この土(くに)のかたち
大阪が産んだ知の巨人の系譜。小松左京(1931)より一世代ほど前なのが司馬遼太郎(1923)。
司馬さんはエッセイで「この国のかたち」を書きましたが、これ、もともとは「この土(くに)のかたち」だったとか。「土」と書いて「くに」と読ませる。それは少々、ムリがあるのでは?という編集長の意見で没ったんですな。
これ、しかし、ぼくは編集の大失敗だったと思ってます。「土」と「国」ではまったく意味が変わってきますから。「この土のかたち」から「この国のかたち」となってから、明らかに司馬さんのエッセイは失速して、狭量な、凡百の日本論に堕してしまいました。
司馬さんはほんとは「NationではなくStateでもない。Landとしての日本を描きたい」といっていたんです。「国」ではない。「土」の大切さ。われわれ人間は、生命の本然として、「土」を離れては一瞬たりとも、生きていけない。それを司馬さんは警鐘しようとした。
ところが本を売らんがためのタイトル変更に、編集の商業主義に、負けてしまった。こういうとこが司馬さんのアカンとこです。だからでこそ司馬さんは国民的大作家と呼ばれるほど売れたともいえますが…歯がゆい。
実際に司馬さんの警鐘は現実のリスクと化しました。「国」の方針で、放射能で、われわれの命そのものの、「土」を汚してしまった。それは、絶対に、やってはいけないことなんです。百代の過失。後世に言い訳が立たないことをしてしまった。
なんでこんなことになってしまったのか?それは、われわれが「土」を蔑ろにしてきたからです。「国」ではなく、「土」を語らねばならない。国家ではなく、風土を。われわれのアイデンティティは、どこにあるのか?それをロストした民族に、未来はないです。