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3月11日。人間というのは薄情なもんで(ぼくなんかは特に薄情な人間です)、自分と関係ないと思うと無関心にならざるを得ない。

2016 年 3 月 11 日

3月11日。人間というのは薄情なもんで(ぼくなんかは特に薄情な人間です)、自分と関係ないと思うと無関心にならざるを得ない。

この5年間でぼくなりにやったことは福島、東北に行き、知人、友人を作ること。ぼくはまた日本唯一の観光家(自称w)ですからな。普通にあっちこっち観光しました(そのうち、ありがたいことに仕事までもらえるようになりましたw) そうやって東北に無関心、無関係でいられなくすること。また世の中はSNS時代。こういうときにFacebookはありがたいですな。5年前は東北に数名ぐらいしか知人、友人はいなかったですが、いまは100名近い方々とつながってる。

今日、日常の何気ない光景をアップしてる人もいれば、祈りを捧げてる人もいれば、ストレスで体調を崩している人もいれば、なにもいわずに過ごしている方(あえて?)もいる。いろんな3月11日の過ごし方があるし、いろんな想いが交錯してる。生きてる人にぼくが捧げたい言葉は「また遊びにいきますわ。一緒に飲みまひょ。これからもよろしゅうたのんます」ということ。

生者だけでなく、死者のことにも想いを馳せる。会ったこともない死者、永遠に隔絶された死者、無縁の死者について考える。難しいです。難しいですが、これは結局『利他』なんでしょうな。

しかし利他こそが、利他のみが、公共無き時代の、我々のセーフティネットになり得るのでは?とぼくは感じてます。そういう気づきや発見を与えてくれたのが、ぼくにとっての東日本大震災でした。それはぼくの今後の人生の仕事、その方向性を決定づけました。無縁の死者たちに感謝…というと妙ですが、この利他の発見は、ひとつの希望の灯火になってます。

無縁の死者たちに捧げる言葉はありません。ただ静かに黙祷のみを。合掌。

3月11日。人間というのは薄情なもんで(ぼくなんかは特に薄情な人間です)、自分と関係ないと思うと無関心にならざるを得ない。この5年間でぼくなりにやったことは福島、東北に行き、知人、友人を作ること。ぼくはまた日本唯一の観光家(自称w)です…

Posted by 陸奥 賢 on 2016年3月11日


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