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陸奥家ファミリーヒストリー。引き続き、ぼちぼち、リサーチしております。それで昭和17年(1942)の『伊勢年鑑』で宇治山田市の「吹上町松原」町内会の副会長に曽祖父・陸奥利宗の名前を発見。

2021 年 12 月 21 日

陸奥家ファミリーヒストリー。引き続き、ぼちぼち、リサーチしております。それで昭和17年(1942)の『伊勢年鑑』で宇治山田市の「吹上町松原」町内会の副会長に曽祖父・陸奥利宗の名前を発見。

利宗は明治12年(1879)生まれなので、当時63歳。さすがに仕事は辞めていただろう。社会活動として町内会副会長をやっていたと思われる。この1942年は祖父・文夫は33歳。そして僕の父・信一が0歳で生まれてます。父・信一が誕生した時に、曽祖父・利宗は、そうか。町内会長の副会長をやっていたか…。

「町内会」というのは実は大政翼賛会が仕掛けたもので、1940年に町内会組織を作るということが国の政策として定められた。要は戦争協力組織ということですな。この町内会の下に「隣組」が作られ、回覧板などで戦争協力が呼びかけられた。隣人が怪しい行動、スパイ活動をしていたら密告なんかも奨励された。

時代が時代とはいえ、曽祖父・利宗も、町内会の副会長として、大政翼賛体制を支持し、そういう活動をやっていたということでしょう。元・大蔵省官僚、元・宇治山田市の行政マンなら当然といえば当然かも知れませんが。

この資料でわかったのは、利宗は歳も歳だろうし、おそらく宇治山田市で亡くなっているだろうということ。そして住んでいたエリアも絞りこむことができました。宇治山田市吹上町松原。現在の伊勢市吹上1丁目、2丁目あたりです。利宗の墓があるとしたら、この近隣の寺社、墓地ではないか?と推測できます。


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