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大阪まち歩き大学。上本町まち歩き。ハイハイタウン。真田幸村緒戦勝利之碑。

2022 年 3 月 20 日

大阪まち歩き大学。上本町まち歩き。ハイハイタウン。真田幸村緒戦勝利之碑。

NHK大河ドラマの『真田丸』をやった頃(2016年)に天王寺区が「真田幸村博」をやって、その際に建立された。大坂の陣(1614、1615)から400年というタイミングでもあった。

「緒戦勝利」というのは当然、冬の陣の勝利のことで(夏の陣は真田幸村は敗北しておりますから)、それは場所でいえば真田丸であるから現在地でいえば天王寺区餌差町辺りになる。心眼寺や興福寺さん、明星学園がある辺りで上本町ハイハイタウンからは1キロほど北西。要するに石碑のある辺りは真田丸ではない。
冬の陣の配置図などを見てみると、上本町ハイハイタウンはどちらかというと徳川軍の前線であり、前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢が布陣していた場所となる。建てるなら「徳川方緒戦敗北之地」が正しいw

正直、真田勝利!の石碑を建てる場所として、ここはちょっとどうかな?と思うが、これが許されるなら真田丸の半径1キロはどこでも石碑があってよろしいから、いっそのこと、あちらこちらに建てたらよろしい。七箇所ぐらい石碑を建ててくれたら「七真田丸巡り」とかできて中には七真田丸を巡る粋狂な奴も出てくるかも知れない。つーかワイがやりまっせw

大阪は蘇我物部戦争の昔から壬申の乱、源平合戦、南北朝と何度も何度もいろんな戦争の舞台となっているが戦国時代の終焉となった大坂の陣は日本の歴史に与えたインパクトは大きい。もっともっと語られるべきだし、大事にしたほうがいい。

家康(茶臼山)、秀忠(御勝山)辺りは有名な史跡としてあるが、前田、上杉、佐竹、伊達、毛利、長宗我部、細川、松平、井伊、榊原、酒井、水野、浅野、藤堂などがどこに配置されていたか?といった石碑はあまり大阪のまちなかでは見受けられない。※細かく見ていけば佐竹の本陣跡(蒲生・若宮八幡宮)などあったりするが、まだまだ少ない。

大坂の陣は日本全国各地の大名、藩主が勢揃いしている。勝った方も負けた方も関係なく「みなさんのご先祖さまが活躍した本陣跡はココです!」という石碑を建てたらいい。たぶん県人会あたりが動いてゾロゾロと歴史マニアなシニアを連れて大坂の陣ツアーに来てくれる。元は取れるんやないやろか?w


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