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「『まわしよみ新聞のすゝめ』ってどこで買えますか?」

2015 年 10 月 15 日

「『まわしよみ新聞のすゝめ』ってどこで買えますか?」というお問い合わせ。出来れば、ぼくから直接買ってほしいんですが、そうでないというひとは「スタンダードブックストア心斎橋(大阪)」「ツルハシブックス(新潟です)」「淡路島アートセンター(兵庫)」か(いまのところ、この三拠点ぐらいしか置いてないです。しかも数冊ぐらいしか置いてないです。スタンダードブックストア心斎橋さんはいちばん多いですが…)、もしくはネット通販で買えます。

http://susume.base.ec/

ネット通販ですが、アマゾン、楽天では扱ってません。卸してません。なぜか?アマゾンや楽天に卸すと、誰が『まわしよみ新聞のすゝめ』を買ってくれたのか?ぼくにわからんようになるから。

この「base」のネット通販サイトは、ぼくが運営しています。だから誰が本を買ってくれたか?がぼくにわかります。過去のデータを観ると、ほんまに日本全国津々浦々、北海道から沖縄まで、この本を買ってくれた人がいます。嬉しいことです。会ったことはないけれど、いつか会いたいと思ってます。

要するに、ぼくは本を売りたい(儲けたい)のではなく、本をキッカケにして、いろんな人とのご縁が欲しいから、自分の手の届く範囲でしか本を扱いません。アマゾンや楽天に本を卸さないのは、そういう思想(?)があるわけです。

作り手と売り手と買い手と。それぞれが疎外され、乖離しているのが近代の構造です。コンビニでおにぎりを買う。おにぎりを作ってる工場の人(作り手)は自分のおにぎりを誰が買うのか?さっぱりわかりません。作ったおにぎりは誰かが運んでくれて(あ。そうか。「運び手」もいますなw)コンビニに並ぶ。おにぎりを買う消費者の顔や名前はわからない。コンビニの店員も自分がレジで売ってるおにぎりを一体、誰が作ってるのか?さっぱりわからない。おにぎり工場にいくことなんかないですからな。おにぎりを買う客(買い手)も、自分が食べるおにぎりの作り手やら運び手を知らない。なにがなにやらわからんもんを、なにがなにやらわからんひとたちが、なにがなにやらわからんままに、作ったり、運んだり、売ったり、買ったり、使ったり。そのあいだをお金というやつがあっちにいったり、こっちにいったりして、近代というのが成立している。

本というのもそういうもんですな。村上春樹の本は何百万冊も売れてます。氏は作家として小説を書きますが、さて、それを売っている人や買ってる人の顔と名前をどれだけ知っていることか?自分が作ったものが、なにやらよくわからんもんシステムに組み込まれて、巻き込まれて、巨大なお金を生み出し、そのうちの何パーセントかが還元されて返ってくる。

互いに互いの顔が見えない。匿名社会、大衆社会が巨大な金を産む。しかしそこに人間と人間の邂逅は、なかなか成立しない。ぼくは本を介して人と出逢いたい。本1冊につき、ひとりの知人、友人、仲間を作りたい。「作り手かつ売り手」として書い手と会いたい。それで自分で通販サイトをやってます。面倒ですが…w しかしなかなか楽しいもんでっせ。これからはそういう時代や思います。いや、二極化するんかな?「ベストセラー」か「手売り」の時代。「円」か?それとも「縁」か?w

「『まわしよみ新聞のすゝめ』ってどこで買えますか?」というお問い合わせ。出来れば、ぼくから直接買ってほしいんですが、そうでないというひとは「スタンダードブックストア心斎橋(大阪)」「ツルハシブックス(新潟です)」「淡路島アートセンター(兵庫…

Posted by まわしよみ新聞~新聞メディアの新しい可能性を探る~ on 2015年10月7日


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