惚れし太夫の下帯ととりかえたし

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奈良・大和郡山の町家「箱本館」にて金魚の細工物。大和郡山は金魚発祥の地。粋ですな。

大和郡山の人物といえば豊臣秀長や筒井順慶やら柳沢吉保などの名前は挙がるんですが、そこに大和の画家にして粋人の柳里恭が失念されているのが非常に残念。柳里恭の『ひとりね』は色本として秀逸です。

「余、十三の時に唐学を学び、いま二十一の暮までに覚えし学問、惚れし太夫の下帯(下着)ととりかえたし」

「人間などは学問をするためにうまれてきたのではあるまい。ととさまとかかさまとがおもしろがってうまれたのが拙者であり、拙者たるもの、色に離れることができぬのは当然」

名言ですなあ。しかも、これを書いたのが里恭21歳の時というから驚かされます。

京の画家・池大雅がある日、吉野の桜を見物したいと旅に出た。ところが旅費が少ない。大和郡山に友人の柳里恭がいることを思い出して訪問する。里恭は金ぐらい貸すが、その代わり三日間、話し相手になってくれという。大雅は喜んで話し相手になる。ところが三日どころか十日になっても離してくれない。さすがの大雅も音を上げる。

大雅「ええ加減、離してくれ!花が散って花見ができないではないか?!」
里恭「花なら来年でも咲くではないか」

大雅、さすがに逃げるように里恭の家を飛び出した。京の画家と奈良の画家の違いのようでもある。愉快愉快。こういう人物を、奈良の人は、大和郡山の人は忘れてはいけません。もったいない。


2013年 12月 16日
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