僕の母方(綿野家)は古くから堺・旧市街地にいた商家ですが、祖父は熊野尋常小学校(現在の熊野小学校)を出ている。熊野と書いて「ゆや」と読む。
僕の母方(綿野家)は古くから堺・旧市街地にいた商家ですが、祖父は熊野尋常小学校(現在の熊野小学校)を出ている。熊野と書いて「ゆや」と読む。
かつて界隈に「湯屋(風呂屋)」が沢山あり、湯屋といえば昔の人は和歌山の「熊野」を思い出したそうで。これは熊野・湯の峰温泉の小栗判官伝説などの影響でしょうな。それで「熊野」と書いて、なんと「湯屋(ゆや)」と読んだ。堺の人でないと、なかなか読めないw
堺には他にも江戸時代には「塩風呂町」があったし、古くは紀貫之の『土佐日記』にも「しほゆあみ」(塩湯浴み)の場所として堺が登場してくる。
堺はだから塩の名産地でもあった。江戸時代、湊壺焼塩などは宮家から「天下一」の称号を貰っているし、堺の開口神社のご祭神は塩土老翁神で、塩の爺さん、塩の神様。塩は身を清める。死、ケガレの不浄すら清めることができる。堺は「キヨメ」の人たちがたくさんいただろうし、特殊技能民のまちですな。
堺生まれの行基菩薩も「閼伽井(あかい)」という井戸水を沸かし、入浴させ、病者を治したという。堺(さかい)という地名の由来は「あかい」から来ている説もある。この「閼伽井」も、おそらく塩水ではないか?と思われる。塩水を沸かすと、血行を促進する効果が凄い。とんでもない。
じつは堺には現役で、塩湯の風呂屋がある。湊潮湯さん。
http://www.eonet.ne.jp/~minatoshioyu/
僕は昔、堺の伝統の塩湯を体験してみたいと思って、わざわざ入りにいったことがあります。僕も風呂好きではあるが、血行が良くなりすぎる。あっというまに、のぼせた。その効果に、心底、驚いた経験がある。「行基、恐ろしい子…!(白目)」となった。
お茶を飲むのも、湯上りに飲むのがうまい。バサラ大名の佐々木道誉が闘茶(茶の銘柄を当てる。ギャンブル)に興じていた絵図が残っているが、それは茶亭の真ん中に風呂がある。風呂に入り、汗を流し、そして茶を飲んだ。
茶がうまいのは風呂上り。堺は茶のまちで有名だが、じつは「風呂のまち」で有名だった。このへん、もうちょっと、着目されてもいい。堺は茶で、風呂で、まちおこしをすればいい。だから、もっと堺は、歌垣風呂をやるべきw
風呂に入ることは、湯に入ることは、医療行為であり、宗教行為であり、救済だった。入浴の快楽は、まさに、極楽ですからな。『温室経』というお経まである。正式には『仏説温室洗浴衆僧経』。
風呂のまち・堺では死者供養として「追善供養」「施浴」が行われていた。記録では昭和52年(1977)頃にも実施されていたという。死者を供養するために、お世話になった方々に、近所の風呂屋を借りて、風呂を施す。近隣の人も入りにきていいという。死者を知らない人でも、無関係の人でも、他者でも、ぜひ風呂に入ってくださいと案内された。
素晴らしい。コモンズですな。無縁大慈悲。