新島譲とロビンソン・クルーソー
2023 年 3 月 17 日
護持院跡地、護持院ヶ原跡地をさらに北上すると瀟洒な洋館が見えた。覗いてみたら博報堂であった。旧本館を復元したものらしい。どうりで建物の部分、部分が妙に新しい。
この博報堂は幕末には安中藩板倉家の江戸藩邸屋敷があったとか。面白いのが、ここの藩邸で生まれたのがなんと新島譲。安中藩の下級藩士の子だった。新島譲はこの安中藩の江戸藩邸でアメリカの地図や洋書を読んだという。そして海外渡航、アメリカに大いなる憧れを抱いた。
その後、1864年に新島譲は国禁を犯して密航でアメリカに渡り、現地でキリスト教の教えに感動して洗礼を受けた。帰国後、同志社大学を作ろうと奔走し、その実現の最中に47歳の若さで病没した。
面白いのが新島譲が江戸藩邸で読んでいたのがロビンソン・クルーソーの漂流記らしい。漂流記を読んで、ほんまに密航しようと企むのは正気の沙汰ではないが、無責任に想像を逞しくすれば、このロビンソン・クルーソーの漂流記は、洋書調所からの流出ではないか?という気がする。
1862年に護持院ヶ原に洋書調所ができて、まさにその頃に新島譲は安中藩邸にいた。洋書調所と安中藩邸は目と鼻の先です。
洋書調書から流出した一冊の本が、一人の若者の人生を狂わし、それが同志社大学となり、日本の近代教育の萌芽に繋がったのだとしたら実に愉快な話ではあるw
カテゴリー: 雑感