大阪まち歩き大学。江戸堀、靭を歩く。
大阪まち歩き大学。昨日は珍しく雨のまち歩き。江戸堀、靭を歩く。
靭界隈は江戸時代は靭海産市場があった。「靭」(うつぼ)とは珍しい地名。秀吉がこの辺りを通ったさいに魚市場から「安!」「安!」(魚が安いということ)と威勢のいい掛け声が聞こえてきた。それを聞いて秀吉が「ヤスということは靭ということか」と返して側近たちが大笑いした。それで靭という地名になったという。これだけ聞いても意味がわからないw
要するに魚市場の「安い!」という掛け声が秀吉には「矢巣」と聞こえた。「矢の巣」というのは弓矢の矢をいれる武具のことで、これを「靭」という。それで秀吉が「安(矢巣)ということは靭やな」と冗談をいったわけです。秀吉のオヤジギャグが地名になったということですな。
近代は都市化したが土地は大豪商の根津清太郎が所有していた。根津清太郎はとんでもない放蕩家でコレクターで芥川龍之介や谷崎潤一郎などのパトロンでもあった。その奥さんを松子という。
松子は元々、芥川龍之介のファンであったが夫の清太郎の紹介で芥川と会った時に、その場には谷崎潤一郎がいた。これが運命の出会いというやつで谷崎と松子は交流を深めていくと、お互い伴侶がいたがダブル不倫でゾッコンになってしまう。最終的に谷崎も妻(2番目の妻で古川丁未子という。キャリウーマンで、この女性もいろいろと面白い)と別れ、松子も夫・根津清太郎と別れて2人は一緒になった。この松子がじつは四姉妹で、この四姉妹をモデルにして谷崎が描いたのが傑作『細雪』。
根津清太郎は非常に興味深い人物で、あまりに遊び人で先祖伝来の財産を使い果たし、どんどんと没落して最後は東京の日劇ミュージックホールのヌード女優たちの使用人をしたり、宝塚歌劇の東京宿舎の管理人などをして56歳で脳出血で亡くなった。没落しまくったが昔の誼で小林一三などが仕事のお世話をしてくれたらしい。
なんというか絵にかいたような転落人生で、こういう人物、僕は大好きですw 大豪商の御曹司として生まれ、遊びまくったが死ぬ最後までヌード女優や宝塚の新人女優たちのお世話などで女性に囲まれていた(?)ようで、これはこれで粋狂を極めた人生ではないだろうか。もっと評価(?)されてもいいw
話がずれたw 靭界隈は戦時中は陸軍の飛行場となったが戦後はGHQが接収し、長く飛行場として使用された。その後、日本に返還され、そのまま公園になった。やたらと東西に長い公園で、それは飛行場の滑走路の名残といえる。
「陸軍、GHQの飛行場であった」ということを記録した記念碑などもない。いや、ひとつだけある。公園整備のことを書いた小さい石碑。そこに少しだけ、一文で、さりげなく「飛行場跡」とある。場所も公園のトイレの隣。ひどい。戦争遺跡なのだから、これも、もっと、ちゃんと継承すべきだろう。
靭飛行場はゼロ戦も飛んだらしい。戦争末期で日本の戦闘機はボロボロの機体でフラフラ飛ぶもんだから「こんなんでアメリカとの戦争に勝てるわけない…」と付近の住民は思ったらしい。