應典院コモンズフェスタ2015「なまずさま生活」、はじまりました。
應典院コモンズフェスタ2015「なまずさま生活」、はじまりました。應典院の2階「気づきの広場」にいくと、なまずさまがいます(1/25まで)。ぜひみなさん、遊びにいってください^^ 芳名帳もおいてあるので、お名前を書いていただけると、なまずさまも喜びますw 17日は「なまずさま供養会」も実施。詳細はFBページをご参照くださいm(_ _)m
■【應典院コモンズフェスタ2015】2015/1/17(土)12時より應典院にて「ナマズさま供養会~ナマズさまのいのちを頂いて生きる~」
https://www.facebook.com/events/1426229157667010/
※画像は「ごあいさつ」と「気づきの広場」の様子。
———————————————————————————-
■應典院コモンズフェスタ2015企画
「なまずさま生活&なまずさま供養会」
■企画者からのごあいさつ
アウシュビッツ強制収容所から生還した哲学者のV・E・フランクルの著書『夜と霧』には、こんな言葉があります。
「ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。苦しみの大小は問題でないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。」
V・E・フランクル『夜と霧』「収容所のユーモア」より
2015年1月17日。阪神淡路大震災から20年。いろんな追悼のイベントや企画が行われることでしょう。おそらくその中でもちょっと風変りでユーモラスな企画が、この「なまずさま生活&なまずさま供養会」ではないか?と思います。
「なまず」と聞けば、大部分の日本人は「地震」を思い起こす。なんとも不思議なことです。これだけ科学的な思考が発達、蔓延、浸透した世の中でも民間伝承、迷信、都市伝説というのは、なくならないんですな。ぼくが「いま、じつは家で、なまず飼ってるねん」といえば、スマホ片手の若者でも「へぇ。地震がくるときは暴れますか?」なんてことを無邪気な顔で聞いてくる。
震災追悼の儀式。そこでは「地震の恐ろしさや怖さ」「愛する人を失う哀しさや悲劇」「人間の愚かさや無力」といったことが語られる。それはとても大事なことです。その必要性や価値を、ぼくは決して蔑ろにするわけではない。しかし、地震に畏れ慄きながらも、その心の闇を笑いに転じて、吹き飛ばす力というのも、じつは人間には備わっていると思う。
Humour(ユーモア、笑い)とは、Human(ヒューマン、人間)が変化して出来た言葉とか。人生は辛く、一寸先は闇。本当になにが起こるかわからない。理不尽で、不確定で、地獄以上に地獄的だといった文豪もいる。しかし、そんな環境の中でも、人間は笑うから、人間になる。闇に捉われ、苦しみ、戸惑い、なぜ?と絶叫し、しかし最後には、笑う。ぼくは笑いながら死んでいきたい。人間として死ぬというのは、そういうことだから。
なまずさまは、そんな人間さまのことなんか、知らんと、今日も、ゆらゆら泳いでます。
2015/1/9 陸奥賢(社会実験者/コモンズ・デザイナー/観光家) 記
——————————————————————–
■なまずさま生活
2015/1/10~2015/1/25まで。
應典院・2階・気づきの広場にて。参加費無料。
■なまずさま供養会
2015/1/17 12時より應典院・研修室Aにて開始。
なまずさまを供養(導師・秋田光軌師)し、みんなでなまずさま料理を食べます。
参加費1000円。定員20名
※詳細は以下のリンクを参照ください。
https://www.facebook.com/events/1426229157667010/