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『まわしよみ新聞のすゝめ』寄稿集より抜粋

2014 年 8 月 15 日

『まわしよみ新聞のすゝめ』の魅力として寄稿がバラエティ豊かで豪華!!ってのがあります。続々、寄稿者のみなさんの原稿が集まってまして。これが読んでて、ほんまに面白いww ちょっと抜粋してご紹介します。

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『「まわしよみ新聞」のように既存の新聞を躊躇せずザクザク切り刻み、自分たちの新聞をつくるという発想は、なかなか思いつかないことだし、小気味よい。』
 下之坊修子

『言語芸術的な素材を含め、一つの紙面に編集するこのまわしよみ新聞の共同編集作業そのものもまた、限界芸術として捉えることができる。つまり、連句会の現代版である。』
 小暮宣雄

『陸奥やまわしよみ新聞は救世主にたとえられるべきではない。せいぜいのところ、洗礼者ヨハネであり預言のプロジェクトである。まわしよみ新聞は、次の世界の先触れが現れたるためにあるのだろう。』
 岸井大輔

『ちょうど、集団的自衛権行使容認に関する記事が一面になった日にまわしよみ新聞を行いましたが、参加学生はその記事に十分注意を払いつつ、あえて他の記事を切り抜き、新しいテクノロジーの話やヤンキー文化の展示会など様々な記事を切り抜きました。』
 吉村茜

『情報化が著しく進んだ今日の大学では、教員から学生に向けた垂直型の授業の有効性は限定的なものとなっています。そうしたなか、学生同士の学び合いを促進する水平型の授業の構築・充実が喫緊の課題となっています。新聞記事データベースを用いた「まわしよみ新聞」は、こうした水平型の授業のツールとして活用意義が高く、学生の「島宇宙化」した日常を異化するアプローチとして効果的です。』
 白波瀬達也

『そんな場所のすみっこで新聞を切り貼りしながら、ああだこうだと言い合ったあの時間は何だったのだろう。メディアの周縁か地図の裂け目か。いつのまにか大阪中で、日本中で行われるようになったけれど、その意図は場所により人によりさまざまだ。まわしよみ新聞はただ媒介となって、その場そのときに必要とされる言葉が交わされているのだろう。おや、これって市民メディアのひとつの理想なんじゃないか。』
 茂木秀之

『しかし、「まわしよみ新聞」は、単に新聞から得られる情報を共有しているのではない。読み手を編集者の側へと押し上げて、新聞を使って新聞ではないものを編み出していく方法論を共有しているのである。これはおそらく、新聞史上においてきわめてユニークなムーブメントだ。』
 杉本恭子

『これは結構、なんでもないようなことですが、かなり重要なことだと思っています。というのも、まわしよみ新聞の見落とされがちな点として、まわしよみ新聞は新聞記事を読んだり、情報交換したりする「メディア体験の場」として捉えることもできるのですが、じつは当初は「作品(新聞)を作って展示する」という「アート体験の場」として構想されたわけです。』
 釜中悠至

『まわしよみ新聞への理想はこんな風に高いわけだが、実際は鴎外の「椋鳥通信」のように人生のくねくね道の出来事を拾っては笑い、ケチな出来事を風刺し、風刺したからといって社会が劇的に変わるわけでもなく、でも乾いた笑い声で日常を転がしてゆくことで、今日を生き抜き、いのちをつなぎ積み重ねていくだけのこと。』
 上田假奈代

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良い本になりそうです。ほんまに。


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