「正露丸」は戦前は「征露丸」だったのは有名な話
「正露丸」は戦前は「征露丸」だったのは有名な話。
明治35年(1902)に大阪市天王寺区下寺町4丁目にあった中島佐一薬房が「忠勇征露丸」の商品名で肺病、胃腸病に効く薬として売り出した。日露関係がキナ臭くて時代の雰囲気がそういう雰囲気やったんでしょうな。日露戦争が起こってから薬が出たのではなくて、日露戦争前から薬が出ていたのは、なかなか面白い。中島佐一は先見の明があったということかw そして販売しだしてから2年後にタイミングよく(?)日露戦争が勃発。
当初はあの独特の臭気と味で大不評であったが脚気や肺炎(帝國陸軍が最も悩まされた病気)に効く薬と陸軍御用達となり、「明治大帝の御神薬である!」(つべこべ文句いわずに飲め!ちゅうことですなw)というお達しが出て戦時中に700万缶、5億6000万粒ほど製造されたという。そのおかげ(?)もあってか日本は辛くもロシアに勝利したので征露丸の名も一躍、巷間に知れ渡った。
日露戦争後は陸軍が征露丸(正確にはクレオソート丸)のパテント(特許製法、工場)を民間に売りさばき、おかげで似たような薬がワンサカでてきた。売れに売れまくって国民的な一般大衆薬となったが、おかげで商標の登録などで揉めに揉めまくる。大阪でも四天王公園寺電停前にあった室谷生春堂が「日露戦役記念薬 戦友丸」などを出している。こっちを持ってる人はだいぶレアでっせw
中島佐一は1945年3月に亡くなり、太平洋戦争後に「征露丸」は大幸製薬に製造販売権が継承された。しかし「敗戦国である日本が征露丸などとはけしからん!」というわけで「征露丸」の「征」が「正」となり、現在のように「正露丸」になってしまう。じつは「正露丸」は敗戦国の悲哀で、堪え難きを耐え、忍び難きを偲び、改名したのでありますw
今なら正露丸をこっそり元の征露丸に変えても何も言われへんかも?知らんけどw