大阪まち歩き大学。肥後橋。江戸堀。荒光稲荷社。
大阪まち歩き大学。肥後橋。江戸堀。荒光稲荷社。
江戸時代はこの辺りには摂津国有馬郡三田藩・九鬼氏の屋敷があったという。稲荷さんはその屋敷神だったのでは?という説があるがよくわからない。
江戸時代の大坂には120以上の蔵屋敷、藩屋敷が並んでいた。江戸時代は大体、日本全国に300藩あったといわれるので日本全国の藩の3分の1の蔵屋敷、藩屋敷が大坂にあったことになる(これもあっちこっちに石碑を建てるべきで、建てたら各地の県人会のみなさんがゾロゾロやってくるはずw)堀川が張り巡らされて水運が便利だった肥後橋、江戸堀界隈にも、そうした藩屋敷、蔵屋敷の痕跡がいくつか残っている。
このお稲荷さんは特に火災除けの稲荷さんとして知られている。小さい本殿だが見ると奉納絵が掲げられていて、これが面白い。おそらく戦前のエピソードだろうと思われるが近代(明治?大正?昭和?)の消防士がポンプ車にのって商家の火事に駆けつけているところで消火活動をしている最中に稲荷神(狐神)が現れて助けてくれる…というもの。「消防ポンプ車と稲荷神」というコントラストはなかなか他になく一見の価値はあるw
お稲荷さんへの信仰なんて近代以降は迷信扱いされてあっさり消滅したと思われがちだが戦前はあちらこちらで、この手の話があった。
大阪の中心市街地は近代都市化が早かったから、そういう話は少ないが、ちょっと郊外に出ると戦後にも狐や狸はそのへんの雑木林にいて「◯◯さんが騙された!」みたいな話はナンボでも出てくる。千里ニュータウン、泉北ニュータウンでも開発前は周辺は狐や狸の棲家であちらこちらでその手の話があった。騙されて池にハマったとか肥溜めに堕ちたというのは定番コースですw
お狐さん、お狸さんとの交流交信(?)というのは結構、最近まで日本社会には濃厚にあった。ここ30年、40年ぐらいやないか?と思いますな。そうした狐狸への畏れや稲荷神への信仰というのが薄れていってしまったのは。
いや。今もほんまは民間には濃厚に残っているのかも知れない。まちを歩いていたら稲荷神とか地蔵尊とかあっちこっちにあって、地域の人は拝んでいきますからな。僕も一応、なんとなく頭下げて拝んでおります。お賽銭はせんけどw
ちなみに、この荒光稲荷さんがいたおかげで付近は大阪大空襲でも焼けなかったとか。実際に荒光稲荷神社のすぐ南に位置するのが金光教玉水教会というのがあり、戦前の木造建築だが現存している。
大阪大空襲では周辺はほとんど焼け野原になってしまって、しかし、この金光教の玉水教会は四ツ橋・新町、大阪ミナミからでもよく見えたという。