光明池
堺の某地域コミュニティ誌の仕事で、たまに「堺まち歩き記事」を書いてるんですが、その関連で「光明池」を調べる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/光明池
wikiでは光明池について簡単な説明で「国分町にある和泉国の国分寺で光明皇后が誕生したという伝説にちなんで光明池と名づけられた」とありますが、その詳細についての記述がありません。ここがおもろいのに!
じつは、かつて和泉市南池田界隈には「智海寺」という寺があって(現存してませんが天平年間の遺跡が発掘されているんで、かなり古い寺院だったことはわかっています)そこを開基したという伝説の智海上人が山中で小便をしていると、それを舐めにきた鹿がいて(山に入ると動物が人間の小便を舐めにくるというのはよくあったことらしく、狼なんかが寄ってくるので山中での排泄行為は非常に気を使うことであったとか)、その鹿が突然、妊娠して産まれたのが美しい女性で、これが藤原不比等に見初められて、光明皇后になった・・・という伝説になってるんですな。
和泉の信太山で安倍保名が白狐を救い、それが美しい女性「葛の葉」に化けて、その2人のあいだに生まれた子供が平安朝最大の陰陽師・安倍晴明という有名な伝説があるんですが、この「阿部晴明の獣婚誕伝説」のルーツになったのは、ぼくはこの智海上人と鹿から誕生したという「光明皇后の獣婚誕伝説」が影響しているのでは?と思ってます。
また、だから光明皇后の足指は2本足で鹿のようになっていたといわれ、それを隠すために発明されたのが「足袋」であるという民話もあります(「もののはじまりなんでも堺」の俗謡の如く「足袋」のはじまりも堺ということになります。まぁ、伝説の域をでませんが)。むしろ「足袋」というのが「鹿の足」を連想させるというところが面白く、旅にでるというのは(山に入る)というのは大変な労力を要するわけで「鹿の足」(足袋)を履くことで「鹿の脚力を得る」といった呪術的な意味づけもあったのではないか?と推察したり。
さらに面白いのが、この「足袋の発祥伝説」を知って調査して小冊子にしたのが、泉北郡北池田尋常高等小学校 (現・和泉市立北池田小学校)に在籍していた宮本常一で、宮本民俗学の出発地点が、じつは光明皇后誕生伝説の地・光明池だったりします。物語のレイヤーが二重三重に錯綜する。こういう場所がひょんとあるのが堺のおもしろさであり、怖いところです。
画像は『観音霊験記』の「光明皇后」より。