「pia NPO」にいってきました。
http://www.pianpo.com/index.html
http://blog.canpan.info/pianpo/
「pia NPO」は大阪市港湾局旧築港庁舎をNPO拠点施設に改修したものです。アジア最大級のNPO、行政、企業の協働によるNPO拠点施設として、いま現在では、30ものNPOが入居して、連携連動・協力しながら活発に活動を行っています。ここはホントおもろいです。グローバリズムとローカリズムが同居していて、発想や手法はじつに柔軟で刺激的。勉強になります。
暗越奈良街道というのは「おしてるや」の難波宮から 「あをによし」の平城京に至る街道です。区間は、大阪市中央区高麗橋~東成区玉造~今里~深江~東大阪市御厨~菱江~松原宿~箱殿~暗峠~生駒市小瀬~榁木峠~奈良市尼ヶ辻~春日大社までで、「日本の道百選」にも選定されています。
俳聖・松尾芭蕉は1694年(元禄7年)9月9日の重陽の節句に、この暗峠を越えて奈良から大坂に入りましたが、非常に厳しい山道で、芭蕉は体調を崩してしまい、1ヵ月後に御堂筋にあった旅宿・花屋仁左衛門方で客死しました。辞世の句の「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は非常に有名ですが、「旅に病んで」の「旅」が、この暗越奈良街道の旅路です。
「街道ロール」は、大阪の「欧風菓子 ケンテル」(生野区、東成区)さん制作のロールケーキで、この「暗越奈良街道」をモチーフにした地域おこし商品です。ぼくが歴史街道マニアということで、地域の方から頂戴いたしました。ありがとうございます。
http://www.kentel.jp/
http://www.kentel.jp/baked.htm
肝心のお味のほうですが、黒糖スポンジに生クリームと栗ペーストと歴史街道にちなんだのか、和風テイスト。 これがまたうまいんですわ。オススメです。
宣伝です。 12月15日に大阪・堺でセミナーをやります。ご興味ある方はぜひともご参加ください。
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市民活動☆交流かふぇ(交流会) 〔12月15日開催!〕
12月15日(月)18時00分~20時00分
「大阪のまちは ほんまにおもろい」~「まちあるき」で再発見~
話題提供:「大阪あそ歩」アシスタントプロデューサー 陸奥賢さん
●場所:堺市市民活動コーナー
●定員:10名 ※申込み多数の場合は抽選。
●堺市市民活動コーナー
http://www.sakai-npo.jp/kouza/kouza.html
↓↓↓問合せ・申込み先はこちらです↓↓↓
堺市市民活動コーナー
〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号
(堺市役所本館1階)
T E L : 072-228-8348
F A X: 072-228-8352
E-mail: info@sakai-npo.jp
U R L: http://www.sakai-npo.jp/
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「まちのコモンズ」(2008年11月25日~29日)にいってきました。
http://art-cafe.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/ken_1.html
大阪市立大学・都市研究プラザの船場アートカフェと、船場建築祭実行委員会、集英連合高麗橋2丁目振興町会などが協働して開催する新しいまちの試みです。「天下の台所」「東洋のマンチェスター」「大大阪」のメイン舞台となった船場を舞台に、歴史や文化、建築物などに注目して、まちの魅力を発信、再確認しようという企画。「シンポジウム」「映像」「ライブ」「タウンウォーキング」「セミナー&サロン」と5つのプログラムが組まれていて、ぼくは「Space KITA’S」(大阪が世界に誇るデザイナー、喜多俊之氏のスタジオ)の映像イベントと高麗橋の高級料亭「本吉兆」による「吉兆お餅つき」に参加しました。
船場というのは大阪の「キタ」(梅田)と「ミナミ」(なんば)の真ん中にあって、大阪文化、大阪経済の中枢を担ってきた由緒ある地区なのですが、明治維新以降、近代に入ってから大阪市内を南北に縦断する一大幹線道路の御堂筋が開通して、キタとミナミが大阪の主要な交通ターミナルと化してしまうと、あまり省みられなくなりました。たとえば関東圏の人もキタとミナミは観光に訪れても船場はなかなか歩きません。本来の大阪の町人文化、商家文化というのは紛れもなく船場から生まれたもので、「船場を見ずして大阪を語ることなかれ!」です。
企画は面白く「本吉兆で餅つきをやる」(毎年、本吉兆さんではやっていた行事だそうですが公開は初めて)というのがユニークで「本吉兆に行列ができている光景」というのは、ぼくは初めて見ました。こういう風景はええですな。まちは「私」(プライベート)でもなく、「公」(パブリック)でもなく、「共」(コモン)である……という当然の認識を広めていくことが、今後の大阪のまちづくりのテーマやと思います。
大阪商工会議所・地域振興部さんのお誘いで、「小学生ワッハ落語探検ツアーズ応援チャリティ寄席」(主催: NPO法人国際落語振興会 オフィシャルサポート:Reenal by Resona Bank 協賛:大阪商工会議所「大阪ナイトカルチャー」)を拝見、取材させていただきました。
※REENALプロジェクト「チャリティー寄席」
http://www.reenalstation.net/project/yose/
※大阪ナイトカルチャー
http://www.osaka-nightculture.com/
※ワッハ上方
http://www.wahha.or.jp/
今回のイベントは、NPO法人「国際落語振興会」(理事長:桂小春團治師匠)が、大阪ミナミが誇る日本唯一のお笑いミュージアム「ワッハ上方」を会場として、小学生を対象に落語体験ツアーを無料招待しようというプロジェクトを推進中で、その運営資金を募る目的で開催されたものとか。
出演は桂ひろば、桂福矢、桂小春團治(新作落語「さわやか侍」というのを演じてはりました。これが爆笑落語で、これまたよかったです)、花登益子(三味線)などですが、最後の大トリが3代目桂春團治師匠! これはぜひ見たいと思って昼間の仕事をなんとか詰め詰めにしていってきました。事前に演目を知らなかったので「春團治師匠はなにをやってくれるのかなぁ?」と思っていたら、なんと演目は「高尾」で、これは僕の大好きな演目。
高尾は江戸・吉原の傾城傾国の遊女で、仙台藩主の伊達綱宗を袖にして切り捨てられたというエピソード(史実ではないそうですが)で有名な太夫です。その高尾の幽霊を呼び寄せる「反魂香」の霊薬を見て、長屋の八っつぁんが、3年前に死んだ自分のかかぁを呼び寄せようとして、まちがって薬屋で「反魂丹」(腹痛薬です)を買う・・・というストーリーです。
たわいのない話なんですが、この話の最大の見所は幽霊・高尾太夫の登場シーン。香がたかれて、すーっと春團治師匠が立ち上がると、じつに妖艶な女の幽霊の立ち姿が現れる・・・春團治師匠の十八番中の十八番で、この「幽霊の出」の見事さは、百万遍、言葉を費やしても伝えられません。ぜひ一度は高座で拝見してほしいもんです。
久しぶりに、上方落語の粋を、堪能した夜でした。
堺市のNPO「SEIN」さんからの依頼で、帝塚山学院大学にて「楽しむ!魅せるブログで情報発信 入門編」(全4回)の講師をやりました。
※特定非営利活動法人「SEIN」
http://www.npo-sein.org/index.html
※帝塚山学院大学
http://www.tezuka-gu.ac.jp/index.php
これは堺市南区が主催する「アクティブカレッジ」という、まちづくり事業の一環で、ひとことで言えば「生涯学習講座」のようなものです。社会人を対象に生徒を公募したのですが、蓋を開けてみれば、参加者の大多数が60代、70代以上。「アクティブカレッジ」というよりも「シニアカレッジ」というような状態で、「ご年配の方にブログの使い方を説明するのって難しそうやな」と、かなり不安な状態で講師をさせていただきました。
案の定、講座のはじめは「言ってることの意味がわからん」「そもそもブログってなんやようわからん」という状態の方が多かったようですが、何度も教え込んでいくうちに、だんだんと記事の投稿の仕方や、画像の添付の仕方などもわかってきて、なんとなくブログらしい体裁に。講座参加者同士で、記事に対してコメントをして、またコメントを返して…とお互いに交流しだすと、「なるほど。ブログというのはこういう風に楽しむのか」と、なんだかんだでブログ世界の楽しみ方なんてのもわかってきたようで、勝手にどんどんと記事を上げたり、コメントする人なども出てきました。
当初はどうなることかと思っていたのですが、一度覚えると皆さん、飲み込みが早くて「60代、70代でもまったく未知の新しいことでも覚えて挑戦できるのだなぁ」と逆に僕のほうが感心させられました。戦後日本の高度経済成長を牽引した世代で、さすがにバイタリティがちがいますわ。ぼくの教え方がうまかったのかもしれませんが(笑)
このブログ講座は「入門編」のあとは「応用編」というのもあって、来年春まで続くのですが、ブログというコミュニケーション・ツールで、充実したセカンドライフを楽しんでいただけたら…と思っています。
淀川が大阪湾に滔滔と流れて、そこの彼方に夕陽が沈んでいきます。
写真は梅田スカイビルの屋上展望台から。
http://www.skybldg.co.jp/
「あをによし」というのは奈良の枕詞ですが、難波(大阪)の枕詞は「おしてるや」といいます。「おしてる」は、夕陽の光が海原と空一面を明るく照らすさまを意味していて「や」というのは間投助詞です。
直越の この道にして おしてるや 難波の海と 名づけけらしも
万葉集に出てくる大阪の歌です。直越の道(奈良から大阪までの山道)を歩いていると、美しく光り輝く海が見えた。なるほど。これが噂の「おしてるや 難波の海」か……意訳するとこういう感じでしょうか。
大阪は西に海があって、太陽が沈む「夕陽の国」です。中世には、沈み行く太陽を目指して、難波津や住吉津から船を漕ぎだして「西方浄土へ行く」と補陀落渡海した人々も大勢いました。
大阪人のメンタリティ、大阪文化の深い精神性は、この「おしてるや」の海と夕陽によって形成されています。
久しぶりに豆めし「廣田屋」さんにいきました。
いまは堺に住んでますが、ぼくの生まれは住吉です。 生後まもなく、額に「大」と書かれたぼくは、太鼓橋を渡って、住吉大社にお宮参りしました。要するに住吉大社はぼくの氏神さまで、初詣や夏祭り、入学祝いなど、なにかあるごとに毎年欠かさず行ってました。神社参詣の帰りに豆めしに行くってのは定番コース。
懐かしかったでんなぁ。
住吉大社を舞台にした物語で、有名なのが源氏物語の「澪標」の帖。
左遷されて須磨、明石に流された光源氏が恋に落ちたのが明石の君。 しかし光源氏が政界に復帰すると、二人は泣く泣く別れてしまう。後日、明石の君が、住吉大社に参詣に向かうと、ひょんなことに光源氏も住吉大社に参詣に来ていた。ところが明石の君は、太政大臣・光源氏の晴れ姿を見て「もう自分とは遠い世界の人になったのだ」と何もいわずにひっそりと去る。そのあとに「明石の君が来ていましたよ」と教えられて光源氏が送ったのが以下の歌です。
「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも 巡り逢いける 縁は深しな」
大阪は住吉を舞台にした恋の物語。住吉、なかなか情緒と風情があって、ええとこでしょ?ぼくはそういうまちで生まれました(笑)