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遊女志げ女の碑

2021 年 11 月 6 日

白河。遊女志げ女の碑。奥州街道と会津街道の交差路近くにある。

白河は宿場町。もちろん遊所もあった。旅籠坂田屋に抱えられていた遊女が志げ女で、戊辰戦争時に、長州藩士・世良修蔵と恋仲になったという。しかし白河は危険ということで世良は脱出し、その手助けをしたということで志げ女は会津藩士に殺された。

その後、世良は新政府の奥羽鎮撫総督府の参謀として会津藩を攻める。仙台藩は会津藩に同情的で、なんとか会津藩を救済しようと動くが、しかし世良は会津を徹底して敵視し、攻め滅ぼそうとする。その苛烈、激烈さから反感を買い、仙台藩士に暗殺されてしまった。

何故、そこまで世良が会津藩を敵視していたのか?の背景に、もしかしたら志げ女の敵討ちという私怨があったのかもしれないが、まあ、そこまで話は簡単ではないでしょうなw

ただ、この仙台藩強硬派の短絡的で乱暴すぎる世良暗殺事件によって、会津藩の助命嘆願は完全に撤回、不可能となって会津藩は徹底攻戦される原因となった。仙台藩強硬派よ…。もうちょっと考えなはれ。

ちなみに志げ女の仇討ちは、坂田屋の下男が果たしたという。これまたほんまか?案件。志げ女への市井の人々の同情が、そのような伝承となったか。


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