高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました

2022 年 12 月 23 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗の兄である陸奥龍彦について。

高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました。「明治、大正の国学者」とか。これはもしかして陸奥龍彦関連の著書などがあるかも知れない・・・と思って高知の図書館などを検索しても何も見つからず。これまた現地にいくしかないかなぁ。

越智町・亀ケ森の春日神社に白く美しい2匹の蛇神さまがいて、陸奥龍彦翁はそれを目撃したとあります。龍彦翁の目撃談のあとの小田恵寛氏の数珠に白蛇が巻きついたエピソードが神妙不可思議で面白い。


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陸奥龍彦(僕の曽祖父・陸奥利宗の兄)のこと(『佐川町史』より)

2022 年 12 月 23 日 Comments off

久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の書記、宇治山田市役所の主事などをやっていましたが、利宗はじつは次男坊で、長兄がいました。陸奥龍彦という。

この人物もどういう人物か?一切、不明でしたが陸奥家の郷土である高知県佐川町の『佐川町史』にその名前を発見しました。「宮之原塾」門下で「学者」で「陸奥龍彦(越智)」とある。越智というのは地名、村名で陸奥家の本拠地です。そこの出身ということが明示されている。

佐川郷は山内家の家老・深尾家の所領地で昔から文教に力をいれていた土地とか。「宮之原塾」というのは「宮原寺」(明治維新後の廃仏毀釈でなくなったそうです)にあった私塾で寺子屋のようなもののようです。

この宮之原塾のあとに佐川町に出来たのが「名教館」という郷学校(元は深尾家の家塾)で、宮之原塾と名教館は教師が同じだったりして分校、兄弟校のような位置づけであったとか。そして、この名教館で学んだのが植物学者・牧野富太郎。来年のNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルですなw

牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)と陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)に直接の面識はないかもしませんが世代も場所も近い。「友人の友人」ぐらいの関係性にはなるかも知れませんw

ちなみに『牧野富太郎自叙伝』にも名教館のことが記載されている。「佐川山分学者あり」(山分=山程、沢山といった意味らしい)といわれるほど佐川には学者、儒者がいたという。そのうちのひとりが陸奥龍彦ということになります。

この名教館は他にも宮内大臣の田中光顕、広井勇(港湾工学の父)、ブラジル移民の父・水野龍(東京・銀座「カフェ・パウリスタ」創業者)などを輩出している。いまは玄関部分だけ移築されて保存されているとか。いつか行ってみたい。


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いまこそ仁政の鐘の音を聴きなはれ

2022 年 12 月 20 日 Comments off

大阪名物。二つ井戸。金龍井戸と銀龍井戸とあった。金龍は真水。銀龍は海水混じり。だから金龍は飲み水で、銀龍は生活用水として使われた。

要するに井戸(湧水)は隣同士なのに地下水脈が違っていた。おそらく金龍水は上町台地からの地下水脈で、銀龍水は道頓堀川、大阪湾に繋がる地下水脈ではないだろうか。江戸時代の人たちにとっては不思議で奇妙で謎めいた井戸であったに違いない。それで有名となった。

真田幸村、豊臣秀頼が大阪城から脱出する際にこの二つ井戸から出たという伝説もある。井戸のふりして実は片っぽは空井戸で大阪城の抜け穴だった(だから2つ井戸がある)…ということだが、まあ、これは都市伝説の類。こういう話はウソだろうが話のネタとしてオモロイ。

3代将軍の家光が寛永11年(1634)、大坂三郷の地子銀免除を宣言した。大坂は夏の陣の焼け野原で、戦後復興に苦労していた。しかし、この税金免除で大坂は経済的大発展を遂げて、元禄バブルの「浮世」の時代を迎える。

この税金免除の恩恵に感謝して町衆がお金を出して作られたのが「仁政の鐘」。現在も釣鐘町にあって現役だが、この「仁政の鐘」を鋳造する際に使われた井戸水が二ッ井戸であるという。

世の中、不経済、不景気で苦しんでる時は税金免除、減税せなあきませんねん。増税なんてもってのほか。いまこそ仁政の鐘の音を聴きなはれ。


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一通の手紙が日本の歴史を変えることもある?

2022 年 12 月 16 日 Comments off

大阪。北浜東。日本郵政・大阪ビルにあるのが前島密像。

明治元年、大久保利通が大阪遷都して、そのままなら大阪が首都になる予定であった。ところがある日、大久保の元に差出人不明の投書が届いた。それは「大阪ではなく東京を首都にするべし」という内容で大久保は投書の内容を吟味して東京奠都(遷都ではなく)を決行した。

誰の投書かわからなかったが、のちに前島密が大久保に「実はあの投書は私でした」とカミングアウトした。こいつさえいなければ今頃、大阪が首都に!と思わなくもないが、長く首都なんかになると大阪文化は今以上に、さらに破壊されていたことでしょうな。

結局「名こそ惜しけれ」の崇高なる江戸文化は薩長、近代化に犯されて蹂躙されたという気がしてならない。

しかし投書した前島密が、のちに日本郵政の父になるとか出来過ぎである。一通の手紙が日本の歴史を変えることもある?


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ラジオの戦争

2022 年 12 月 16 日 Comments off

大阪城。ラジオ塔。第二次世界大戦、太平洋戦争はラジオの戦争であった。

ラジオ=音声は、新聞=文字よりもよっぽど扇情的に大衆に訴える。ナチスドイツのヒトラーの演説を聞くと「絶叫」している。あんなのが日夜、お茶の間に直接、流されてきたら、そりゃあ国民は狂うであろう。

日本もまた同じく。昔のラジオは精度が悪かった。近衞首相の声は感高く、明瞭で歯切れが良いように聞こえ、それが国民人気に繋がったという。歯切れがいいだけで中身はトンデモナイ。トンデモナイが威風堂々の演説ぶりで、それだけで大衆は扇動された。公家の血筋も影響したであろう。

ラジオの戦争を終結させたのが昭和天皇の玉音放送であった。まさにラジオで始まり、ラジオで終わった近代戦争といえる。


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まち歩きフォトスゴロクとは何か?

2022 年 12 月 8 日 Comments off

まち歩きフォトスゴロクは福島県立博物館さんのご依頼で白河市のエマノンのみなさんの協力を得て、はじまったプロジェクトですが、『ポリフォニックミュージアム 全体記録集』の中で、まち歩きフォトスゴロクのできた経緯やイベントのふりかえりについてのトーク(ゲストは大澤 寅雄アニキ)が収録されています。これがですね。自分でいうのもなんですがオモロイんですw 

「まち歩きフォトスゴロクとは何か?」がよくわかるトークになってます。よろしければご笑覧ください。

■ポリフォニックミュージアム 全体記録集(PDFダウンロード)

https://general-museum.fcs.ed.jp/wysiwyg/file/download/1/2074


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江戸時代に発行された堺の怪談話を集めた『沙界怪談実記』

2022 年 12 月 8 日 Comments off

江戸時代に発行された堺の怪談話を集めた『沙界怪談実記』。いま孔明さんが現代語訳に取り組んではりますが、今回の堺妖怪芸術祭のまち歩き企画のために、いくつか読ませて頂きました。

近代の怪談話には一種のパターンというか定型のようなものがあり、それは大体、怪異の経験者に知ってか知らずか問わず「死者を冒涜する」ような「罰当たりな行為」があって、その結果、妙な怪異が起こる…という「因果応報」的なものです。

「怒り」「恨み」「哀しみ」「祟り」「寂しい」といったような死者(死者)の感情的な動機から起こる怪異というのは、ある意味、非常に理路整然としていて、わかりやすい話で、じつはちっとも「怪談」ではない。

こういう怪談は、結局のところ、人間中心主義で、ヒューマニズムで、科学的(因果応報は科学です)で「近代怪談」といえます。

しかし『沙界怪談実記』のユニークな点は、こういうわかりやすいオチ(因果応報)のようなものがない怪談であること。「オチのない怪談話」であること。

いろんな怪異が収録されているのですが、なぜそれが起こったのか?なぜそれが起こるのか?起こった結果どうなったのか?どうなるのか?ということが記述されていない。

多少はないこともないんですが、当時の時代には、作者に、読者に、そんなところへの興味関心はないんでしょう。怪異の多くが「因果応報」にならない。大部分は「なんやそれ?」という些細な、微小な怪異で、怖くもなければ、面白くもないw スッキリしない。

近代以降、大衆メディアに乗った近代怪談は、ある種の技となり、芸となり、金儲けの手段でもあるので怪談の名手というのが生まれて、彼らはどうしても視聴者、読書を怖がらせようとして、あの手この手の方法論を用いる。「起承転結」のように話が纏められていく。話芸となる。

しかし『沙界怪談実記』には、その手の怪談話にありがちな、大袈裟な、怖がらせようという「作為」が感じられない。淡々と、静謐に、あったこと(怪異)が日記のように書かれている。「起承」はあるが「転結」がない。

なぜ怪異が起こるのか?という分析がないんですが、それは、しかし、当時の人には、ないのも当然なのかもしれない。

要するに死者などは当然、祟るし、怒るし、悲しむし、恨むものだから、それは「怪異」にならないということなのかもしれない。それぐらい死者がフラットに生の延長線上にいたということなのかもしれない。 

怪異や怪談の捉え方、範疇が、いまの我々とはだいぶ異なる。ズレがある。その「差異」が面白い。わかりにくいから味がある。オチないからリアル。良い本です。実に興味深い。

堺妖怪まち歩きもオモロイでっせw また不定期にでも開催していきます。


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徳川継友公の菩提所

2022 年 12 月 8 日 Comments off

谷町を歩く。久しぶりに歩いたら石碑が増えていた。まち歩きガイドとしてはありがたい。

本長寺は尾張名古屋藩6代目藩主の徳川継友公の菩提所となっている。なんで大阪・谷町の寺院に?と疑問だが、昔、某長老からある珍説(?)を聞いたことがあるが、ほんまかどうかはわからないので、ここには書かないw

まち歩きのときには「じつは…」とあやしい都市伝説を語っております。最後に「知らんけど」と言い添えて。


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【熊本県】津奈木町にて。広報誌まわしよみ新聞完成!熊本・津奈木町と新潟・阿賀町の広報誌+熊本日日新聞+西日本新聞でまわしよみ新聞を作る。

2022 年 11 月 25 日 Comments off

【熊本県】津奈木町にて。広報誌まわしよみ新聞完成!

熊本・津奈木町と新潟・阿賀町の広報誌+熊本日日新聞+西日本新聞でまわしよみ新聞を作る。

『広報つなぎ』『広報あが』の比較がやっぱり面白かったw これは西田 卓司さんことニッシーに広報誌を送ってもらいました。おおきにニッシー!

地域広報誌を交換してのまわしよみ新聞はいろいろと可能性を感じております。良い地域交流、地方交流、まちづくりのプロジェクトになる。いろんな地域でもやってみたいなあ。


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熊本県。津奈木町。奇石。重盤岩。

2022 年 11 月 25 日 Comments off

熊本県。津奈木町。奇石。重盤岩。

「まちなかコース」「海コース」「山コース」と3つのまち歩きフォトスゴロクを完成させましたが、そのうちの「まちなかコース」をみんなで体感してみようということで津奈木町まち歩きへ。

「まちのシンボルでもある重盤岩は登っときましょう!」ということでつなぎ美術館からモノレールに乗って頂上まで。高さ約80メートルほどですが、絶景かな絶景かな。見晴らしがいい。津奈木のまちなかが一望できる。

驚いたのが国旗が掲揚されていること。戦前からあるらしい。屋外で野晒しだから旗はすぐ汚れる。そうなると旗を新調するのは津奈木町役場の新人、若手やそうで命綱をつけながら国旗を替えるとか。どんなハードな仕事やねんww

高所恐怖症の人(ぼく)には到底ムリでしょうなあ…。


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