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大阪市南区史跡油掛地蔵尊。いまはなき南区の表記が熱い

2023 年 12 月 9 日

大阪市南区史跡油掛地蔵尊。いまはなき南区の表記が熱い。

ミナミ、千日前といえば法善寺さんの水掛不動尊が有名だが、江戸時代は船場の明善寺さんの油掛地蔵尊も有名だった。「法善寺と妙善寺」「水掛と油掛」で韻を踏んでいて、この辺りのシンメトリカルな感じが面白い。

不動明王は炎を背負っている。あの炎は衆生の煩悩を浄化する炎らしいんですが、町衆にはそんなありがたい教義や宗教的救済など難しいことはわからない。どう見ても背中が燃えていて危ない。

なんせ法善寺はまちの中にありますから。江戸時代は周りは木造建築だらけ。なによりも炎が危険。火が出て類焼して、大火事になれば家や財産を失って一文無しになってしまう。だから不動明王に「火災除け」「災難除け」を祈願して水を掛ける。

煩悩を浄化するはずの炎を、町衆の煩悩の力(家財を失いたくない)で日夜、水を掛け続け、いま法善寺の不動明王は立派な青青とした苔に覆われてますから。実に都市的というか、まあ、なかなか人間さまは度し難いですな。

油掛地蔵尊も同じように火災が怖いという町衆の切実な思いがあり、こちらは地蔵尊に油を掛けました。炎は油で燃やされる。油が倒れたり、跳ねたりすると火事が起こる。だから水ではなくて油をかけて地蔵さんに「油(火)の管理、頼んまっせ」とお祈りした。

こちらはこちらで長年、町衆が油を掛けすぎたので真っ黒になってます。油でテカテカして黒光している。じつは背面に「天平十一年安曇寺」という銘が刻まれていたという伝承がありますが、もはや油で真っ暗すぎて何もわからない。天平(奈良時代)の石仏なら文化財級でしょう。確認ができないのが惜しい。油かけすぎや。

僕が前々から気になっているのがお堂手前にある「中山寺 紫雲講」の石碑。宝塚の中山寺と船場の油掛地蔵尊に、どういう由縁、繋がりがあるのか?よくわからない。謎です。


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