花見酒
落語に『花見酒』という小咄があります。熊と八が花見にでかけて花見客に酒を売って儲けようとする。ところがあんまりにも見事な桜なんでテンションが上がってしもて、熊さんが「八。お前に10文払うから酒を飲ませてくれ」と懇願する。八も「金を払ったんなら」で酒を飲ませる。ところが八も「お。10文の売り上げで持ち金ができた。よし。熊さん、おれにもこれで酒をくれ」とやって、交互に10文を払い続けて、酒を飲み続ける。経済的にはまったく破綻しません。しかしやがて、2人はどんどん酔っ払って、酒はすべて無くなってしまう。
世界の経済活動も結局、金を回しながら地球環境資源を浪費しているに過ぎない。落語の『花見酒』とまったく構造は同じで。地球環境資源がなくなれば経済活動なんてのはまったく意味がない。また恐ろしいのは資本というのは無限で、なんぼでもドル札やら円札を印刷すれば数字は膨らんでいきますが、地球環境資源は有限で、地球をどれだけひっくり返してもないものはない。いつか必ず尽きる時がやってくる。
人類の未来にとって、大事なのは経済ではなくて地球環境資源。金儲けのために、地球環境資源を無駄に使い続ける社会は、やがて破綻する。恐ろしい結末を迎える。
観光の仕事で、昔、壱岐にいったことがあります。壱岐は古代遺跡の宝庫で、掘れば掘るほど、いろんなものが出てくる。邪馬台国の謎を解くような、ものすごい大発見の考古物がでてくるかも知れない。しかし掘り尽くさないようにしてるとか。なぜか?掘っても調べる時間や予算がない。なによりすべて掘り出してしまうと、後代の考古学者がやることがない。新しい技術が開発されて、より素晴らしい保存方法なんかができるかも知れない。だから、あえて、残しておく。
「未だ来らざる者(未来者)」のために、欲望を肥大化させずに、コントロールして、資源を残す。そういう智慧、選択もある。ぼくは「人類もそないアホやないやろ?やがて気づいて軌道修正するやろ?」と楽観視してるんですが、選挙の顔ぶれなんかみてると、まあ、相も変わらず、ほぼ金の話しかしてなくて、ほんま憂鬱ですなww
画像は堺のピラミッドこと土塔。春分秋分のレイライン上にあります。太陽信仰の聖地です。