公共」は「公(パブリック)が共(コモンズ)を牛耳る」という形に過ぎず、「共(コモンズ)」が潰されている。また「共」は「共同体(コミュニティ)」ではなくて「共異体」でなければならない。 要するに日本のコモンズはパブリックやコミュニティに殺されている。それが日本の社会から寛容性や多様性を奪う一因となっている。 他者と共に。